今日は、今シーズンでいちばんの好天かと思われるような一日でした。そして仕事の最終日でもありました。物量が多すぎて、でも自分も含め同じ立場の3人は、「最後のご奉公(笑)か」と、今日一日を過ごしたのでした。
最後の五方向、東西南北で4つだろ。もうひとつは、天か…?
最後の誤方向? 祭後の誤方向…?
今日は、今シーズンでいちばんの好天かと思われるような一日でした。そして仕事の最終日でもありました。物量が多すぎて、でも自分も含め同じ立場の3人は、「最後のご奉公(笑)か」と、今日一日を過ごしたのでした。
最後の五方向、東西南北で4つだろ。もうひとつは、天か…?
最後の誤方向? 祭後の誤方向…?
今日、こころの隙間にふと入り込んだ方言。「へちかじと」(もしくは「へちかじど」)。
同じような意味の標準語が、なかなか思い浮かんできません。秋田からよそに行った人だと、どんなふうに表現するんだろう?
たとえば、こんな使い方です。
①おいおい、このご時世、なんぼわらへだ(子どもたち)のごどしんぺぇでも(安全が気にかかるからって)、へちかちど声掛けだらだめだど。
②ほー、あのおどご、まだへちかちど、ひとの話さ くぢ出してらなー
中学校の同級生に出した年賀状に、ブログやってらよーと書き添えたけど、読んではくれてないだろうなー。
というようなことを、へちかちど書いてしまいました。
叔母が他界してから25年以上が過ぎました。60歳くらいだった気がします。お会いしたおばあちゃんは、80代後半ということになります。
とても不思議な思いがしました。叔母さんの面影はその時のままなのに、目の前にいる方は、同級生と言いながら、年相応の容貌です。仮に60歳と85歳としたら、親子と言ってもおかしくない年齢差となるわけです。
叔母さんが元気だったら、すっかりおばあちゃんになっていたんだろうなと思いながらも、そのなったであろう顔は、思い浮かべることができなかったのでした。「同級生だったよ」という言葉が頭ではわかっても、自然な形で納得することが難しい気がしたことでした。
あんだの家は、みんじゃ(台所を意味する方言です。水屋が訛った)と、居間に段差があってなー。うんうん、子どもの時のことだからよく覚えてますと応えました。
あんだの家から自分の家に戻る時に、田んぼの中、「一本杉」の近くを通って…。うんうん、田んぼの区画整理する前にあった杉の木ですねと相槌。もちろん、みんな方言でゆっくりと、です。
今度、雪消えだら、ウヂさ遊びに来て、ばあちゃんさ話ッコ聞がせでけれーと言いました。んだなー、家の人がら、連れで行ってもらうがなーという返事。それは会話が終わる時の常套句、です。「今度」が現実になる確率は、おそらく0に近いのですけど、でもそうなったら良いなと思いました。
おばあちゃんは、シルバーカーを押して、近所のおばあちゃんのところに行く最中だったのです。話を終えて、そのお宅に行こうとしたら、その家のおばあちゃんが玄関から出て、待っていたところでした。
「あやー、あんまり来ねぇがら、心配してらった(していたよー)」との声。
「あらー、ゴメンしてけれ。おれが**さんどご、足止めしてしまったんだー」 それを聞いたおばあちゃんはニコニコ顔になりました。
天気に助けられることがはっきりして、無理して急ぐことが無いと決め、歩をゆるめたら、そんな出会いがありました。この日は、ゴールに着くまで、まだ2,3の思いがけない出会いがあったのです。実は、ミスもあったのですが、差し引きプラスの素敵な一日でした。
あっ、でもその日は、「自己嫌悪」なんて書いたから、結局はマイナスだった? まぁ、どっちでもいいや。
亡くなった時から年を取らないという、当たり前のことから思い浮かんだことを、ダラダラ書いてしまいました。フラグは、いつかまた近くを通った時にでも回収します。たぶん忘れていそうだけど。
おとといの日中は良いお天気でした。まぁだんだん曇り空にはなったのですが、何より気温が高くなりました。最高気温が7度くらい。当地での3月中旬ごろに相当する温度だったようです。
いつもは寒いので、とにかく早め早めに進んでいきます。外に出たら、もう止まることはありません。待っていても天気が回復することは少ないし、何よりも、待つより少しでも前に進んだ方が、ゴールに近づくからです。
でもおとといは、そんな日常とはすっかり違っていました。背中があったかい。今シーズンはなかなかそんな日が無かったのです。なので、身体が冷え切ってしまう心配がありません。意識して、ゆっくり進みました。
