風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

よみや

2024-06-08 | 農家 農村

 今日の当地は真夏日でした。暑い暑い。とても暑いと思った一日でした。あぜの草刈り。自家用野菜の植え付け。そして自家用大豆の播種と、年相応以上(笑)の作業量でした。

 

 ところで今日は、地元にある神社のお祭りの日。というか、宵宮の日でした。子どものころは露店が何軒も出て、人の多さもあって、にぎやかなものでしたが、今ではもうすっかり静かなものとなりました。

 タイトルの「よみや」が、宵宮ということだと知ったのは、いつのことだったでしょう。それは何かの小説を読んでいて、たまたまその中で目にした文字が、ずっと言い続けてきた「よみや」と重なったのでした。中高生の年齢はおそらく過ぎてからのことだったと思います。わかったときに、ささやかな感動があった覚えがあります。

 

 お祭りが、地域の人たちの暮らしというか、こころから離れて久しい気がしています。神社に対しての信仰云々といった観点ではなく、もう少し別の角度。あいまいな言い方ですが、農村社会の変化というようなことでしょうか。ここに限らず、以前は、それぞれの地域にお祭りがあって、親戚など、それぞれに行き来していたものでした。当然、それぞれの家が酒食の場となったわけで、その機会に交流を深めたものでした。

 例えば、自分が子どものころ、我が家で言えば、叔父叔母、近くに住んでいた祖父の妹、祖母の実家の人。祖母の姉妹。母の親など。叔父叔母の子どもたちも来ることもあったので、実に多くの人数でした。親類が県外、県内でも遠かったりすると大変でしたが、近い場所に住んでいる親類などは、どこの家でもそうやって招待して、祭りの日というのは過ぎました。

 それが少しずつ時代の変化で、どこの家でもそうしたことが行われなくなり、もうずいぶん前から、「お祭り」と言っても、疎遠なものとなってしまいました。決まった日にちだったものが、土日のほうが良いとなってそうしたものの、いつしか土日であってもそれぞれいろんな予定や計画があって、「お祭り」は二の次。それに、考えてみれば、招待する方もされる方も、それなりに労力とお金をかけなければなりません。それぞれの家が、いつのまにかそうしたことをやめたのも、無理からぬことだったと思います。

 

 宵宮の日であっても、地元の人はお祭りとは無関係に過ごす人がほとんどだと思います。晩ごはんを食べ終わって、7時前。ふと田植えが済んでいなかった家の田んぼのことが、思い浮かびました。いくら何でも、もう植わっているだろうと思いました。数日前に、2回目の代かきが終わったのを見たからです。

 止せば良いのに、確かめたくなって、外へ出て行ってみました。はたして、稲はまだ植えられていませんでした。その田んぼとは別に、神社から数百メートルのところにある畑では、販売用野菜の管理作業をしている人が見えました。時の流れを感じざるを得ませんでした。かくいう我が家も、コロナ騒動を機に、やめました。良く続けたものだと思います。もうすっかり代が変わって、ずいぶん前から叔父叔母や祖父母の関係者はいなかったです。

 お祭りとは全く関係なく、神社に行くこともなく、それでも、さすがにお祭りの日の外での農作業は、何となく気が引けます。まぁ、農繁期も一段落した日曜日ということもあるからですが。

 そうは書いていながら、明後日は雨の予報なので、明日は朝ごはん前に草刈りをして、日中は屋内作業をして、あらら、いろいろ忙しい日になりそうです。

 ずっと以前は、お祭りの日までに一回目の草刈りを終えてしまう、というような目安というか、そうしたこともありました。あるいは田植えの苗を足りなくしてしまい、融通してもらったお宅へのお礼の品を、お祭りまでには届けてしまうとか、そんなひとつの区切りでもありました。

 家の周囲の田んぼは、どうしても不整形なものが多いです。あぜの草が刈られた様子を見ると、なぜだか絵の額縁を連想します。

 分かれ道。地名に「追分」というのがありますが、分かれ道のことなんだそうですね。民謡の中にも、曲名に**追分と付いたものが、いくつかあります。みなさまのところでも、きっとあると思います。

 はい、今年もまた、「表層剥離」が出ました。味噌汁に浮かべる、ふのりのようなものが、苗を覆って、困ったことになります。

 

 旗差しのこと…。

 

 


そんけでえぇんだすか?

