風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

ふと思うこと

2021-10-27 | 日記

 自分の価値観を押し付けることなく、相手に価値観に可能な限り寄り添い、もし、できそうなら、そこに提案をしてみる。

 

 淡く、ゆるい付き合い。相手に負担を感じさせることなく、自分も無理をせず、お互いがそんな思いで付き合いを続けられたら、それはどんなにか素敵なことだろう。地域の住民同士であれ、遠く離れた誰かであれ、大事に思う人同士であれ…。

 

 

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すべては、再現できない瞬間の連続

2021-10-25 | 日記

 昨日の朝。ムンクの叫びのようなお日さま。もやがこんな写り具合を。

 

 でも今日のもやは、もっとすごい光景を見せてくれました。一枚の写真に納まらなかったのが何とも残念。

 アーチ状になっています。

 目にしてから消えてしまうまで、数分間の出来事。初めて見た現象でした。わずか数分のこととなれば、こうした瞬間を目にできるのは本当にまれで、幸いなことなのだと思いました。

「なんだかぼんやりしていて、よくわかんないよ」とのキビシイ評。でも、アーチ状のもやだけはっきりしていたら、それは奇跡に近いんじゃないかなと思ったのでした(笑)。

 

 

 一週間ほど前から、白鳥が来始めました。いつもだと、なかなか和賀屋の田んぼには降りないのですが、今年は早くに来てくれました。収穫が少なかったのは、コンバインに穴が開いていてお米が漏れていたのかな(笑)。籾が目立ったのかもしれません。

 

 お日さまの方角に向かってシャッターを切っています。もやのせいなのか、レンズ自体が曇っていたのか…。

 

 

 

 

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好機

2021-10-23 | 日記

 晩ごはんの最中に花火の上がる音がしました。何度も鳴ります。「サプライズ」で、たくさんの花火が上がっているのかなと思いました。

 ご飯を食べ終わったころ、花火の音も鳴り止みました。およそ20分くらいだったかと思います。まだ音がしていたら、外に出てみようと思ったのでしたが、ちょっと待っても音がしなかったので、家の中にいました。

 

 少ししたら、また鳴り出したような気がして、外に出てみました。いつもならそんなことは無いのに、今日これほどまでに外に出てみようと思ったのは、晩ごはんを食べすぎたからです。難しい理屈は不要です。食べ過ぎた分、身体を動かせば良いだけの話です(これがなかなかできないんですけど)。

 

 花火の音だと思ったのは、どうも空耳のようでした。ひとつも見えませんでした。その代わりというか、東の空から上ったばかりの月が、とても良く見えました。黄色くてとても大きい月です。期待していなかっただけに、うれしい気持ちになりました。

 

 ほとんど明かりの無い中を、簡易なデジカメで写真を撮れるものかどうか、わかりません。

 月を見ながら、人通りのない道、農道を歩きました。歩いているその一瞬、幸せを感じました。膨らんだお腹をさすりながら「豊かさ」を実感しました(苦笑)。

 雨が強かったことで、田んぼの隅っこに雨が溜まり、そこに月が映っているのを見つけました。切ないけれど、素敵な光景。写真にはその様子がほとんど写らないけど、心の中には、しっかりと残りました。誰かと見ることができたら、もうちょっと幸せ感が強まったかもしれません。ぜいたくですね(笑)。空の月と水たまりの月です。

 こちらは、水たまりの月。

 

 それにしても、「好機の時は、何をさておいても掴み取らなければならない」と聞いたことがあります。「好機は何度もやってくるものでは無い」とも。

 「好機」の意味をどう捉えるのか、どう対処するかは、きっと人それぞれなのだと思います。他の人から見て、みすみす好機を逸したかと思えても、当の本人がそう思っていなければ、「逸した」も何も無いのです。

 

 大丈夫大丈夫、生きていさえすれば、いつかはなりますから。「好機恒例者」?

 あっ、月はとても黄色くて大きなものでした。ただ見ているだけで十分なくらいでした。

 空高くある白くなった月には、時に話しかけたくなります。月は願いをかなえてはくれません。けれども、ただ聞いていてくれます。見知らぬ誰かも、どこかで同じように月に願いを話しているかもしれません。それが言葉にならなかったとしても、です。月がそんな思いをつなげていてくれるような気がするのは、自分だけでしょうか。

 

 

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天使の

2021-10-23 | 日記

 今日も時雨模様の一日でした。特に午前中は、強い雨の時間もありました。

 昨日、車で用足しに出かけたのでしたが、まだ大豆の刈られていない畑が散見されました。収穫用のコンバインが、道路から遠く離れた位置にあり、軽トラックもいっしょだったので、おそらく収穫の最中だったのかもしれません。大豆の残っている畑の枚数からすると、あと数日はかかりそうに見えました。

 昨晩から雨が降り、朝方は強く降りました。そして日中の雨。畑の土はなおいっそう軟らかくなってしまったことでしょう。とにかく好天を願う。ただそれだけです。あはは、自分の頭の上のハエも追い払っていないというのに(苦笑)。

