風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

春祈祷

2022-01-29 | 農家 農村

 農家農村と言えば、神社とのつながりは深いものです。きっと稲そのものが、神様との関係を抜きには語れないからでしょう。でもその関係については、少しも知識がありません。

 毎年1月後半から2月初め頃、「春祈祷」と言われる行事を、多くの家でやります。地元の神主さんが、それぞれの家を訪れて、1年の無事を祈念してくれるものです。

 神棚。いつからあったかわかりません。

 終了後、パチリ。神棚の下に置いた文机。ご燈明。水、酒、煮干し、塩、そしてお米を供えています。あっ、みかんも。 

 つつがなく済んだ後、新しいお札と御幣?を置きました。

 

 稲の種まきの日、田植えの日、収穫した日。新米を炊いた日。いろんな節目の時に、こころのなかで報告します。それ以外の日も、毎日。

 でも、初詣など、神社に行ったりはしません。別に何か特別な理由があるわけでもなく。

 

 

 

 


ほんの一瞬、青空になりました

2022-01-29 | 日記

どうなってるんだー。

 こうなってるんだー。

 だいじょうぶかー。

なんもだー、だいじょうぶだー。

 

 おが ひとのえ 撮るなよー(あんまり他人の家を写すなよー)

わがってらー(わかってるー)

 

 上の写真撮ったどごろで、振り向いで撮ってみだー

ブルドーザーで雪寄せでもらって、山なってしまったー

山の前で左さ曲がれば、おらのえだー

 おがこんたどごばりめへれば だれもこねぐなるどー

 んだがもしれねー

 

 

 

 


リメン婆 ノスタル爺

2022-01-27 | 日記

 マッチをうまく擦れて、ポッとひろがる炎にあわてず、火をつけることができた時。缶切りでうまくフタを開けることができた時。背伸びして、柱時計のゼンマイのねじをじゅうぶんに回せた時。そんな時に、なんだか少しうれしくなった。

 

 引き出しの奥から少しさびた缶切りが出てきたのを見て、そんなことを思い出した。


1月26日

2022-01-26 | 日記

 今日で8日間ほど、朝の除雪がありませんでした。まったく降らなかった日が、8日間続いたというわけではないのです。その中の一日は、朝起きた時はほとんど降っていなくて、ご飯を食べる頃から猛烈に降り出し、お昼ごろまで続きました。この日は、お昼近くに除雪をしています。

 除雪をしなくて良い日は、本当にホッとします。5時半頃から約一時間くらいかかります。機械が雪を飛ばすとはいえ、それを運転操作するのは人間なのですから、朝いちばんの力仕事となります。

 雪の降る日は大型の除雪車が、すべての道路の除雪をします。午前1時に始まって、7時頃までかかるのだそうです。ご苦労多い仕事だと思います。ありがたいことです。

 気温が少し上がり出したり、降らない日が続いたりすると、これからの時期は道路の路面が顔を出すようになり、少し走りやすくなります。ただ、道幅が狭くなったままなので、細い道路などでは対向車とすれ違う時に、気を使わなければなりません。

 

 道路の路面以外は、ほとんどすべて白一色です。地域によって積雪量の多い少ないはありますが、今の時期はどこでもそんな感じでしょう。当地は、田んぼに1メートルくらいの積雪があるかと思います。

 白一色の中に、個人の住宅やそれ以外のさまざまな建物。道路だけが顔を出している。空から見たらどんなに興味深い感じに見えるのでしょう。鳥になってみたい気分です。どらえもんの竹コプターがあったら、簡単にできそうですね。

 

 今夜から、また降りそうな予報です。でも少しずつ雪も間遠になっていきます。来週は立春。行きつ戻りつ、でも季節は少しずつ先に進んでいるようです。

 今日は、天気に助けられ、道路状況にも助けられ、郵便物の数にも助けられて、「わっぱが」が早めに終わりました。1シーズンに2,3日はこんな日があります。隣市の駅が始発のローカル線にでも乗って、ぼんやり車窓を眺めてみたい気がしましたが、自粛してしまいました。

 


そういえばそうだった

2022-01-23 | 日記

 昨日、隣市に行く途中で、ある人を見かけました。その人とは何の面識もありません。ですが、数十年前、若くして伴侶の方を亡くしたことは知っていました。その時、まだ小さな子どもがいるということも、聞きました。

 そのことを知った時(誰かから聞いたのです)と、自分が父を亡くした時のどちらが早かったかは、今では思い出せません。ただ、誰かから、「お父さんが亡くなって、きっと大変だろうあなたが、どうにか苦境を乗り切っていけますようにと思った。その時、あなたに直接は言わなかったけどね」と聞いたことがありました。その話を聞かせてくれた「誰か」が、その本人だったのか、あるいは自分の知らない「誰か」が、そんなふうに言っていたよと、「誰か」に聞いたのか、いまではあいまいです。でも、親の世代の人であったことは確かです。ややこしい話になってしまいました。

 

 隣市に行く際、道路沿いにあるその家の前を必ず通ります。亡くなったと知ってしばらくは、「大変だろうけど、どうにか苦境を乗り切っていけますように」と思ったことでした。

 その人や子どもさん、そしてそこの家の人たちが、どんなふうに過ごしてきたか、今現在どうなのかなどは知る由もありません。知りたいという気持ちもありません。でもふと見かけて、元気でありますようにと願ったことでした。

 

 自分が誰かから、気にしてもらったというのは、ありがたいことでした。その思いを直接聞いたわけではないけれど、だれかがそんなふうに思ってくれたということは、何ともありがたいことでした。

 何年間かは、「苦境?」を乗り越える以上のことを期待されたこともありましたが、その「期待」に応えることなく過ぎてきて、現在に至ります。その時から30年になろうとしています。「それぞれの道」のひとつを歩いてきて、いまみなさまとご縁をいただいているということになります。どうにか元気で、引き続きこの道を歩いていきたいと思っているところです。