風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

まよってけれ

2024-02-29 | 日記

 秋田弁で、マヨネーズをかけてほしいときに言う言葉です。

 

 「まよう」といえば、弁償するという意味になります。~ってけれというのは、してください。つまり、弁償してくださいということ。前後の言葉。言いようの強弱などで、依頼的なニュアンスになったり、強く責め立てるような雰囲気になったりします。

 子ども時代に、おもちゃの鳥愛などで壊れてしまった時、あーあ、あーあ、こーわした。まよってけれ。なんて流れになると、もうどうしたら良いかわからなくなって、泣くしかありませんでした。もちろん、持ち主の子どもだって、泣きたい気分ではあったことでしょう。

 

 形あるもの、いつかは壊れる。そんな真理に気付き、しょうがないかと思えるようになるには、ずいぶんと時間がかかりますね。いや、ずーっと納得できないことだって、きっとあることだと思います…。

 

 物であってさえそうなのですから、人のいのちや健康が壊されたら、どれだけしんどいことだろうかと思います。そう簡単には、元には戻らない。もしかしたら戻らないかもしれない。でも、だからこそ、「まよってけれ」だと思うのです。何のことだろうって、お思いになりました? テレビや新聞では伝えてはくれませんね。

 

 お昼ごはんを終えて、ローカルニュースを見ていたら、特殊詐欺の被害が出たとのニュースでした。ネットでの「副業広告」募集で、被害にあってしまったようで、なんともいたましい、気の毒なことです。このブログを読んでくださっている方がおられましたら、もし広告が表示されても、安易に乗って行かないでくださいね。どんな広告が表示されているかは、知りようもありませんが。

 

 追記です。まようを弁償と書きましたが、第一は、元通りにしてという意味です。だからおもちゃが壊れたりしたときは、子どもにとっては、どうしようもないのです。本当はお金なんかじゃない。いのちです。元の身体なんです。


えーと

2024-02-28 | 日記

 2月も残るところあと1日となりました。明日は4年に一度の2月29日。この日が誕生日という人は、割合的に一体どれくらいおられるのでしょう。自分の生まれ年はうるう年ではなかったこともあり、これまで一人も出会ったことがありません。芸能界や有名人でも、聞いたこともありません。もちろん、わざわざ調べてみたこともありませんが…。

 

 自分が生まれたころは、出生日を数日ずらして届け出るなんてこともあったようです。変更の主な理由は、子どもの小学校への入学時期に関する考え方。3月末に生まれた場合、あえて4月にして学年をひとつ繰り下げて入学。あるいはその逆のパターン。そんなことがあったそうです。確かに4月2日生まれと翌年の4月1日生まれでは、あまりに違いすぎますもんね。特に体力的な違いというかハンディは、大きいものがあります。

 そんな変更ができなくなってずいぶん久しいことでしょうが、それとは違った意味で、2月29日生まれも、もしかしたら2月28日か3月1日に変えて届けた人もいたかもしれませんね。

 

 たまには自分へのごほうびで、歩きでなく帰ろうかな。

  どうやって帰るの?

  バースでぇ。


多くのちからがつくってきたもの

2024-02-28 | 日記

 県内を北上すれば、車で一時間走っても、秋田市には到達できません。東に同じ時間走れば、岩手には到達できます。これと言って、何か用があるわけでもないですが、岩手は心理的にも距離的にも近い感じです。

 とは言っても、岩手県は全国の都道府県の中で、北海道に次いで2番目?の広さ…。当地から近い県境の自治体からさらに東に進むとなれば、ずいぶんと時間がかかります。

 

 奥羽山脈を越えて、岩手の内陸部まで、今では高速道もありますが、今回は従来の3ケタ国道を走りました。この国道と時に近く、時にはずいぶん離れた場所を、ローカル線が通っています。山並みの連なる中を、道路はもちろんのこと、鉄路の敷設に多くの力が尽くされたことを思うと、ただただすごいなーと思います。平野部ならともかく、崖っぷちのところもたくさんです。気の遠くなるような大事業であっただろうことは、想像に難くありません。

 完成するまではもちろんのこと、そもそも、ここに鉄路を通すことが決定するまで、そして完成後も今日に至るまで、多くのこころとちからが注がれていることを思うと、素晴らしいものですねー。