 

 みなさんのところでも言いますか? こんな言い方。人の心配より先に、先ず自分のことをちゃんとしろ、というような意味です。

 

 午後からは雨の止み間も多くなりました。

 家のすぐ後ろを通る直線道路です。この方角(東南)は青空でした。写真を撮ってから間もなく、雨が降り出しました。本当に変わりやすい天気です。

 

 雨が止んで、南西の空に、天使のはしご! デジカメを家に取りに行っている間に、様子はすっかり別になっていました。こういうのを、「はしごをはずされた」って言うんですよね(?)。

 

 もう一回チャンスがあるかなと思い、いつもの畑に行ってみました。

 あんまり「はしご」らしくない気がしましたが、まぁ、これはこれで。

 下の写真の左側に写ったものは、もみ殻です。この処分に、みんな悩まされます。以前は、焼くのがOKだったんです。それが、いろんな理由で「禁止」となりました。「禁止」となった理由が分からなくもないんですが、でも「それを言っちゃぁおしまいヨ」という気もします。農家はいまや、少数派。

 マイノリティのために、いま祈りティー 寒いでしょうか?

 

 子どもの頃、どこの農家でも、このもみ殻を燃料にできる竈(かまど)があったんですよ。お湯を沸かしたり、ご飯を炊いたりしました。竈のある場所の隅っこに、もみ殻をためておく入れ物があって、無くなりそうな時にそこに補充するのが子どもの役割でした。子どもの頃、手伝える仕事の種類と数は、いっぱいありました。

 この、無尽蔵ともいえるもみ殻も、簡便に使えるような暖房器具が無ければ、「産業廃棄物」です。天井知らずの「防衛」予算。その一部でもお金が回ったなら、もっと研究開発ができるだろうにと、じぃさまはせん無いことを思ってしまうのです。

 

 何だかこの頃、後ろ向きな話ばかりですね(苦笑)。いや、現実には前も見ているし、下も見ているのですよ。生きている限りは、誰だってそうなはずです。でも、前ばかり見ていたら、躓きます。下ばかり見ていたらぶつかります。ゆっくり進みましょう。きっと誰かつながっていると思って。

 

 でも、まだ一件もこのブログからお米の注文がありません(苦笑)。どんな形で、どんな方が一番目になってくれるのか、楽しみでもあります。

 

 

 

 

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こんなに早くちゃ でもそれで良いのかも

2021-10-21 | 日記

 昨日今日と、お米の発送がありました。というか、おかげさまでほぼ毎日のようにあります。昨日と今日は、同じドライバーさんが集荷に来てくれました。いつもお昼ごろに来てくれます。

 

 「何だか数時間前に会ったような気がするなー。昨日のことなのに」と言ったら、

 「本当に。過ぎるのが早いですよねー」と笑って答えてくれました。

 「年配者に言わせると、『年をとればとるほど、もっと早くなる』らしいぞ」

 こちらも笑ってボールを返しました。会話はキャッチボールですね。

 本当に昨日から一日経った気がしなかったのです。あまりにあっという間で。

 

 今朝、えー、もう22日か。稲刈りが済んでから、もうすぐ一か月。何していたわけでもないのに、もうこんなに日にちが過ぎてしまったのかーと思ったのです。

 例年、今月末から来月初めには冬囲いをします。これといった行楽にも行かないうちに、もう下旬なんだー、と複雑な思いがしたことでした。

 

 でも、年齢を重ねれば重ねるほど、時間が早く進むように感じられるのは、幸いなのかもしれません。小学校に入って1年生や2年生の時は、一年があまりに長く感じられて、6年間を過ごすことが気の遠くなるような長さのように思ったものでした。この先の時間の進みがそのときのような感じだとしたら、子どもの時以上に耐えられないことのような気がします。

 

 自分の動きは緩慢になるのに、それに反比例するかのように、時間の流れは速くなります。まるで加速度がついたかのように。

 「加速度」、高校の時の物理の先生が、この言葉だけ訛って、「かしくど」と言っているように聞こえました。えぇ、自分だけではありません。だからその先生のことを「かしくど」と、みんな言っていたんです。

 60を超えた今、(物理の先生のことではありませんが)あの当時とてもじっちゃんに見えた先生は、まだ今の自分より若かったはずだよなと思うと、とても不思議な感じがします。

 33才の厄年の同期会の時に、当時の担任の先生が、「あの時の自分は、今の君たちより若かった」と言うのを聞いて、みんなが「えーっ」と驚嘆の声を上げる…。

 時間の流れは、本当に不思議です。

 

 閻魔様に会うまで、あとどれくらいの時間があるんだろう(笑)。閻魔様の横にある鏡?に映る生前の自分を、ちゃんと正視できるかなー(汗)。地獄の様子は、9月?の記事、「完全チョー悪」に書いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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