あべちゃんの写楽生活

撮ることが楽しいのか、楽しいから撮るのか

NHKもやるな

2016年08月30日 00時19分32秒 | 写真

  

夏休み最後の週末の恒例行事、24時間テレビ愛は地球を救う。

その裏ですごい番組が放送されていたのを知っていますか?

Eテレ「バリバラ 笑いは地球を救う」です。

同じ時間にぶつけてきました。

NHKは否定していますが、24時間テレビ愛は地球を救うを

パロディにしたことは明らかです。

ネットでは「Eテレ、本気だしたぁ」と騒然でした。

バリバラは障害者と健常者が色々本音で

トークする番組です。

  

番組のサブタイトルが

「検証!『障害者×感動』の方程式」

番組の本気度がうかがえるよね。

そこで障害者が「今のテレビは感動ポルノだ」と

言っていました。

感動ポルノとは、オーストラリアの障害者が使った言葉で、

障害者を「感動させる装置」という物として

扱っている、というのだ。

「障害者は弱く、可哀想な存在だ。」

「障害者なのに、こんなにがんばったんだよ」

「ねぇ、感動したでしょ?」

「可哀想な人は大切にしないとね」

そして障害者のことを真剣に心配している自分は

なんていい人なんでしょう、と自己満足。

これこそ、障害者を差別し、視聴率稼ぎの

道具にしている、というのだ。

障害者をかわいそうに思った時点で、少し

上から目線らしい。

本当に平等なら、そうは思わないはず、と言う。

うーん、厳しいこと言うねえ。

  

笑いというのも同じ原理らしい。

ビートたけし氏によると、お笑いは見てる人が

少し上になっている時じゃないと生まれないらしい。

「またあいつ、バカなことやってるよ」

「しょうがねえなあ」

という感じだ。

落語でも「よたろう噺」がある。

「バカだが憎めない、かわいいヤツ」という

キャラクターだ。

よく震災直後ミュージシャンが

「今、音楽は必要なんだろうか、と悩んだ」

というコメントを発表するが、音楽、笑い

というのは、心に余裕がないと生まれない。

今日、明日どうやって生きよう、という人に

笑いはいらないのだ。

この、心の余裕は言い換えれば

「私はもうどん底ではない。だってまだ私より下の人がいるじゃないか」

という気持ちでもある。

心の余裕はきれいな言葉だが、悪い言葉を使えば「蔑み」。

人間は自分よりちょっと下の者にたいして、やさしさ、

笑いを覚える生き物のようだ。

  

よくテレビでは障害者の頑張りが話題になるが、

障害者だって「別に頑張らなかったけど、できちゃった」

ということが普通にあるらしい。

それではテレビ的ではない、ということで、

いろんなドラマが勝手に作られているようだ。

障害者自身も「ちょっと、違うな」と思っていても、

病気や障害のことを知ってもらえるなら仕方ないか、

と思っている人がかなりいるそうである。

かなりショッキングな発言だね。

  

私自身も、「感動はするもので、させられるものではない」

という考えを前から持っていた。

私は感動の押し売りと呼んでいる。

「ここは泣くところですよ」的な映画、ドラマの作り

はイヤである。

どこで感動しようが、あるいはしまいが個人の自由だ。

映画もドラマも物語である以上、「ヤマ場」というものが

あるのは当たり前で、作る方もそこに注力する。それは、わかる。

でも、いかにも「ほらほら、来ましたよぉ」的な作り、

「全米が涙した」的なあおり、「この映画で泣かないのは

おかしいんじゃね」的な周りの雰囲気は違うと思うんだよな。

今回、この番組を見て、「そうだよな」と

思うことが多かった。

鈴木おさむ氏によると、人間というものは障害者を見て、

「かわいそうだな」と思う心と「自分はああでなくてよかった」

と同時に考える、悲しい生き物であるらしい。

 

コメント
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