風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

自分で書いてて自分で泣けてくる

2021-12-17 | 掌編

 

「下段の構え」さん、押し入れの中から、引っ張り出してきましたよ(苦笑)。

 

  幕が上がる時

 

 九月も半ばが過ぎ、朝晩には少しずつ秋の気配が感じられるようになり出していた。

 唄い手である幸江にとって、若い時には何でもなかった暑さが、これほどまで苦痛に感じられた夏はなかった。それが、テレビや新聞で言われているような、ここ数年来の暑さのためだけでなく、身体の変化にも起因していることに、幸江はうすうす気づいていた。

 その暑さもようやく峠を越し、もう少しの辛抱だろうと思っていた矢先のことだった。

「幸ちゃん、十月からは、三番目に唄ってもらうことになるが、いいね」

 公演の後、一人でいた幸江のところに座長の杉本が寄ってきて、そう告げた。

 いつかは言われるに違いないと思いながらも、杉本の口から一向にそうした意味の言葉が出る気配が無かったことで、来年の春まではこのままどうにかやることができるのかなと、心の片隅で思っていた幸江であった。

 しかし現実は甘くはなかった。ずっと長い間二番の位置を守り通してきた幸江も、杉本に指摘されるまでも無く、自分の力の衰えをはっきりと認めざるを得ないほど、この夏の落ち込みはひどいものだった。

 若手としていつも一番目に唄い、ちやほやされていた頃には、今の自分と同じような先輩を見て、ひそかに笑ったりもした。それどころか、冗談に似せた口調で、つい皮肉を言うことさえあった。その罰が、今の自分に当っているのだろうか。あの時の先輩の表情は今もはっきりと目に浮かんだが、平気で皮肉を言っている薄っぺらな自分の顔は、どうしても思い出すことができなかった。あの時の先輩はどんな思いをしたのか、今になって、自分がその立場になろうとは……。己自身の先の姿どころか、その時のありのままの自分さえ見えていなかった浅はかさを、痛感せずにいられなかった。

 

 一座は大きな会場での宴会に呼ばれることが多かった。何人かの長い挨拶の後ようやく乾杯が行なわれ、場の空気が一気に和んだものとなり出した時、一呼吸置いて一座の唄は始まるのだった。若手が一番として登場した瞬間には多くの拍手が湧き上がるのだが、時間が経つにつれて、場内は参加者の声が入り乱れ、いそがしく酒や料理を運ぶ従業員達の姿はもちろんのこと、立ち歩く客、大声で話に興ずる客などの声で、三番手の頃ともなると唄は無いに等しいような状態になるのが常だった。

―いよいよ、その三番手となるのだ。

 幸江は、ついにその時が来たのだと思った。一座の構成からすれば、幸江の三番手はこの先変わることが無いと言えた。一生懸命になったところで元の二番に戻れる見込みは無かったし、いくぶん手を抜いたところで、いまさら一座から追い出されることはあるまいとも思ったりした。

 

 厳しい暑さはすでに去り、秋のさわやかさは一座の歌声をより澄んだ響きで伝えていたが、その頃になっても、幸江の唄は以前に近い状態までは戻っていなかった。幸江の気力はすっかり萎えてしまい、唄にはそれが正直に出始めていた。そうなるとおかしなもので、この場所で唄い続けることに自分自身がいたたまれなくなり、むしろ追い出された方がどれだけ楽だろうと思ったりもするのだった。

 自分は何て弱いのだろう。そのことはいまさら仕方が無いとしても、満足のいく唄ができなくなった時の心の頼りなさがこれほどのものだと、どうして若い時には思いもしないのだろうと幸江は思った。歳を重ねていくことで初めて分かることがあるものだということに気づかされた思いだった。

 十一月の末頃からは、忘年会の仕事が続き出して、一座の雰囲気もより気合の入ったものとなっていたが、そんな中にあっても、幸江の様子は改まったふうでもなかった。気が散じたような唄にもかかわらず、それさえ気づかれずにいるような状況は、力の衰え以上に幸江の心を暗くしていた。今すぐにでも止めたい気持ちであったが、誰かが三番手をやらなければならないことはわかっていたし、忘年会から新年会に続くこのシーズンが、一年のうちで最も忙しい時期であったので、長く世話になった仲間達に迷惑はかけられまいと思い、これが落ち着いてからと思いとどまっていた。