2024-03-26 | 農家 農村

 育苗箱にイネの種をまいたら、約2日間、育苗器というのに入れます。器とはいうものの、2坪くらいの温室設備です。ビニールハウスに運び込む前に、発芽を揃えるために入れます。

 この設備に使われる保温資材は、防湿タイプの厚い資材で、言ってみれば、デコレーションケーキにかぶせる蓋のような形状となっていて、各角の部分がファスナーで開け閉めできます。この設備一式は、思いのほか高価です。農業機械や設備は大量生産しない分、ほとんどのものが思ってる以上に高価です。

 

 昨年、これを使用しているときに、ファスナーをかませてしまい、開け閉めができなくなった箇所がありました。閉まった状態ならまだしも、半分開いた箇所でできなくなったのですから、とても困りました。せっかく温めた内部の空気が逃げ出して、保温効果が落ちるし、発芽ムラが起きるからです。それでも、どうにか使って、この冬。どうにかすることになりました。

 

 あはは、やっぱり長くなりますね。短文のやり取りに慣れた方なら、まどろっこしくて読むのをやめてしまうことでしょう。いや、ここまでさえ、読んでいないと思います(笑)。

 

 余計なことは書かずに続けます。それが余計だ!

 製造メーカーに修理してもらえるか聞いてみたら、受け付けますよと言ってもらえました。通常、メーカーでは個人のユーザーとは直接のやり取りをしません。購入店を通じての対応です。それは仕方ないとして、物のがさが大きいだけに、往復の送料だけでもそれなりの値段となりそうだし、何より修理代そのものも決して安くはないだろうと思いました。でも新品はさらに多くの出費が予想されます。購入店に話してみたら、隣市のテント屋さんに行ってみろとのこと。やってくれるかもしれないということでした。それで、かすかな希望をもって行ってみたら、やりますよとの返事。よかったーと思いました。

 

 その修理が完了したとの連絡をもらったのが、今日のこと。あのぅ、修理代はどれくらいでしょうかと聞いたら、「特殊な大きいファスナーを一本交換したので、4,500円プラス消費税です」という答え。思わず、そんけでえぇんスか?と聞いてしまいました。

 保温資材一式を新品で購入したら、間違いなく10万は超えるのではないかと思います。それが、5,000円くらいで済んだ。何とありがたい。手間代にもならなかったのではと、余計なことまで思ってしまいました。

 明日引き取りに行く時は、菓子箱のひとつでも。そんな気さえしたことでした。気は心。そうしよう。トラクター、田植え機、コンバインその他いろいろ。機械の整備代は本当に大きなものです。そうであっても、やはり専門家でなければ直すことができないのです。そして今、メーカーさんの営業所ではなく、個人で購入後のアフターケアをやってくれていた地域の農機具屋さんが、どんどん、廃業しています。ご自身の高齢化ということが直接の原因ですが、それだけが主因ではないことは言うまでもありません。義理と人情、そして修理代を安くもしてくれる、農家にとっては、いてもらわなければ困る、とても大事な人たちであるのですが…。

 


荒れる貼る場所

2024-03-24 | 農家 農村

 季節の歩みに弾みがついた今日、好天とともに気温もそれなりに上がりました。風もそんなに吹かなかったので、穏やかな日和でした。

 午前中の総会は、思いがけず、ちょっと荒れました。まぁ、荒れたというより、盛り上がったと書いた方が深刻でなくて良いですね。もしかしたらと想像していた「アクセント」が、予想を少しばかり超えてしまいまして、うわぁ、「荒れる春場所」とはこのことかと、思ったことでした。

 

 紹介したい気もするのですが、書けば長くなるし、ある意味どうでもよい話なのですから、今日は書かずに少しずつ寝る始末です。あっ、しまつというのを準備という意味で使ったのですが、これは方言でしょうか? 始末という言葉に準備という意味があるのかどうかは、わかりません。つべこべ言ってないで検索してみろ。スマホはないっ。いつものように、一人二役やってます。

 

 そんなわけで、今日は荒れる貼る場所。湿布(の成分)に負けて、貼ったところが赤くなったりかゆくなったりする場合がありますもんね。誰かにそれを知らせるタイミングで、こんな言葉はいかがでしょう? でも春場所も今日が千秋楽でしたから、この言葉をハッスルタイミングは来年の3月、ということになるでしょうか? 

