風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

8月31日

2022-08-31 | 日記

 今日の午前中は強い雨でした。一日雨の予報でしたが、お昼前には青空も。

 排水路を見に行ったら、嵩がずいぶん増して、勢い良く流れていました。田んぼからかなりの水が、排水路に落ちているということでしょう。自家用の畑は、畝間に水が溜まりました。うっすらと緑に見えるすじは、10日ほど前に播いたタマネギが発芽したものです。ベージュ色?に見えるのは、播種後に薄くまいたもみ殻です。

 奥の方に見えるのは、昨日どうにか播いたダイコンにかぶせたもみ殻。冬の食べものとして、ダイコン(と白菜)は必須です。ダイコンはどうにか播いたものの、白菜は連日の雨で、畑の準備ができないままです。畑に直接種を播いた方が、生育が芳しいのですが、ポットに種を播き、今、苗を育てているところです。苗の定植適期に、畑の準備が間に合うのか、週間予報は傘マークばかりが並んでいて、何とも心もとない限りです。自家用ならしょうがないと諦めることもできますが、出荷を計画している農家にとっては、本当に心配なことだと思われます。

 水たまりに映った青空。

 カメラを構えたまま、足元にあった小石を投げてみました。波紋が広がり、でもすぐに消えました。

 こんな青空になって、気温もどんどん上がり出しました。

 そして午後2時過ぎには、一転して曇り空。時折雨も混じりました。夕方までそんな感じで、夜から明日いっぱい、また雨の予報です。今年のお米は、おいしくなれるのかな…?

 


「信じられないこと」は、ひとりの時に起きる(笑)

2022-08-31 | 日記

 朝方4時過ぎ、寝室の灯りは、10Wのナツメ球ただひとつである。ふと目が覚めた時、耳たぶに少し冷たいものを感じた。いや、冷たい何かを感じたから、目が覚めたのかもしれない。

 手を当ててみると、何かが付いている。その何かを取り除いて、身体の向きを変え、枕の上に置いてみた。黒いかたまり。おはじきくらいの大きさ。薄暗い中で、それはカエル(!)だとわかった。そんなことがありますか(苦笑)?

 

 手に触れた時の感触が決め手。すぐにぴょんぴょん動かなかったのは、自分のところに来るまでに、身体に埃が付いたからだろう。どこから入った? サッシと柱の隙間があるものなー。思考はどんどん、自分の説を補強する形で進んで行く(笑)。

 

 蛍光灯を点けて確認することもなく、掌にのせて裏口へ。外はまだ暗く、手の上のものが何かははっきりしなかった。でもカエル…。

 

 何で、自分のところに来たんだろう。しかも耳元に。何かを伝えたかったのかな?

 

 深い意味は、ありませーん。そもそも、妄想ー。

 

 ところで、今日も雨。「秋雨前線」ですって。あきらめ前線みたい。

 

 


できたてほやほや

2022-08-29 | 日記

 好天が予想されて、今朝はもやがかかっています。これが消えそうになったり、また新たにもやがかかったりしながら、青空となっていきます。建物がいっぱいの市街地だと、こんな感じの光景はどんなふうになるんでしょうか。

 

 もみじの手前、空中部分に蜘蛛の巣があり、露がかかっていて、正体(存在)がバレバレです。

 

 写真中央部の稲は、玄米から育ったものです。

 昨年、玄米を購入くださっている方が、芽が出て育ちましたよーと写真を送ってくれました。それをヒントに、何年かぶりで試してみたのです。

 

 その稲の隣に一坪くらい、違う稲が植わっています。丈が長い(長くなりやすい)品種名のでしょうか。強い風雨で、少しなびいています(現在進行形ではなく現在完了形?)。この後も、天気次第で、さらに倒れていってしまいます。これは何年か前に玄米から育て、その時に取れた種籾を、毎年つないで植えているものです。でもあまりに少ないので、脱穀するのが難しいです。道具がありません。

 

 あれれ、ピンボケかと思われそうですが、もやがかかっているのと同じ時刻に、空の一部は青空です。雲の輪郭がまだはっきりしていません。できたてほやほやなのかな(笑)?