あー、また

2024-02-27 | 農家 農村

 7時ごろに朝ごはんを食べます。その前に、炊き上がったごはんを小さな専用の器に盛って、神さまと仏さま(神棚下の文机と仏壇)に水とともに供えるのが常です。

 その際、仏壇のある場所が暗いので電気をつけるのですが、家族それぞれ手を合わせてすぐに消灯してしまっては、あまりに短いかなと思い、自分が最後の時はつけたままにしておきます。そしてごはんを食べ終えてから、電気を消しに行くという流れです。

 この時、電気がついているか否かを別にして、本当は神さまの方のご飯だけを下げに行くのです。仏壇の方は以前は夜。最近では、お昼に下げるようにしています。カミさんに言わせると、どうして神さまだけ早くおろしてしまうんだろう?私が来た時からそうだったけど、といつだったか言われたことがありました。言われてみれば確かにその通りで、でも習慣なんてそんなものでしょう。順序というものに意味のあることもあれば、意味のないまま続けていることもたくさんあると思うのです。

 また横道にそれてしまいました。でも今日の話題自体がいつものようにどうでも良いことなので、まぁ、時間と気持ちが許しましたら、引き続き読んでください。

 

 あれっ、何だっけ?

 で、話を元に戻しますと、神さまのごはんを下げに行く時に、まず仏壇の方へ行って電気を消します。そして神さまに戻ってごはんを持ち帰ればよいだけなのですが、ついうっかり、仏壇のごはんを持ってきてしまうのです。そのため、当初の目的であった、神さまの方は素通り。あっ、と途中で気づくこともあれば、台所まで持ってきてから気づくこともあります。何と申しましょう。これが加齢なる世界のひとコマであることは、疑いの余地もありません。今朝は、保温ジャーに器から落とした瞬間、気づきました。気づくのが、だんだん遅くなってる…。あー、またなのでした。

 でもこんな報告をしばしばしていたら、お米売れなくなりますよねー。

 

 というわけで、我が家の神さまは、たぶん早飯早食い。一方、仏さんは、のんびり食べてるってことになります。今朝は全部食べないうちに、取り上げられてしまったのでした。


ファイナルアンサー

2024-02-26 | 日記

 先だっての投稿に。農業団体の見解を聞いてみたいなどと書いたものだから、さてどうなるかと思っていいたら、ていねいに書かれた見解が県内紙の投稿欄に載りました。

 

 その中身は残念ながら、心配したことに対する答えにはなっていない気がしましたが、でもそれはそれでもうしかたがないのだなと思っています。誰のためなのかはわかりませんが、もう後戻りできないところまできているのでしょう。

 農家からお米を買い上げるJA等が、「こまちR」でなければ買いませんとなれば、農家はその思いはどうであれ、こまちRを栽培しないわけにはいきません。一向に気にならない農家であれば、それこそ何の問題もないことでしょうが、できるなら植えたくはないという農家にとっては、何とも不本意なことになるかと思います。これもまた、仕方のないことといえます。

 

 そんな状況なのですが、でもそんな中で、「どっこい生きている」ではないですが、従来のあきたこまちで消費者とつながる、つながっているというのをアピールするのも、楽しいんじゃないかと思っているのです。

 通行量の多い道路沿いに、2025年産あきたこまち絶賛予約受付中、数量限定なんて書いた看板をこの春から立てたら、なぜ今から2025年産?などと、関心がもたれるかと思います。そうなったら、それが単純に売買につながらなくとも、なし崩し的に「R]に全面切り替えされるのが、何とか食い止められるんじゃないかなと…。要は栽培したくない農家と、これまでのこまちを食べたい人が結びつけば良い話で、事ここに至っては、それ以上のことにこころを砕く必要はないだろうと思います。

 前にも書きましたが、どんなことであれ、ひとつの考えにしなければならないというのは無理な話ですし、なによりも傲慢なことでありましょう。気にならない人は食べれば良いし、なんとなく心配という人は、食べなければ良いだけの話です。ただ、これまでのこまちを栽培したい、食べたいという人は、手あぐらかいていては難しいことになります。動いて初めて、それが可能になります。だから知恵を出して楽しく。

 

 たまたま夜についていたテレビ番組で出た問題(の正解?)。一世帯当たり年間約68万円の食費の内訳…。お米は2万弱!

   オー米ガー! それが現実なのかなー? そうだとすればなおさら、気にならない人のことまで気にする必要ないということになるのかなー(笑)。

 お付き合いをいただいているみなさま。あらためて、ありがとうございます。