風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

あの時のとんぼだろうか

2021-12-09 | お米の便り

 今日はとても良い天気で、この時期としては珍しいほどの暖かさでした。風もほとんどなく、最高の日でした。

 郵便配達に出かける前にふと、まさか今日とんぼに出会うことは無いだろうなと思いました(つい先だって、とんぼを12月に見たことはありませんと書いたばかりですが)。

 それが、いたのです! お昼直前、自宅の隣の集落を配達している時でした。一軒のお宅で、バイクから降りて、後ろの箱から郵便物を取り出そうとしたところ、手の上に一匹の赤とんぼが止まったのです。えっ、本当?と驚いた時、ちょっと離れて、すぐにもう一度、手の上に止まりました。それが離れた時に目で追えばよかったのですが、意表を突かれた感じで、一瞬遅れました。そのため、見失いました。自宅とそのお宅の間は直線距離で500メートルかそこらです。まさかこの前のとんぼか?とも思いましたが、さて実際のところはどうなのでしょう。とてもうれしかった一瞬でした。今日見たのは、後にも先にも、その一匹だけでした。

 

 今月のお米の便りは、これまでの記事の継ぎ合わせのようなものです。よろしかったら、「いちからやり直し」の実際をごらんください。

 

 284便 21.12月

 

 5日早朝、もしかしたら除雪車の音で目が覚めることになるかもしれないという予想は、幸いにも当たりませんでした。前日午後に少しみぞれ模様となり、夜にはそれがしっかりした形の雪に変わって降り続いていたのです。けれども夜遅くには止んでいたようで、朝には一面真っ白ではありましたが、スコップ等で寄せるほどの嵩には、なっていませんでした。この日は、日曜日だったこともあり、少しゆっくりした気分で外を見ることができました。ちゃんとした「初雪」でした。

 実際の初雪は先月中にあったのですが、降った量も時間もきわめてわずかだったので、「初雪」とは思いたくなかったのです。うわぁとか、おぉとか、あーあというような声が思わず出てしまうのが「初雪」なんです(笑)。今回は、そのどれでもなかったのですが、間違いなく「初雪」でした。

 子どもの時は、「ゆぎッコふったどー はやぐおぎれー」と言われると、興奮して飛び起きたものでした。でもよくよく考えてみると、単純に喜んだりしたのは、子ども時代の中のわずか数年だったかもしれません。それは、幼さゆえに、降りやまない雪や降り積もる雪がもたらす事態の大変さに、気づくことのできない数年間であったとも言えます。冬はとても厳しい季節でした。

「スプリング ヒャズ カム(春が来た)」に対して、「ウィンター カジ カム」ですから(寒)。

 

 ところで、3日明け方の外の光景を目にされた方はおられるでしょうか。和賀屋から見えた空の様子は、言葉では言い表せないほど素敵なものでした。空はうすい群青色。星は少しずつ見えなくなり始めていたのでしょう。まだ輝いている星々が、程良い間隔で散らばっています。奥羽山脈の一部、その稜線に沿うように、ひとすじの淡い金色の線が見えました。日の出までまだ少し時間があった分、お日さまの光はそのようにしか、こちら側を照らすことができなかったのかもしれません。そして、最も細いと思われる三日月が、やはり東の空低く、見えたのでした。その位置は、山並みからそれほど離れた高さではありませんでした。驚いたことに、三日月の通常は見えない部分が、いっしょに見えました。それは、写真で見なれたようなねずみ色。とても不思議な感じがしました。東の空全体が言葉を失うほどの光景でしたが、あはは、どうあがいてみても伝わっていないことでしょう。良く言われる、「百文は一見に如かず」です。えっ、気持ちはわからないでもないけど、なんか、どっか違っているよね。 これがいわゆる珍秘体験? ふと我に返った時、掴んでいたはずのカツラが、足元にオチていました。そんなオチですか? いったいどこまでがホントの話なのやら。

最後の箇所だけが、フィ、フィ、フィッークション! 寒いところにいたら、カゼひいたみたいです。

 

 雪の降らないのを良いことに、外に一輪車をずっと放りっぱなしでした。勘違いされる方はおらないかと思いますが、念のために書きますと、一輪車というのは運搬具です。よく工事現場などで、砂利や砂、コンクリート、その他何でも入れて運ぶものです。と書いてみたものの、今ではそんな場面を見る機会はなかなか無いですかね。まぁそれはともかく、その一輪車には、降った雨がたくさん溜まっていました。あえて、そのままにしていたのです。そこに映る月を見てみたいと思ってのことでした。アンタ、片づけがヘタやなー。そして、言い訳が上手やなー。 あはは、そう理解される方も少なくないかと思いますが、でもまんざらウソを言っているわけでもないのです。何かを直接見るのも良いですが、間接的に見るのも、時には趣きがあるように思えます。もちろん一輪車では、風流とは程遠い感じですけど。ひょうたん池でも用意しようかなー。

