風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

暗い話の次は、お年寄りのユーモア

2023-10-20 | 農家 農村

 高齢者のユーモアといえば、何と言ってもちょっと色っぽい話です。

 「人の悪口、ご近所さんの悪口なんか言ったって、誰も楽しくねぇべ。せば、ちょっと色っぽい話の方が、誰だって笑えるから良いべ」

 

 素直にうなづくのがためらわれるような、強引話法(笑)。でもまぁ、そんな時代もあったのでしょうから、それはそれで良しとして…。

 

 くだんのおばあちゃんは、話好きな人。もちろん、ツヤっぽい冗談も全開です。もう90歳近いんですけどねー。電動のシニアカーに乗ってあちこち動いています。

 

 ばっちゃん、どごさ行くところ?と聞いたら、

 「男を拾いに行くところだー」との返事。

 あんまりおかしくて、「誰が落ちでらっけがー(誰か落ちてた)?」と聞き返したら、

 「この前だば、誰もいねっけ(いなかった)。ひとりもいねっけ」だったそうで、何とも残念そうでした(笑)。

 

 元気なお年寄り(の姿)を見ることが、ほとんどなくなりました。いや、お年寄りのみならず、子どもたちの姿も。自転車に乗る高校生の姿もほとんど見かけなくなりましたねー。家の人の車で送迎という感じです。


若いときはいっぱい頑張っただろうにナー

2023-10-20 | 農家 農村

 昨日、道端の畑でタマネギを植える場所を作っていた時、近所のおばあちゃんに声をかけられました。

 「今いそがしいべ?」 

   「なんもだ。なにした?」

 「あのよぉ、オレの覚えてるあるおばあちゃんが、息子が入院しているけどもうダメみたいで、でもお金が無くて、家に連れてこられなくて、どうしたら良いかと相談された。何とすればえぇべ?」

 

 家に連れてこられないというのは、病院に払うお金がない、葬儀を出す費用が無いというような意味のことでした。生活保護受けてるみたいだけども、そんなことになったら、全然足りないべとのこと。確かにその通りだと思いました。又聞きで聞かせてもらった「あるおばあちゃん」の状況は、にっちもさっちもいかないところまで来ている感じでした。

 「オレだってよぉ、じぇんこじっぱりあれば助けでやりでども、オレだって助けでもらいだいくらいだもの。何とへばえ」

 そう続けたおばあちゃんに、「まず、その人の地域の民生委員さんさ相談してみるように言ってみれば良い。民生委員の人が、解決さつながるような場所に話ッコつないでくれるべ」と言いました。

 

 なんとも気の重くなるようなことが、そこかしこでたくさんです。そしてつくづく、誰かを助けるって、簡単なことではないと思います。

 あー、我が家も家が傾いたり、床がフカフカして危なくなっていたり、雨漏りがしているような音が聞こえてきたり…。

 解決の糸口は、どこを探しても見つかりません(笑)。

 

 


♪あの頃は ハッ! ふたりとも 後半

2023-10-20 | 日記

続きです。

 

 さぁ、52才凡夫が、春の田植え直後の光景に続き、またまたファンタ爺を自覚した一瞬でした(笑)。こんなことをしている場合じゃありません、ということで、稲の無いのを良いことに田んぼの中を50メートルくらい歩きました。月の明かりは思いがけないほどに明るくて、だだっ広い田んぼの中にぽつんといる自分が、もしかすれば誰かの眼にうすぼんやりと見えるのではないかと思われるほどでした。花火を見たのは、ほんの二、三分のことです。それで充分でした。家に入る前にもう一度、影が現れた場所に立ってみました。思い描くような影の動きが見られるかと思い、前後左右に数歩、行ったり来たり。でも、ハッと思い、すぐやめました。誰かの眼に止まったなら、私の行動は怪しいのひと言に尽きます。貴公子ならぬ奇行師、ファンタ爺どころか、ヘンなオジサンと言った方がピッタリではないですか!

