風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

意味を調べてみた

2024-07-06 | 日記

 布施。我欲を差し出す修行、なんだそうです。もちろんこれは、布施の一面を捉えたものでしょう。愛とは何かという問いに無数の答えがあるように(あるような気がしませんか?)、布施にだってたくさんの意味というか、解説があるかと思います。

 でも、我欲を差し出す修行なんて言われると、こりゃ、なかなか大変だぞと思ってしまいます。これを真に受けてというか第一に考えて、結果的に悲しい事態になってしまうということは、何となく耳にする話です。自分では、そんなんなら凡夫のままで良いやと思います。

 

 今朝、朝ごはんの時に、バナナを食べました。3分の1くらい残して、久しぶりにビワの鉢に埋めました。オレが差し出せる「我欲」なんて、この程度ダー。全然、修行にもなってませんよね(笑)。

 お経のひとつも読めるくらいに、なってみたいものです。修行を積んでいない者の読経であっても、なにかしらの供養になる場合も無いわけではないでしょうから。

 

 待て! 伏せ! 

   オレはワンちゃんかっ?


やれだごど なんにもねぐなってしまったー

2024-07-06 | 日記

 朝晩、ほどげさまおがんでもらってで、それで十分だなダー。


紙おむつ 思わず笑った使用例 追記しました

2024-07-04 | 日記

タイトルだけで、期待させて終わるのかよー。

 すまん、前後不覚。後ほど追記。

 

 まずはこの写真。昨年も今頃同じような写真を載せてたと思いますが、本日も。

 お皿に魚を盛り付けるときは、通常頭が左で尾は右、ですか? そういう意味からすると、今日の写真は逆。でもたまにはねぇ。この乗り物を食べてもらおうってわけでもないし。

 さて、余計なことを書いてしまいましたが、これが今最も活躍している、乗用溝切り機です。自転車のような形。これに乗って稲の条間を走り、溝を作っていきます。この型式は、たぶん2世代目。初代のものは、サドル部分がもっと硬いとか、乗り心地が悪かったと思います。ずっと足を開いたまま乗り続けるので、このタイプでも、だんだん股関節やお尻が痛くなってくるのですけどね。

 

 こういう前提があって、いよいよ、本題です。昨日草取りをしていたら、近所の農家の人がそばに来て、いろんな話になりました。聞けばもう溝切りを始めているとのこと。その人の機械は、初代のものということでお尻がとても痛くなるんだそうです。それで思いついたのが、なんと紙おむつ! グニュグニュしているんでしょうか。それをはいて機械に乗ってるんだと知らせてくれました。

 それを聞いて、思わず笑ってしまったのです。だってそうでしょう。そうでしょうって言われてもねぇ。紙おむつを使う必要のない人が、まったく別の理由で、それが良さそうだということで、紙おむつをはいたと言うんですから。「将来のための練習、練習」なんだそうで、それで、お尻の痛さが軽減されるのなら、これは思いがけず便利な品ということになりそうです(笑)。何よりも、将来のために経験しておくことも決して無駄ではないことでしょう(笑)。

 あまりに突飛な話に思わず声をあげて笑ってしまったのでしたが、そのあとで、もちろん冗談ででしたが、「今は練習でも、いつか本当に必要になって、紙おむつをはいたまま溝切りをしてたりして(そんな状態になりながらもお米作りを止めることができなかったりして)」と、笑えるような笑えないようなことを口にして、話を終えました。

 

 先月でしたか。国会では、食糧生産のために、農家に強制力を持って、特定作物の作付を命令できるというような法律が成立。これに従わなければ、罰金というようなことになりました。お断り。曲解して、大げさに書いています。でも、そんなふうに強制されても、紙おむつはいたままやらなくちゃないんだったら、これは笑えないジョークなんです。誰も農業をやらないのは、お金にならないから。それ以外にもいろんな理由があるでしょうが、労働の対価が一定程度保証されていないというのは、きわめて大きな問題だと思います。農家から生産物を高く買い上げて、国民に安く提供する。そして、食糧不安をなくす。これが何よりの国防だと思います。際限のない武器購入より何倍も、平和になることだと思います。昔は曲がりなりにも、こうしたことが行われていました。それは大きな支出を伴うものでありましたが、国民の間にもそうしたことに対する理解、コンセンサスというんでしょうか、そういうものがあったのです。今は、何かといえばコストコスト。目先のことばかりに目を奪われて、結果的にもっと大きな支出をしていることには、ダンマリです。

 

 


なんだて「はが」えぐモンだナー

2024-07-03 | 日記

 足りないとなると、どうしたわけか消費量が多くなるものです。米であれ、野菜であれ。近所の農家のじいちゃんばあちゃんも、常々言っていたものでした。畑にいっぱい育っているときはあんまり食べなくて、季節外れの無い時に、店から買ってくるんだものって。

 消費が多くなることを、「はか」が行くと言います。特にお米に限ってそんなふうに言います。「はか」とは、能率という意味。はかどるという標準語があるくらいですから、そこから来ているのかなと思います。それともうひとつ、ノルマという意味も。ノルマというのは、ここだけかもしれません。

 

 現在「はか」が行っているのは、お米だけ。菜以外の津だらけで、手が回りません。時間というか生長が一時ストップしてくれたら、どんなにありがたいことか。でもそんな願いは無理というもの。追い越すなんてことは到底無理で、追いつくことさえままなりません。

  なんもだ さっとずづ すすんでいご(大丈夫、少しずつ進んで行こう)

 ずーっと前から、自分に言い聞かせている言葉。

 

 「なんだて」は、またの記事で。みなさまにとって、今日も良い日になりますように。


稲の中を歩く 2

2024-07-02 | 日記

 家から一般道まで100メートルくらいあります。一般道までの細い道路の両側は、小さな田んぼです。そこを歩く度に、両側の稲の様子に目が行きます。現在、稲の生育段階は、茎の数がピークになろうとしています。この茎すべてから穂が出たら良いのですが、遅く出た茎からは、穂は出ません。

 田植え直後から、少しずつ変わっていく稲の中を歩く…。なかなか良いものですよー。稲の様子を通して、こころの中にいろんな思いが浮かんできます。そして、ちからッコも湧いてくるんです。