風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

生まれた話のはずが、なぜかコロリ地蔵

2022-02-27 | 農家 農村

 今日の晩ごはんの時は、子どもが生まれた時のことで、いろいろ思い出話が出ました。とてもうれしかったし、大きな出来事だったのに、その日の記憶はどんどんあいまいになってきています。妻の方は当事者なので、覚えていることはたくさんです。ゴメン、お母ちゃん。

 子どもが無事生まれることは、何にも代えがたい喜びです。当時の風習として、産んで3週間後に親類の人たちを招いてのお祝いがありました。親戚が集まった時、「今度集まってもらうのは、自分が逝った時だな」とポツリと話した祖母が、その言葉通りに急逝したのは、お祝いの日から10日くらい経った日でした。体調を崩して寝込んでいたわけでもなく、事故にあったわけでもありません。朝普通に起きてきて、その後亡くなったのでした。

 

 今でもありますが、「コロリ地蔵」というのが、県南部にあり、長く寝込むことなくコロリと逝けるようにと、祖父母たちはお参りしたものでした。そして、念願かなってその通りとなりました。

 その年も雪が多く、消えるのも遅くて、3月の末というのに、田んぼはもちろん宅地にもずいぶん多くの雪が残っていました。

 その時から**年が過ぎました。もうそんなに経ってしまったかという思いと、まだそれくらいしか経っていないのかという気持ちが、不思議な形に入り組んでいます。

 

 「コロリ地蔵」は全国各地にあることでしょう。祖父母や近所のお年寄りが行ったその場所がどこだったのか、少し気になる年頃となりました(苦笑)。

 生まれたばかりの子どもの指に、とても小さな爪が付いているのを見て、良くまぁ、忘れずにくっつけてきたものだなーと妙に感激したことを、これを書きながらふと思い出しました。

 

 


♪ しろいあずきをー ゆでるのはー

2022-02-27 | 日記

なにかわけでも あるので-しょうか?

 このブログに立ち寄ってくださる方々は、どんな世代の方が多いのでしょう? 題名は、チェリッシュのヒットした歌のフレーズです。

 昨日の最高気温が6度台となった当地。どうやら今日もそれくらいになりそうです。昨日降ったものは、雨でした。これからの時期の雨は、「雪消し雨」と言われたりします。

 餅、煮豆、鍋など、寒い時期の食べものですね。もちろん、年中食べて一向差し支えないものですが、自分の場合、身体や気持ちがそれらを求めなくなります。

 金時豆は何度も煮て食べました。粒が大きいことと、虫害の豆が少なくて、選別が容易だったためです。白小豆の方は、なかなかそんなふうに行かず、やっと茹でることができる状況になりました。

 

 

 


笑ったよ でもおかしくてじゃないんだ

2022-02-26 | 日記

 2月も残りわずかとなりました。同じ「豪雪」であっても、昨シーズンは年末から集中的に降り続いて、2月に入ってからは落ち着きました。今シーズンは、2月半ばを過ぎてもひどい雪の日がありました。

 

 昨シーズン、2月のある晴れた日のこと。配達先で(家庭用としては)大きな機械で、除雪作業を始めようとしている女性がいました。もともと知っている方です。

 「おはようございまーす。今日は、晴れてとても気持ちが良くて、何をするにも良い日和ですねー」と声を掛けました。

 「ホントだねー。何もしなくて良いなら、もっと良いんだけどー」と言いながら、女性が笑いました。

 思わず自分も笑ってしまい、「あぁ、ほんと、そのとおりですー。気を付けてー」と言って、そのお宅を後にしました。

 

 トシナンテに乗りながら、何秒か過去のそのやりとりを反芻しました。いっしょに笑った(短い会話を楽しんだ)けど、その人の言葉を深読みするなら、その奥にはもう少し別の意味もあったように思われました。いや、たわいもない会話を言葉通りに受け流せば、それで良い話なんです。自分がそこに何かしらの意味を付け加えようとしたのは、傲慢?であったのかもしれません。自分の思い込みを確かめるすべはありません。もちろん、確かめる必要もないことなのです。それどころか、そんなことを考えたなんて知られたら、失礼の極みだったことでしょう。