 そして年が明け、新年の最初の仕事は、ホテルで開かれた新年会の余興の場であった。会場には幸江と同年代くらいの客が多く、中には初老の客の姿もチラホラと見えた。みな、多かれ少なかれ民謡には慣れ親しんだ世代であったはずだが、今回もまた、場内はすっかり砕けた雰囲気となっていて、幸江の唄は誰に聴かれるでもなく、ただうつろに響いているかに思えた時のことであった。一曲目が終わりうっすらと汗が滲み出た幸江の前に、いつの間にか一人の老人が近づいていた。そして、間に合わせの紙に包んだのであろう、おひねりを幸江の前に差し出したのだった。幸江は当惑した。二番手、三番手の唄におひねりが上がることなど、ここ何年も無かったのに、今の自分にそれが差し出されているのである。

 酒が入って、足元が少しふらつくようになってからおひねりを持ってくるようなお客も、時々いた。そんなお客に限って、目の前に来てから「アレッ、**ちゃんじゃないのか」と、臆面も無く大声で言ったりした。それは会場の失笑を買ったが、唄い手にとっては屈辱以外の何ものでもなかった。しかしながら、そんな時でも笑顔で気の利いた言葉を返すのが、プロとしての務めでもあった。

「お客さん、出す相手を間違ったんじゃないですか? 本当に私でいいんですか?」

 幸江はマイクを遠ざけて、小声でその老人に言った。

「開けたら笑われてしまうような中身だけども、幸江さん、あんたにだよ」

 その老人はコクンとうなずいてからそう言った。

「オレもずっと前から、この一座の唄を何度か聴いてきた。おそらくここに集まっている中にも、そんな人が大勢いるだろう。あんたが一番手で唄っている時は、若かったなァ。若くて輝いていた。声に伸びがあり、張りもあった。けど、それがいつしかそうでなくなるのは、きっと誰だっておんなじだ。でもさァ、生きてきた人生の長さだけ、唄に心を込めるっていうのは、若い時には、やろうとしてもできないんじゃないか? いや、若い時はそんなことには思いもよらないだろう。酸いも甘いも経験してきて、自分の涙だけじゃなく、人さまの涙のわけもが、おぼろげながらでも分かってきたこれからが、本当の唄い手となる時じゃないのか。言葉に心を込めてさ、唄に魂を込めてさァ。あんたもその若さで、すでにダンナさんを亡くしたと何処かで聞いた気がするが、若い時の十八番のひとつだった『秋田おはら節』だって、今だったらきっと、あの時とは違った思いで唄えるだろう。そんなトシになってきたんだよ。いままでのあんたがあって、今のあんたがある。聴かせてくれよ、その、いまの幸江さんの唄をさァ。聴くオレたちにだって、その思いが伝わらないはずが無いじゃないか」

 唄と伴奏が途切れてややしばらくしてから、それが二人のやり取りのためだと分かった場内は、しばらくざわついていたが、それもいつの間にか静まっていた。マイクを通してわずかに拾われた老人の声は、

「これからだぞ、まだまだこれからだ」という声を最後に止んだ。

 幸江は、席に戻っていくその老人に深く頭を垂れると、それから後ろを向き、「秋田おはら」と告げた。猟師に鉄砲を向けられ、己の死は覚悟したものの、残される妻や子を思う鹿の心情を唄ったこの唄が、にぎやかな場には不釣合いであることを充分に承知しながらも、幸江はこの唄を唄おうと思った。

「前奏を少し長く」

 幸江がそう言うより早く、お囃子はその気配を感じ取って、そうした。それは出ることが無くなって久しい、幸江の昔からのクセだった。

 幸江は目の前をゆっくりと見渡した。これまでの思いを、わだかまりという一言で片付けるのは、どこか腑に落ちないものがあったが、しかし今はその言葉しか浮かんでこなかった。たくさんの拍手の音がする中、出だしの音を待っている幸江の心の中では、わだかまりという名の幕が、静かに上がり始めていた。

 

 ■当園のお米が、来年もみなさまのちからッコのもととなれますように。

 

 ここにでた秋田民謡、「秋田おはら節」は、ユーチューブでも見られるかと思います。興味を持たれた方は、どうぞご覧になってみてください。