 風があると、一輪車のそれほど大きいとも言えない枠の水面が揺れて、はて、月はどのように映るのでしょう。なかなか見られる機会に巡り合えませんでした。けれども、いつまでも置いておくわけにもいかず、つい先日片付けてしまいました。疑問の解明は、雪が消えてから。でもはたして、忘れずにいられるかな(笑)。

 

 11月の末日はとても良い天気でした。朝方冷え込んだものの、日中の気温は平年値に比べてだいぶ上がり、暖かい一日となりました。下旬に冷たい雨やみぞれの天気が続いたので、それを境にとんぼを見かけなくなっていました。もう生きているのはいないだろうとも思っていました。それが30日の午前、作業場の入り口、日陰のところに一匹いたのです。寒さのせいで、動けないままでした。手に乗せてみたら手足をかすかに動かしましたが、それが精いっぱいといったふうでした。宅地の中をうろうろして、とんぼを置く木の枝を探しました。もう、いのちが尽きると思ったのです。ですが、どの木にしようかと決めかねて、ほんの一瞬目を離した時、とんぼは手から飛び立ったのです。えっと思ったのですが、それは現実でした。そして見失いました。

 「死に場所を探すだなんて、オレのしようとしたことは、余計なことだったナ。オメェはまさに、『今』を生きているものな。今日の午後、寒さで動けなくなるまで飛んで、どこかで夜を過ごす。『死に場所』なんて、思うはずないだろう。良かったな、バイバイだ」 

 こころのなかで、そうつぶやきました。自分の増上慢を恥じながらも、少しだけ寂しい気がしたのも事実でした。これまで、12月にとんぼを見たことはありません。本当に見たことが無いのか、それとも、いつか遭遇したことを忘れてしまったのか。きっと、どちらでも良いことなのだろうと思います。

 この一年もありがとうございました。こころから感謝です。あわただしい12月。どうぞお元気でお過ごしください。

 

 

 


もうひとつの12月8日

2021-12-09 | 農家 農村

 当地で12月8日と言えば、「病焼き(やまいやき)」の日。お焼きを作る日です。この日にお焼きを食べると、冬の間風邪をひかないと言われているのです。もちろん、その効果は万全ではありません(苦笑)。でも、ずっとそんな行事が行われてきました。

 

 程良い甘さの粒あんが入っています。子どもの頃は、家族ひとり一人に、10個近く!配られました。いまではどれくらいの家で、焼かれているのでしょうか? この時期、いや年中、お店でも売っているので、焼かない人の方がきっとたくさんでしょう。好き嫌いにかかわらず、昔は厄除けの意味もありました。今の人はそんなこと信じないので、別に食べなくてもいいよという人(家族)の家では作らないと思います。

 おかあちゃん、自分ではほとんど食べないのに、作ってくれてありがとう! とってもおいしいよー。

 ちなみに、ここでは「お焼き」と言わず、「焼きもち」と言います。

 

 


えのなが もまし(秋田弁です)

2021-12-09 | 日記

興味しんしん。続きは夜。

 

 三日月が、南の空低くきれいに輝いているというのに、「えのなが もまし」の話題というのは、少々無粋です。でも思いついた時に書いてしまいましょう。

 

 家の中 揉まし。漢字で書くと、何となく雰囲気が伝わるでしょうか。あることないことをささやいて聞かせ、聞いた人の家(家族内)が揉めること。またはそのようなことをする人。秋田弁辞典にはそんなふうに書かれています(「秋田弁辞典」は妄想の産物です)。

 具体的には、「**さんがあなたの家のことをこんなふうに言っていたよ」とか、「あなたの家の若い人たちのしていること。ちょっと常識とずれているよね」とか、聞いた人の家族が揉めそうなことをささやくのです。それはしばしば、ウソ。そして、その家族内が揉めることに喜びを感じるというわけです。そういう人って、どこにでもいるんでしょうか。どこにも多少はいそうですね。集落の中、会社の中、組織の中、PTAの中? いろんな場所です。

「あのひと、えのながもましだがら、気ぃつけねばダメだ」こんなふうに言われないようにしたいものです。もちろん、これは当たり前のこと。「えのながもまし」にそそのかされて真に受けることのないよう、十分気を付けたいものです。

 

 地域の中ならまだしも(本当はダメですけど)、国と国の間でもありますよね。あるいは、任意のある国を崩壊させるために、えのながもましが行われます。

 

 「えのながもまし」の、伝染注意!