あべちゃんの写楽生活

撮ることが楽しいのか、楽しいから撮るのか

三脚、使わなくなったな

2016年11月13日 04時49分55秒 | 写真

  

「これから写真を始めるぞ」というとき、とりあえず

揃えるのはカメラ、レンズ、三脚ですよね。

三脚って、これがないと写真が始められないぞ、

という雰囲気があって、とりあえず揃えるよね。

私も今使っているカーボン製の三脚が三代目だ。

最初はたいした理由もわからずに購入したが、三脚をつかうと

いかにも「趣味で、写真やってます」みたいな気になって

ちょっといい気分になったものだ。

もちろん、三脚は重要な道具である。

風景撮影するときは絞りを絞るのでシャッター速度が落ちる。

手ぶれしないように三脚を使うのは王道である。

  

しかし、ここ1年くらい三脚を使っていない。

メリットとデメリットを天秤にかけると、デメリットの方が

多い気がするのだ。

まず、最初の理由として、カメラ、レンズの手ぶれ補正機能が

かなり優秀になってきた、ということ。

絞り2段分は当たり前、4段分というものまである。

2段分で4倍だ。

1/60が1/250と同じシャッタースピードになる。

かなり暗いところでも手持ち撮影できるようになったのだ。

  

次の理由は、デジタルになってフィルムの心配がなくなって、

とりあえず撮ってみよう、気に入らなければ後で削除

すればいいし、という気持ちになったこと。

自分のインスピレーションと構図、アングルが三脚をセット

しているうちに鈍るのだ。

それに自分の構図の志向が必ずしも三脚に適さないことが、

近頃わかってきたのだ。

木の真下に行って空を見上げる、などという構図は

三脚ではできない。

でも、近頃こういうのが好きになってきた(笑)。

それに写真の最重要ファクターである、「いい瞬間を切り取る」

ということを最優先にしたいのだ。

太陽はいつでも照っているわけではない。

雲の切れ間からわずかな時間だけ顔を覗かせる時だってある。

その瞬間を撮らなければならないのだ。

優先順位を間違えてはいけない。

インパクトは技術に勝るのだ。

アマチュア写真家がプロカメラマンに当たり前に勝てる

理由がここにある。

チャンスは平等にある。

「策士策におぼれる」ではいけない。

見る人は技術面が優れている、とか見ない。

単純に「いい写真か、そうでないか」だけなのだ。

  

最後に、三脚を使わなくなった最大の理由。

このことをフィルム時代からこの道数十年という、

頭の固い写真オヤジに話すと感心されるよ。

それは、「デジタルカメラは絞れない」ということ。

絞りをf11、f16と絞っていき光束がどんどん細くなっていくと、

CCD素子上のマイクロレンズで回析現象を起こし光量不足になり、

逆に解像度が落ちてしまうのだ。

だから、絞れない。

すると・・・シャッタースピードが落ちない・・・三脚不要。

ということになる。

  

誤解してもらっては困るが、時間と場所に余裕があれば

使うに越したことはない、ということだ。

でももしそうなら、水準器で水平を確認して、ミラーアップして

ミラーショックを避けて、レリーズで本体の揺れを防いで、

ということまでやってほしい。

そこまで凝るならね。

しかし、三脚で通行人を邪魔し、いつまでも据え付けていて

その前を通れない、などという迷惑をかけないでほしい。

  

おまけの理由として、

いくら絞ってもレンズの解像度がついていかない、ということ。

イメージセンサーの解像度がレンズの解像度を上回ってしまった。

しかしどんなに頑張っても、レンズの解像度以上にはならないのですよ。

だから、20万円のカメラを買って、5万円のレンズでは

ポルシェに1本5,000円のタイヤを履いてるようなもの。

カメラ本体に入ってくる光の質が悪ければ、カメラ側では

それ以上どうすることもできない。

意外とここがわからなくて、カメラ屋の店員に説明されて

愕然とするパターンが多い。

  

しかし、三脚ほど矛盾した道具はないね。

使う方としては、できるだけ軽い方が持ち運びに便利だ。

しかし、軽いとちょっとの振動や風で揺れてしまう。

意味をなさなくなるのだ。

また、今のカメラは重い。

ましてや、高性能レンズを取り付けるとさらに重くなる。

軽い三脚だと重心が上になり、不安定になるのだ。

だから、ある程度の重さは必要になってくる。

ここがつらいところ。