風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

取り放題で、本性まる出し

2021-10-31 | 日記

 今日はくもり空。立ち木の冬囲いをしようかなと思っていたら、柿もぎのお誘いをもらいました。

「遠慮しなくて良いよ。いくらでも取って行って」と言ってもらい、あはは、うれしくて仕方ありません。柿の木を植えているお宅の人は、すでに一回もいだそうで、じゃあ行こうとなったのでした。

 鈴なりです! ずっと後ろの方には、す、すきです。普通に言わなきゃダメでしょっ!

 

 お日さまの光が多すぎて、鈴なりの柿が見えません。今回は連れと二人で行きました。誰ですか、猛母参戦だなんて。誰も言ってません。アンタだけ。

 どさくさにまぎれて書くと、子どものスポーツの大会で、大きな声で応援している親御さんがいました。あまりにも言い過ぎで、聞くのが辛いような場面もしばしば。あんなことが、昔話だったら良いんですけど。猛母参戦は、ただただイタイだけです。孟母三遷は、フトコロが痛くなりますね。

 

 いっぱいもがせてもらって、その後もう少し山際に行ってみました。

 もうすっかり紅葉です。

 向こうに写った小さな山(右側)は、前の記事に書いた**山。

 ここは以前、村が整備して作った公園で、維持管理も村が行っていました。平成の大合併で、当初は新しくできた町がそれを引き継いでいましたが、人口減少、自治体行財政改革等の理由で、やめました。

 この公園に来ることはめったにありません。でもとても身近な人が関係した公園だったこともあり、ここに来るとさまざまな思いが浮かんできます。

 


冬囲い

2021-10-30 | 日記

 今日は好天に恵まれました。もやがすっかり晴れたのは、9時半を過ぎてからでした。

 数日前から、体調に変化があり、仕事に精が出ません。ちょくちょく熱を測ってみるのですが、常に平熱。においや味の感覚も、いつも通りです。鼻水、くしゃみ、せき、何だか花粉症を思わせるような症状なのです。不思議な感じです。

 

 それでも、ほんの少し冬囲いをして、夕方いつもの違った場所の写真を撮ってみました。

 日暮れ間近です。

 少し引き寄せてみました。

 もっと引き寄せたら、何だか怖い感じになりました。一部分を切り取ると、雰囲気が変わりますね。鳥の目、虫の目、両方大事です。魚の目は大事にしなくて結構。

 ちょっと場所を変えて、北の方に向けてみました。ほぼ同じ時間なんですよ。

 そしてまた南西方向。

 

 車で10分くらいのところに、温泉やキャンプ場があります。りんごの直売所もあって、小分けしたリンゴが売られていました。キズありのお買い得品を2袋買って帰りました。軽トラックの中にひろがるリンゴの匂いが、何とも良い感じでした。

 味はどうなのか…。安かろうまずかろうでないことを願って(笑)。

 


過去の11月お米の便り その1

2021-10-30 | 日記

240便 17.11月

 10月31日です。今回のオリコメは、珍しくも発行の前月に書き始められています。のんびりが身上(?)の凡夫に、いったい何が起こったのか。これからは、こころ構え新たに、「none ビリ」で行こうと思った…。ふとダジャレが思い浮かんだので、ソレッとばかり、パソコンに向かってみたのでした。「のんびり」と「noneビリ」、「ひがみ」と「非がme」。何だかうまい言葉遊びではありませんか。著作権はありませんので、いつでもご自由にお使いください。誰が使うか、そんなモン(笑)。

 一昨日(29日)あたりから、台風の影響でしょうか、当地もまとまった雨が降り、暴風ともいえるような風が吹き続けました。今日はいくらか弱まったとはいえ、強い風はまだやむ気配がありません。加えて、とても冷たい風です。室内でその音を聞いていると、冬の訪れを、否が応でも感じざるを得ません。まだ(また)、冬来るナー。そんな言葉が口を付いて出そうな、今日の天気です。