途中で、あるおばあちゃんと出会いました。ずいぶん久しぶりだったので、トシナンテをとめて、声を掛けました。おばあちゃんの方でも、自分のことをすぐわかったようです。
「あらー、**さんでねぇか。おやー、ずいぶん不思議なこともあるもんだ。今日、**さんの夢を見たよ」とのこと。
夢に出てきた方の**さんは、女性の名前です。聞いてすぐにはピンときませんでした。というか、その名前を聞いて、近所のおばあちゃんのことが思い浮かんだのでした。
「もう、亡くなったんだべー。早がったなー」
こう言われても、まだちょっとピンときません。自分の思い込みが、邪魔をしているのでした。
「**さんと同級生だもの。家に良く遊びに行ったもんだー」
ここでやっと、**さんというのが、亡くなって久しいおばさんであることに思いが至りました。
このおばあちゃんとは、2キロくらいも離れた集落なので、詳しいことは知っていませんでした。加えて、自分の親たちより少し年上の人だとばっかり思っていたのです。子どもさんも年上だったので。そんな思い込みが、厚いフィルターとなって、理解を妨げていたというわけでした。
さてやっと、長い長い前置きが終わりました(苦笑)。いつものことながら、長いのです。話が長くなるのは、そこにいくつかある「綾」を話しておきたいからかもしれません。どんな物事であれ、それが起こるには、いくつもの綾があると思います。そのひとつひとつをうまくは言えないけれど、きっとそうだと思うのです。だから、思いもかけないようなことでも、起こるべくして起こった、ことがしばしばあると思います。
でも、こう書いておきながら、また中身がスカスカということもあるわけで。綾を話すことで力尽きてしまいました、なんてなったら洒落にもなりません(苦笑)。立てたフラグも回収しなければなりませんし?
そんなわけで?、続く。
おはようございます。このブログを読んでくださり、ありがとうございます。もし、初めてお越しくださった方がおられたとしたら、少しの時間、目を止めていただければ幸いです。
実際は、ほとんどがAIだったりして(苦笑)。まぁそうならそうで、AIのみなさんにもあいさつしておかなければいけません。にらまれると怖いから。いや、とっくに目をつけられているかな?
あはは、自意識過剰ですか。でも、花札で言えば「カス札」のようなブログであっても、ことごとく情報収集しているのでしょうから、AIにしてみれば、何かしら気になることを書いているかもしれません。当人は人畜無害のつもりでいますが…。
「ちょっと、ジイサン、さっきからどこ見てんだよっ」
「ん? すまんな、ネェチャン。年とったら、頭もたげて立ってるんがキツうてな…。
うわっ、ガングロって、まだおったんか!」
こんな自意識過剰もあるかもしれません(笑)。
古い歌のCDが目にとまり、購入して聴いています。ヤマハのポプコンという言葉が該当するような年代のものです。恋の歌がたくさん入っていました。
歌詞の中に、風という言葉が出てくるのがいくつかあって、そうだあの頃は「風」が、キーワードだったのかなと思ったことでした。風に自分の恋心を託したり、風を友達のように感じたり、風に無常さや時には安らぎを感じたり、とにかくいろいろでした。シューベルツの「風」。チューインガムの「風と落ち葉と旅人と」なんかは、今ブログを読んでくださっている方なら、すぐにピンとくるのではないでしょうか。
ご存じの方が多いと思いますが、「風に吹かれて行こう」も、やまがたすみこさんの素敵な曲です。メロディーだけでなく歌詞も、もちろん良いのです。時々ふとそのメロディーが思い浮かぶことがあったので、ブログのタイトルにしたのでした。毎日仕事で外に出ることが多いので、そのことも時代の雰囲気とは関係なく、風を意識する一因なのかもしれません。
そういえば、全然関係のない話ですが、「風が吹かなかった」ことを敗因として語る方も、いらっしゃいます。こんな言葉を聞く度、「それだば、ちがうべー!」とツッコミたくなります。というか、そんな認識ですかと、がっかりさせられます。
最後はつまらない話をしてしまいました。
人のことは言えません。自分だって、落胆させ続けたことでしょう(笑)。でも、期待が無くなれば、恃むのは自分と、こころが決まるのかもしれませんね。
前に書いた、「好きな言葉」には続きがありました。
アヒムサは無期待です。無期待だと、生まれるのは感謝だけなのかもしれません。
一週間は早いなー。今朝は久しぶりに除雪をしました。同じような時間でも、ずいぶん明るくなりました。日暮れも伸びましたもんね。あとひと月もしないうちに春分の日! 春分の日には卵が立つとか?
さぁ、午前中はお米の発送作業です。