風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

たださべねばりだ

2023-09-30 | お年寄りの名言

 どこの家だって心配事のひとつやふたつはあるもんだ。ただ言わないだけだ。

 

 祖父が生前ふと口にした言葉を、何かの拍子に思い出すことがあります。今日、近所の一人暮らしのおばあちゃんと話をしていて、ついそんな言葉を口にしてしまったのでした。自分の親のような年齢の人に、下から「上から目線」だったのです。ですが、もしかしたらそれは、自分自身に言った言葉だったのかもしれません。

 

 祖父でなくとも、この言葉は、多くの人の語るところでしょう。そして、その後に、こんな言葉が続くと思うのです。それはいくつかのパターンがありそうですが、できればほんの少しはポジティブなものであればと思います。

 

 昨日は中秋の名月。枝豆をもいで、夜、お酒のつまみとしました。

 

 数日前より、ブログを無料版に変更。いろいろ広告が表示されて、みなさまには閲覧しづらくなってしまったかもしれません。

 


おめだなの オレより「げ」なだ

2023-09-27 | 農家 農村

 方言って、何言ってるかさっぱりわからないですよねー。話している方は、決して早口でしゃべっているつもりはないのですが、聞いている方からすれば、とても早く聞こえます。いや、早かろうがゆっくりだろうが、意味は分からないんです(笑)。

 

 それで、今日のタイトルを直訳すると、おまえさんたちなんか、オレよりもっとひどいだろうさ、というようなことになります。

 これがどういう場面で使われるかというと、高齢者が若い、いや、我が子(世代)に対してだから、「若い」わけでもないですね。まぁ80代の人が、60代の息子夫婦にでも言っていると想像してください。あっ、念のため書き添えますが、これ、我が家の話ではなく、よく聞く一般的なことです。

 

 80代以上の親等が、ちょこちょこ何かを忘れたり失敗したりした時に、ついつい責めたりしてしまうと、当人がタイトルのように応えるんです。「(自分なんかまだマシなほうだ。)お前さんたちが自分と同じようなトシになった時は、今の自分より、もっとひどいだろうさ」と。

 

 近所のおばあちゃんが、お姑さんにしばしばそう言われたもんだと笑って話したのを聞いたことがありました。そのおばあちゃんも、いつの日からか、自分の子どもにそんなふうに言うようになったと耳にしました。

 

 くやしいかな、もし仮に子どもが年齢を重ねて自分より「げ」になったとしても、その姿を見ることは、決してできないんですよね。そうわかっているから、そうわかっていてもなお、タイトルのような負け惜しみ(?うまい表現が思い浮かびません)を言い返さずにはいられない…。

 

 そんな話を聞くと、つい笑ってしまいますが、そのあとやっぱり、少しは切なくなってくるものです。生きているっていとおしい。けど、切ない。

 そんな話題を客観的に聞ける立場の時もあれば、当事者として、言われる方になったり、言う方になったり。あっ、でもこれからは、言おうにも言う相手がいないことの方がほとんどかもしれません。自分より少し年下でも、周囲には、夫婦二人きりなんていう家も、出てきました。二人きりとか、ひとりきりとかいうのを、「ぽろっと」二人、「ぽろっと」ひとり、なんて言い方をします。どこからきた、「ぽろっと」なんだろう?

 

 「げ」というのは、ヒドイという意味で使われます。

 なんぼ何でも、それだばあんまり「げ」だで。いくら何でも、それじゃ酷すぎるよというようなニュアンスなんですが、目上の人には直接は使いません。でも、今の世の中を見ると、ついつい言いたくなりますねー。


今年のお米

2023-09-26 | 日記

 我が家では、稲刈りがどうにか終わりました。

 店では新米が出始めています。早いなー。

 大多数の農家のお米は、農協やお米の業者に出荷されるので、今年は稲刈りが早く始まったこともあり、もう新米が店頭に並んでいるのです。

 でも我が家の場合は、ここからが長いのです。もみすりをすべて終えて、着色粒を取り除く「色選(しきせん)」という作業を経て、やっと販売できる段階に到達できます。今年は来月10日頃にそうできるよう、作業を進めていくつもりです。

 

 記録的な猛暑、酷暑で、おそらくお米には影響が出るだろうと思っていました。想像はしていても、もみすりをして玄米になったのを見なければ、それがどんな程度なのかはわかりません。

 刈り終えた中の一日分はもみすりをしました。はたして、想像通りの状況でした。玄米の外観は残念ながら良くありません。着色粒も多かったです。これまで玄米を購入くださった方は、その違いに気付かれることでしょう。精米すると、白米も白く濁った米粒が多いかと思われます。色選の工程は、一回では済まなさそうです。かんじんの味はどうなのかなぁ。こればっかりは、食べてくださった方の感想をお聞きするほかありません。せめて、いつもくらいであってくれればと思っています。

 

 今年のお米は、何だか申し訳ないなーと思っています。思っていました。

 でも、ふと思ったのです。人でさえ参ってしまうようなとんでもない暑さの中で実ったお米だぞ。少しくらい外観が悪かろうが、それを乗り切って実った、いつもに増して生命力あふれるお米じゃないかと。

 あはは、ものは言いよう、でしょうか。でもまぁ、そんなふうに思うのです。食べだら、ちからッコ出でくるどー。

 朝もやの中、遠くに見えるコンバインです。


おぢげッコ

2023-09-26 | 日記

 子どもの頃、それがいつだったかは忘れてしまいましたが、祖母の入院にともなって母が付き添いで病院に泊まった時がありました。

 それが一週間くらいだったのか、それ以上だったのかは、定かではありません。そのすべての期間を、母が付き添って泊まったわけでもなかったと思います。記憶はとてもあいまいで、その期間の中のある一瞬のことを、今朝ぼんやりと思い出しました。

 

 その日の朝、父はたまたまいなかったのか、それとも朝ごはん前の農作業で、まだ外にいたのかはわかりません。ただ、その場にいなかったことだけは確かなのです。

 思い出した光景は、祖父が豆腐や油揚げを包丁で切って、みそ汁を作った場面でした。それまで、そんなことをする祖父の姿は見たことが無かったし、だいいち、そうした状況になることもなかったと思われます。なので、その姿は、思いもよらぬものでした。言葉にはしませんでしたが、驚くとともに、何だかとても安心した気持ちになったことがよみがえってきました。

 

 こんなふうに書いてみましたが、現在の自分の歳から考えるに、50年以上も前のことです。その時の記憶に今現在の自分の心情が味付けされているのかもしれません。初めて?みそ汁を作ったのは、今朝のことでした。煮干しでだしを取って、油揚げと豆腐を入れて…。

 

 台所のことを、昔は水屋と言っていました。おそらく標準語ではないでしょうか。でも、みずやと言う人はいませんでしたよ。方言では、みんじゃと言っていたのでした。そしておぢげッコは、みそ汁のことです。

 

 稲刈り最終日。お昼前に、すぐ近くにこんな蝶々がやってきました。花の蜜を吸うためだったようですが、少しも怖がらず、1メートルくらいのところで、こんなふうにしていました。めったに見ない種類です。キアゲハくらいの大きさでした。

最終日。開始前に。

 

「諸事情で当分」と書いたのでしたが、当分というには短すぎた感じです。


速報5

2023-09-21 | 日記

 あきたこまちRへの全面転換について、県議会に寄せられた多くの方の声が、公表されました!

 

 あまりの多さで、はたして全部が掲載となるのかと思っていましたが、全部が掲載されているようです。まずは報告まで。