 この秋も、当地は天候が不順でした。いや、当地ばかりではなかったことでしょう。全国いたる所でそうだったかもしれません。それはそれとして、10月の好天の日は少なく、ずいぶん遅くまで稲の残っている田んぼが、あちこちにあったのでした。今年は稲の出穂が遅れ、その分、稲刈りの開始も遅れました。「残暑」というものがほとんど無かったせいでしょうか。いつまでも青い(濃い緑色)のままの稲が多く見かけられました、そのため、中には、もう少し実らせようと稲刈りを遅らせた農家もありました。今年の玄米の中に緑色の米粒が目立つのは、そうした理由からです。

 けれども、天気は一向に、望むようなものとならず、遅れた分だけ稲刈り作業は大変なこととなりました。雨の日が続くにつれ、田んぼの土が軟らかくなって、機械が難渋し、方向転換の度に田んぼを傷めます。そして何より、ここは日本海側。秋の深まりとともに、晴れの日が少なくなり、「晴れ」の予報の日でも、もやがなかなか晴れなかったり、曇りがちであったりします。そうしているうちに、稲は活力を失ったような様子となり…。稲刈り終了まで長くかかった農家の人たちは、本当に大変だったろうなと思わずにはいられない、「収穫の秋」でした。

 そんな状況だったのですが、さて、新米いかがでしたかー。うわぁ、正直な感想言おうと思ってたけど、これじゃ言いづらいナーなんて遠慮はなさらず、お知らせくださればうれしいです。いまさらお米の味はどうこうできるものではありませんが、こんな年にどんなお米になったかというのは、知りたいものなんです。ちなみに、和賀屋では10月始め、長雨直前に稲刈りを終えることができました。機械に大きな故障がでなかったことが幸いしました。今月は後半もお米の話題ですよー。

 

 今朝9時を少し過ぎたころの様子です。いちおう天気は晴れの予報で、もやの上は晴れているはずなんです。

 タマネギの苗が、うまく根付いたようで、ホッとしています。左は自家育苗。右は購入苗です。

 はらぺこあおむしと仲良く?

 


記録に残らない日常が、いくつもありました。これからもそう

2021-10-29 | 農家 農村

 数日前の夕方、近所のお宅に行ってきました。冬の除雪について、少し話をしたり聞いたりしてきたのでした。

 それ以外の話もしたのですが、その中で飯米の話題が出て、この齢になって気づかされたことがありました。

 

 農家が新米を口にするのは、年を越してからのことが多いと思っていました。自家用の保有米は、緊急時のことを考えて、多めに確保しておくのが普通だと思っていたのです。

 緊急時とは、第一に冷害による不作のこと。いまでこそ、「冷夏」はまれとなりましたが、以前は今より多かったのです。その次に考えられることは、冠婚葬祭などによる突発的な人寄せです。人が集まれば、お米もその分多く消費されます。昔の人ほどお米を多く食べたのですから、それに備える必要もありました。毎年そんなふうに多めに確保するのですから、新米を食べるのが年明けどころか、春になってやっと、というようなこともあったと思われます。でもおそらく現在は、そこまでではないかと思われます。

 

 数日前まで、ずっとそんな認識でしたが、それがちょっとした話の中で覆されるとは、夢にも思いませんでした。

「父さん(私のことです)の家ではそうでなかったと思うけど、秋には現金がたくさん必要になるから、米の値段が安くなったりすると、自家用米が足りなくなるとわかっていても、売ってお金に換えてしまったんだよ」と言われたのです。

 

 目からうろこでした。昨日書いた「ウソではないけれど本当でもない」は、別のことについてだったのですが、まさにこのことも、自分のこれまでの認識が、ウソではないけれど本当でもないの、一例だったのでした。

 この言葉を聞いたあと、いろいろと考えたことや思い浮かんだことがありました。昭和初期の農村の疲弊。戦争への道。子どもの頃の暮らしの記憶。断片的な認識や記憶が、その言葉の周りに、少しずつ集まってきたような気がしました。聞いたからどうなる。聞かなかったからどうなるというようなことではないけれど、でも何かしら、忘れてはいけない言葉のひとつと思えてしかたがありませんでした。