 配達の最中に、雪寄せをしている人や雪下ろしをしている人と何度も会います。声をかけられたことがある人には声をかけ、そうでない人でも面と向かい合った時には、「降りますねー」とか「もういい加減にしてほしいですねー」というような当たり障りのない言葉をかけます。屋根に上っている人には、こちらの存在に気づいたときだけ、「気を付けてー」と声をかけることもあります。口にしてもどうしようもない(雪が落ち着くわけでもない)けど、そこで二言三言話すことで、何となく気持ちがほぐれる気がします。もちろん、ほんの気休めなんですけど。

 

 うれしさ100%の笑顔だったら、これに勝る幸いはありません。笑いの中には、ほんの少し哀しさや淋しさがある…。もちろんそれは、「秘すれば花」なんです。そんな気がするのは自分だけでしょうか。

 

 

 

 


台本Aはっぴょう

2022-02-25 | 日記

きっと、よろこビーそう。

 

 大きな文字でセンセーショナルに、そして単純に書け。

 数種の短い映像を、何度も繰り返して見せろ。

 ここに至ったいきさつは省略しろ

 誘導したい方向に大多数を導くような「街の声」を拾え。

 一方は「意向」と言い(書き)、もう一方は「思惑」と言え(書け)。

 

 

 とりあえずこんなことを繰り返していれば、ヨーシ。涙にくれる女性の顔も忘れるなよ。

 

 オリンピックに多くの時間をあて、それが終わったタイミングでこれですよ。

 こどもへの例のものについては、考えるいとまをあたえません。不安の中で、結局はズルズルと…。すでにがいこくでは、正式な機関などで、深刻な結果(数字)がほうこくされているのですけどねー。

 

 喜ビーそうなのは、ごく普通の人たちじゃない。危機に乗じておこぼれにあずかろうとしているひとたちでしょう。G(爺)層の肩寄った思い込みでしょうか?

 


薬にも毒にもならない話

2022-02-23 | 日記

 2月の後半ともなると、雪の様子も少しずつ変わってきます。わずかながらも気温が高めとなるので、1月に比べて水分を多く含んだ雪になります。具体的には、雪のひとひらひとひらが大きくなるのです。時には赤ちゃんのにぎった手の大きさくらいのことも!

 それでも、一日中降り続くということがまれとなり、一日のうちで天気が目まぐるしく変わることもしばしば、となります。そうです、赤ちゃんの手くらいの時は長続きしません。あるいは小さな粒の雪が、急ぎ足で落ちてくることもあります。アスファルトの道路の上に落ちた瞬間、粉々に崩れてしまいます。耳をすませば、道路に当たった時の音が聞き取れます。でもイメージ的には、ぶつかった音というよりも、割れた音のように感じられます。

 冬の初めごろには、「ゆぎッコ(降ってきた)」と言いました。すっかり冬となり、連日のように降ると、もう誰もが「ゆぎ」と言うようになります。そしてこの頃からまた「ゆぎッコ」になります。ッコは秋田弁でよく使われる語尾。物の名前がやわらかくなります。

「お茶ッコのんでけれ」「さげッコつぎますか?」「刺身ッコさ 醤油ッコもう少し」「新聞紙つなぐひもッコ どごさいった(どこにある)?」「買ってこえばええもの(買ってくればよいもの) 紙ッコさ書いでけれ」

 

 雪に「ッコ」が付くようになると、それぞれのひとのこころの中には、春が来始めているということになるのかもしれません。実際の季節より、ずっと早く。

 

 ■「2月の寒風は、馬の尻をも通す」

 おとといは、おそらくこの冬一番の大荒れの日でした。吹雪のさらに上を行く状態。視界ゼロと言った感じで、それが一日中続くのですから、道路の通行はとても危険でした。そして風が強い分、体感温度もかなり低く感じられました。冬の最低気温が出るのは1月下旬から2月上旬の頃と言われています。でも下旬であっても、こんな日もあるのです。

 

 ■2月のふき(吹雪)と酒癖の悪いおなごは家に入りたがる

 風除室どころか、サッシなどない古き時代。玄関や裏口、窓などには隙間がたくさんありました。2月の吹雪は不思議なんです。強い風に翻弄されて、隙間から家の中に入ってくることが多くなるのでした。

 言葉をそこで止めればよいものを、言葉遊びと言うのはおもしろいものです。酒癖の悪い女性も、家に入りたがるのだとか。

 うーん、そんな経験が無いまま、今日に至ってしまいました。