 

 でもそれにしても、今朝の写真全体が、少し不明瞭です。もしかしたらもやがすっかり消えていない分、微細な水滴が、レンズに付いたのかもしれません。じっとしていると、衣服が湿るのが分かりますから。常に外に原因を求める凡夫です(苦笑)。

 

 久しぶりに植えた大豆といい、ほんのわずかの、違う稲といい、脱穀が悩みのの種です。昔の足踏み脱穀機は、とっくに処分してしまいました。もう一度用意したら良いのか。道楽にお金をかけるにしては、金額が多すぎます。6万円くらい?。道楽ではなく、自給にちからを入れるためなのですけど、周囲の理解はほぼありません(笑)。

 危機はそこまで。どうにか隠されてはいるみたいですけど、事態は間違いなく進行の最中です。

 

 


ままならないとき

2022-08-27 | 日記

 誰にだって、いろんな事情で、ままならない時というのがあると思います。自分以外の他者との関係という面で考えてみると、比較的思い通り生きてこれた人でも、子どもが生まれれば、自分の思い通りにならないこともあるのだなと、痛感するのではないでしょうか。おそらく、それをそういうものだと受け止めることが大事で、そう認めない限り、ストレスは軽減されないのではと思います。認めたって、ストレスがたまることもあるのですから。でも、子育てには、それ以上の何かがありますね。

 

 自分自身のことがままならないこと。これは不断にではなくとも、もしかすれば一生かもしれません。学校という特殊な環境の下で。若いころ。中高年。そして少しずつ年齢を重ねていく最中に…。

 

 子育てという機会が無い場合でも、高齢化する親とのつきあいがあれば、ままならないことを痛感する大きな機会かもしれません。そしてそれは、子どもに対するものとは、だいぶ違っていることでしょう。そういうものだと受け止めることができるかどうか。仮に受け止められたとしても、それが事態の好天につながるかは、別の問題です。

 

 職場などで、苦手な誰かとチームになって何かをする。それはいったいどんな感じがするものなのか…。

 

 思い通りいかないのは、たいていの人にとっては、おそらく当たり前のこと。自分も誰かに、ままならないと思われていることもあると思います。ほどほどでやっていきたいものだと思います。

 

 


少しずつ夏の終わりに向かって

2022-08-27 | 日記

 「地球はひとつだけど、生きている人の数だけ『世界』がある」と聞いたのは、ずいぶん昔のことです。どんな状況(場面)でそんな言葉を聞いたのか、すっかり忘れてしまいましたが、その時はあまりピンとはきませんでした。

 

 今夜は隣の市で、全国花火競技会です。歴史ある花火大会で、見物に訪れる人数も半端ではありません。何年か前から?、NHKのBSでも生中継されています。

 コロナのことがあって、今年は3年ぶりの開催となりました。あいにくの悪天候ですが、昼前から多くの人たちが会場を目指してやって来ていたことでしょう。コロナ禍以前と似たような人がやって来ているとすれば、今この瞬間にも、車や人の行列が続いていることと思われます。

 

 あまりに近い場所でのことなので、逆に強い関心が無くずっと過ぎてきました。会場に行ったことはありませんでしたが、たまたま機会があって数年前に行った時は、その迫力というか、間近で見た時のスケールの大きさに感激したものでした。でもまぁ、その時を除いて、いつも他人事のような感じです。今年は、さらにそんな感じで、さてそれが、(花火に限らず)加齢による興味の喪失なのか、それともうまく言い表せない、こころのありようのためなのか、よくわかりません。

 でもそんなことはどうでも良いのです。そうそう、生きている人の数だけ「世界」がある、でした。大きな期待とともに会場に向かっている人。大会関係者。仕事でその場に居合わせることとなった、警察官や消防士、その他さまざまな人たち。打ちあがる花火を前に、どれだけの「世界」があるのか、数えきれないほどです。

 どうか終了時まで、雨が強くなりませんように。

 

 今晩はカレー! ずーっと「バーモントカレー甘口」(苦笑)です。おいしいです。ここにも「世界」がありますね。いつもありがとう。