これが、あとになってから書き換えられた記憶なのかどうか、今では定かではないよ。でも、50年以上も前のことだから、もしその時の気持ちでなかったとしても、その時にこんなふうに思ったような気がするんだ。
学校には、それほど行きたいとは思わなかったな。体育が苦手だった。どんなことでも、うまくできることが少なかった。図工はもっと苦手だった。図工のある日は特に、行きたくなかったよ。だってとても下手にできた絵や工作が、ずっとそのまま貼られたり置かれたりしていたんだもの。
算数はだいたい分かったけれど、何か難しい問題を当てられた時、わかりませんと言っても、簡単に座らせてもらえなかったのはキツかったな。そんなふうにされた人たちの方が多かった気がするのに。
考え方のヒントを言われても、もう頭の中は真っ白。順を追って、解き方の道筋を気づかせようとしてくれてたんだろうけど、もうパニック状態で、最後は涙がにじんできた。
おとなしくしていることは苦痛ではなかった。だから、自習時間は静かにしていられた。
委員長に選ばれたよ。でも、自分のことならどうにかできるけど、騒がしくしているクラスのみんなを静かにさせるちからは無かったよ。委員長は何やってるんだと時々言われたけど、言われなくても、無力感でいっぱいだった。でも、何で自分がそれをやらなきゃダメなんだろうと思った。みんなで何かをするなんていうことも、全然できなかったな。プレッシャーで、おなかが痛くなる日が多かったよ。行きたくないなーって思う日が多かったけど、行かなきゃいけなかった。イヤだイヤだって言って、休むこともできなかったんだ。
その他にもいろいろあったけど、こんなことばっかり書いてちゃ、気が重くなっちゃうね。そのうちまた続きを書いたら、読んでくれるかなぁ。