風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

場末の田んぼ

2023-07-31 | 日記

 連日の猛暑で、水利事情の悪い地域では、田んぼに水を入れるのに難渋していることと思います。「中干し」という管理で、いったん田んぼから水を何日間か落として、土を固めることが、つい先だってまで行われていたからです。ひび割れた田んぼの中を水が奥までしみわたっていくには、いつも以上に水の勢いと量がなければなりません。それがこの好天続きで、用水路を流れる量そのものが少なくなり、困難さに拍車をかけるというわけです。

 

 いや、上流の田んぼから計画的に順々に水を入れてくれば、結果的には時間や水そのもののロスを最小限にしながら、平等に入れることができるのです。でも現実には、こうはいきません。誰であれ、今入れたいのです。今は穂が出る時期。そのため、稲が最も水を欲する時期だからです。

 

 水量が豊富なら、金持ち喧嘩せずではないですけど、水をめぐっての面倒な話は起きる余地がありません。ですが、少ない水を分け合うとなると…。はい、場末の田んぼは、どうしても貧乏くじを引かされることとなるんです。同じ水利費を払っているのに、何という不平等(苦笑)。そうなんです。農家は水の代金を払っているんですよ。

 

 場末の田んぼにもやっと水が来る頃、気まぐれな少し強いにわか雨が、降ったりするものです。もう少し早く降ってくれればよかったのになー、などと、天を少しばかり恨めしく思いますが、でも慈雨であることに間違いはありません。今、先日の大雨以来、久しぶりに、雷とともににわか雨が降っているところです。広い田園地帯。どこもかしこも変わりなく見えますが、「場末の田んぼ」はあちこちにあるんです。それは必ずしも、最下流地域というわけではありません。目立たずに存在しているのです。

 

 「Bar 末」なんて看板があったら、ふらりと入ってみたくなる気がします。いや、臆病だから、入らないだろうなー(苦笑)。でも、癒される気がしません?

 こんなふうにひび割れます。ひびの中には、水がしみ込んでいますが、もう少し欲しい感じです。この状態で、水入れを止めて、下流に流すという農家は、まずいないです。

 上の写真より、もう少し入りました。田んぼはダム機能があります。水害の際に、本当にそう感じさせられます。でも、土砂が流入して、ダメになる場合もあったりで、田んぼの大切さを、こんな観点からも多くの人に気づいてもらいたいものです。

 


気ぃつけれよ まがすなよ

2023-07-31 | 標準語に翻訳するのが難しい秋田弁

 コップに、なみなみとつがれた何か。渡した相手は、こういうのが常です。気ぃつけれよ。まがすなよ。あるいは、その言葉を、自分自身に向かって心の中でつぶやくこともあるかもしれません。

 

 何となく、意味が分かってもらえるかと思うのですが…。テーブルに置いたコップ。何かの拍子にそれに手が触れて、コップを倒してしまう。中身が**。この状況を「まがす(自動詞?)」と言います。これ、標準語で、どう言うんでしょう? 誰かが、**って言うんじゃない?って知らせてくれれば、あっ、そうかと気づくのかもしれませんが、意識の盲点というのか、なかなか思い浮かぶ表現がないのです。

 

 あっ、まがしてしまったぁ。拭げ拭げ はやぐ。もかもかしてねで。

 まがすものと言えば、子どもだったら、牛乳かジュース。大人だったら、間違いなくアルコール類、ですね(笑)。まれに、おじげッコだったりしますが。

 それはいいけど、「まがす」について、いつだっかた書いたような気がするなー。

 


よく覚えてんなー、そんなこと

2023-07-31 | 日記

 高校に入ったばかりの頃、うわぁ、50年近く前のことだ! いろんな中学校から人が集まりました。その頃は、昭和だったので、「平成の大合併」以前でたくさんの市町村がありました。**村というのも、たくさんあったのです。

 私の住んでいる地域も、村でした。同じ学年の誰かが、冗談でいろんな人たちに、何かといえば、そっちは村だべ。オレたちは町だぞなんて、調子良くしゃべっているのを聞いたものです。