 

 田んぼにはもう稲が無くなっていて、稲刈りと同時に切り刻まれた稲わらが、無数の切り株のすき間を埋め尽くすように、敷き詰められています。あぜに残った草の緑以外は、一面、枯れ草色となったその田んぼを、月が照らしていました。月はあまねくすべての田んぼを照らしているのに、風はどこでも思うように吹いていたのに……。あの日から始まった光景もまた、照らし続けているのだな、そこにある田んぼや畑、農夫の姿も照らし続けてきているのだなと思うと、稲の無くなったこの田んぼの様子が、ただただ、ありがたくもあり、切なくもあり、でした。

 

 今年の米は昨年のものにくらべ、良くできたと思っています。味は、定かではありません。みなさまの感じるまま、です。昨年の米は、精米してみるとはっきりわかるのでしたが、縦に筋状に白く濁った部分が多くありました。どうしてそのようになったかという理由が、研究機関などからいろいろと出されたなかで、おやっ?と思ったことがありました。異常な高温がその主な原因であったことはもちろんですが、その記述の中で、「米粒が白く見えるのはどうしてか?」ということが書かれていたのです。「白い」ではなく、「白く見える」、です。説明の内容は忘れてしまいましたが、この違いだけは妙にこころに残りました。眼に見えるいろんなものが、「*色」ではなく、「*色に見えている」ということなのでしょう。不思議でした。その説明とは少しズレると思いますが、同じものを見ても、光の強弱や、時には気分によってさえ、少し違った色に見えます。みんなで同じものを見たつもりでいても、色についての認識は微妙に違っていたりもしますね。髪が薄い、のではない、薄く見えているだけなのだという、大きな勘違いを力ッコに、この先もガンバッテいこうと思いました。

 「天高く、いま超ゆる秋」。でもどうぞ、体重だけは今を超えませんように!


あの頃は、感性も豊かだったなぁ(苦笑) 前半

2023-10-19 | 日記

 前回卯年、10月の便りです。

 

 10月9日、いわゆる「三連休の中日」です。全国的に秋晴れが予想されています。きっと人出の多い一日となることでしょう。まだ稲刈りが終わっていない田んぼも、この時期としてはずいぶん見られます。人の動きが活発となってあちこちがにぎわい、農家の遅れている作業もはかどるよう、今日明日はぜひ晴れてもらいたいものです。雨はいたるところで、充分すぎるほど降りました。

 今年の稲刈りは、全体的に遅れ気味です。先月下旬、多くの農家が、いよいよ取り掛かるぞ!と思ってから、何日か雨でした。和賀屋で始まったのは23日、彼岸の中日(ちゅうにち)と言われる日です。それから7日間は晴れが続きました。その後は、降ったり晴れたりが交互にやってきて、雨の日が多かった分、稲刈りは遅れているというわけです。和賀屋では5日に無事終わりました。

 昨夜はドーン、ドーンというような音が聞こえ、花火なのだな思い、外に出てみました。隣の大仙市は、8月の下旬に行われる花火大会が有名なところですが、その日以外にも、時々花火が上がる音がします。外に出ても、その方向には視界を遮るものがあって、200メートルくらいは田んぼの農道を歩かなければ見えません。普段は、音が聞こえてもわざわざ見ようとは思わないのですが、昨夜は自分でも珍しいことに、出てみようと思ったのでした。秋の澄み切った夜空の

綺麗さも、足を外に向かわせた一因だったかもしれません。

 

 家の後ろすぐ、一本の道路が横に通っています。その道路に沿って前方に、田んぼが広がっています。花火が見えるところまでと思い、農道をほんの少し歩いた途端、驚いてしまいました(この話の先に、あまり期待しないでください)。目の前に、すーっと影が現れたのです。もちろんそれは自分の影でしたが、それがほんの一瞬の時差で、大小二つになったのでした。思わず振り返りました。十三夜の一日前の月が、真後ろ高くあります。そして、道路の脇に一本の外灯があったことにあらためて気づいたのでした。凡夫と外灯、そして月が、ほぼ一直線になった瞬間に、ふたつの影が音もなく現れたのでした。歩をそのまま進めると、大小の影たちは、照らされる角度が変わるためでありましょう、ひとつは縮み、ひとつは伸びていきます。それは自分の数倍もの長さであったり、子どもと同じような低さであったりしました。あるいは外灯からの距離によって、影の濃淡に変化が生じ、子どもの自分が薄くなったり、見えなくなったり。大きい方の影にも、同じようなことが起こっていました。試みに横へわずかに動いてみたら、影は斜め二方向に、それぞれ分かれました。このとき、影の大小や濃淡、出現方向の組み合わせは、おそらく無限であったに違いありません。

 


花ッコ きれいだなー

2023-10-19 | 日記

 

 イヌサフランが咲きました。

 

 もらってすぐ植えた球根がずっと芽が出ないままだったのですが、芽が出たと思ったらどんどん生育が進み、花が咲きました。花が終わったらどうなるんだろう? 状態が良ければ、球根が増えるんだろうか?

 まぁ、それはそれ。今は花の咲いたのをただただ喜びたいと思います。というか、咲いているのを目にすると、それだけでうれしい気分になってきますねー。

 そういえば、今はチューリップの植え時。人はパンのみにて生きるものにあらずだけど…。