今日の当地は真夏日でした。暑い暑い。とても暑いと思った一日でした。あぜの草刈り。自家用野菜の植え付け。そして自家用大豆の播種と、年相応以上(笑)の作業量でした。
ところで今日は、地元にある神社のお祭りの日。というか、宵宮の日でした。子どものころは露店が何軒も出て、人の多さもあって、にぎやかなものでしたが、今ではもうすっかり静かなものとなりました。
タイトルの「よみや」が、宵宮ということだと知ったのは、いつのことだったでしょう。それは何かの小説を読んでいて、たまたまその中で目にした文字が、ずっと言い続けてきた「よみや」と重なったのでした。中高生の年齢はおそらく過ぎてからのことだったと思います。わかったときに、ささやかな感動があった覚えがあります。
お祭りが、地域の人たちの暮らしというか、こころから離れて久しい気がしています。神社に対しての信仰云々といった観点ではなく、もう少し別の角度。あいまいな言い方ですが、農村社会の変化というようなことでしょうか。ここに限らず、以前は、それぞれの地域にお祭りがあって、親戚など、それぞれに行き来していたものでした。当然、それぞれの家が酒食の場となったわけで、その機会に交流を深めたものでした。
例えば、自分が子どものころ、我が家で言えば、叔父叔母、近くに住んでいた祖父の妹、祖母の実家の人。祖母の姉妹。母の親など。叔父叔母の子どもたちも来ることもあったので、実に多くの人数でした。親類が県外、県内でも遠かったりすると大変でしたが、近い場所に住んでいる親類などは、どこの家でもそうやって招待して、祭りの日というのは過ぎました。
それが少しずつ時代の変化で、どこの家でもそうしたことが行われなくなり、もうずいぶん前から、「お祭り」と言っても、疎遠なものとなってしまいました。決まった日にちだったものが、土日のほうが良いとなってそうしたものの、いつしか土日であってもそれぞれいろんな予定や計画があって、「お祭り」は二の次。それに、考えてみれば、招待する方もされる方も、それなりに労力とお金をかけなければなりません。それぞれの家が、いつのまにかそうしたことをやめたのも、無理からぬことだったと思います。
宵宮の日であっても、地元の人はお祭りとは無関係に過ごす人がほとんどだと思います。晩ごはんを食べ終わって、7時前。ふと田植えが済んでいなかった家の田んぼのことが、思い浮かびました。いくら何でも、もう植わっているだろうと思いました。数日前に、2回目の代かきが終わったのを見たからです。
止せば良いのに、確かめたくなって、外へ出て行ってみました。はたして、稲はまだ植えられていませんでした。その田んぼとは別に、神社から数百メートルのところにある畑では、販売用野菜の管理作業をしている人が見えました。時の流れを感じざるを得ませんでした。かくいう我が家も、コロナ騒動を機に、やめました。良く続けたものだと思います。もうすっかり代が変わって、ずいぶん前から叔父叔母や祖父母の関係者はいなかったです。
お祭りとは全く関係なく、神社に行くこともなく、それでも、さすがにお祭りの日の外での農作業は、何となく気が引けます。まぁ、農繁期も一段落した日曜日ということもあるからですが。
そうは書いていながら、明後日は雨の予報なので、明日は朝ごはん前に草刈りをして、日中は屋内作業をして、あらら、いろいろ忙しい日になりそうです。
ずっと以前は、お祭りの日までに一回目の草刈りを終えてしまう、というような目安というか、そうしたこともありました。あるいは田植えの苗を足りなくしてしまい、融通してもらったお宅へのお礼の品を、お祭りまでには届けてしまうとか、そんなひとつの区切りでもありました。
家の周囲の田んぼは、どうしても不整形なものが多いです。あぜの草が刈られた様子を見ると、なぜだか絵の額縁を連想します。
分かれ道。地名に「追分」というのがありますが、分かれ道のことなんだそうですね。民謡の中にも、曲名に**追分と付いたものが、いくつかあります。みなさまのところでも、きっとあると思います。
はい、今年もまた、「表層剥離」が出ました。味噌汁に浮かべる、ふのりのようなものが、苗を覆って、困ったことになります。
旗差しのこと…。