 

 わざわざ言い返すのもばからしくて、知らんぷりをしていましたが、心の中ではこんなふうに思ったものでした。あんたのがんばりがあって、村から町になったなんて言うのならまだしも、たまたま生まれた場所がそこだったというだけの話だべ。言ってて恥ずかしくないかいと。

 

 人は生まれる場所を選べません(場所や親を選んで生まれてくるというような話は、ここでは考慮に入れません)。たまたま、魅力あるある場所に生まれたとしても、それはその人の努力?とは無縁。

 話が飛躍しますが、いいトシをした大人が、生まれた場所を理由に、誰かを見下したら、それこそ人間性が知れます。でも、みんな弱いから、見下す誰かを設定する必要があるのかなー。あはは、「みんな」の中には、自分も入っていると思った方が、間違いないですね。きっと無意識にそうしている…。

 

 なぜ突然、こんなことを書いたかと言えば、一昨日のお話の会の中で、ある農家の方が、言いにくいことだけど、問題ないあきたこまちを作っている農家が、カドミウムの心配のある米農家、地域の犠牲になるってことでしょ。米植えなきゃ良いのに。というような意味のことを言ったのを聞いたからでした。いろんな思いがわきあがってきたのでした。

 

 でも、自分も言っています。放射性物質の検査云々…。

 

 オレもいつか言おうかと思ってたんだが、心の中ではずっと思ってた。

  ペラペラとしゃべるダジャレ、もうとっくに卒業していいトシのはずだぞって。

 

 話を適当な地点に戻しますと、以前の村、好きでしたねー。3つの町村が合併してひとつの町になったのですが、前の村だった時の、村名が地名や建物からどんどん消えて、何となく寂しいものです。学校や、公共施設に冠していた村名が消えて、まだ残っているのは、ふたつくらいとなりました。


広がれ認識2

2023-07-29 | お米の便り

 6月のお米の便りから、抜粋です。

 今月も、ここまではある意味どうでも良い範疇の話でした。以下は大変な話題。

 先月、 県内紙の読者の声欄に投稿した文章と、そのタイトルです。*本文は 改行せずに表示します。

「一農家として複雑な思い」

 2月25日付本紙に、「あきたこまちR」が県の奨励品種として採用された、という記事が載った。カドミウムをほとんど吸収しないということが大きな特性であり、従来のこまちとは、品質や食味に差が無いとある。記事には、あきたこまちRがどのような方法で開発されたかについての記述は無かった。そんな中、ネット上でさまざまな懸念の声が出ているのを見つけ、驚いた。放射線育種については、いろいろな意見があることだろう。けれども、その是非を論ずる以前に、大変なことになるのではないかと感じた。多くの人から愛されてきたあきたこまちが、この先,どんなふうに受け入れられていくのか。いや、これまでのように受け入れられるのだろうか。カドミウム対策として、開発に尽力されてきた方々や、それを心待ちにしている農家の方々には申し訳ない言い方だが、なぜあきたこまちでなければならなかったのか。なぜ全面切り替えなのか。いくつもの疑問が浮かんでくる。食べものは、いのちをつなぐものである。25年度からは一本化とのこと。あまりに拙速な決定ではないだろうか。こまちを栽培し、食べ、消費者に届ける一農家として、複雑な思いである。多くの人の声を聞いてみたい。

 

 予想通り、ボツでした。まだ「多くの人の声を聞」けないままです。あきたこまちともう一つの有名品種が先発隊となり、その後次々に国内のお米が、そうなる 計画とのこと。テレビや新聞は何しているの?肝心なことに 気づかせないため、肝心でないことを常々報じています。


広がれ認識

2023-07-29 | 日記

 今日も厳しい暑さです。

 午前中、放射線育種米についてお話を聞く機会がありました。今、多くの人が知ることなく進んでいる、あるお米の導入について、いろいろと基本的なことを知ることができました。

 

 じっとしてはいられない、大変な案件です。