 却下!もしくは、スルー。

 

 総会の時に、強い言葉を聞いて思ったのは、そんなに厳密さを求めなくともなーということ。収支決算なんて、そんなのを書くことにあまりなれていない人もいると思うし、むしろ、そういう人が大半でしょう、書き方に不十分に思える箇所があったら質問すればよいだけの話。「こんなふうに書かなければダメ」みたいなことをあえて言わなくとも、良いじゃない。そんなことを感じました。

 あっ、そんなこと言っていながら、自分もブログで書いてる? 書いてるかも…。

 自分のことは気づかないものです(苦笑)。笑ってごまかすなー。

 さー、あぽんさ入って寝るべー。あぽんは、風呂という意味の幼児語。数十年前は良く使いましたねー。でも造語だったのかもしれません。ちなみに、飲み水のことは、「あこ」と言うこともありました。お年寄りが孫にそんな言葉を使うと、「水」と言ってくださいという若い人もいたとか。そんなの、大きくなれば自然と使わなくなるのに、ゆるせないんだろうなーと思ったことでした。きびしくこだわるよりも、一瞬の時どきを、大事にしたいなーと思ったものでした。

 でもきっと、その若い人にも、言いたくなるような何らかの事情があったということなのでしょう。人は誰だって、関係性の中で生きているのですもんね。

 

 


総会は順調に終わりそうかい?

2024-03-24 | 農家 農村

 3月も残るところ一週間ほどとなりました。今日は集落の総会の日です。集落の会館に集まって、さまざまな係の会計報告やら引継ぎやらを行います。

 集落の正副会長。会館の管理人。ごみ集積所の管理人。農協関係、土地改良区、農業共済、健康推進員、福祉委員、赤十字、交通安全協会、転作推進員、あとまだ2,3あったかな。そんなようなたくさんの係がありまして、でもこの集落では、すべての係が1年か2年で交代ということにしています。まぁ、不平等なくということです。それでも、家族構成や離農(委託)というような事情で、係は難しいかなと思われる場合は、そのお宅を飛び越えて順番が動いていきます。

 

 だからゆるいといえばゆるい、そんな中身なんです。何より、「お互いさま」なんですから、そんなにムズカシイ話も出ません。とはいうものの、地域にはたいてい気難しいというか、ちょっと?と思われているような人もいるわけで、そこが総会の中で、ちょっとしたアクセントというか、そんな感じで終わります。

 

 田舎は面倒くさい。付き合いが濃厚…。などなどいろんなことが言われ、だからイヤという人もいることでしょう。確かに昔は、今より濃くはありました。ある意味、そうでなければみんながうまく暮らしていけないような感じであったと思います。こう書くと、誤解されてしまいますね。そうしたほうが、暮らしやすいということでした。でも、もうずいぶん前から、いろんなことが淡白になっています。もちろん、いまだに濃い地域は全国至る所にあることでしょう。でもこの辺に限って言えば、淡泊になって久しいし、それが時代の変化に伴ってのことだと思うので、ここだけの話でもないと思います。

 

 一昨年度、昨年度とやっていたひとつの係が、今日で終了。幸いにも?来年度は無役のようです。気楽に参加してきます。


あー、また

2024-02-27 | 農家 農村

 7時ごろに朝ごはんを食べます。その前に、炊き上がったごはんを小さな専用の器に盛って、神さまと仏さま(神棚下の文机と仏壇)に水とともに供えるのが常です。

 その際、仏壇のある場所が暗いので電気をつけるのですが、家族それぞれ手を合わせてすぐに消灯してしまっては、あまりに短いかなと思い、自分が最後の時はつけたままにしておきます。そしてごはんを食べ終えてから、電気を消しに行くという流れです。

 この時、電気がついているか否かを別にして、本当は神さまの方のご飯だけを下げに行くのです。仏壇の方は以前は夜。最近では、お昼に下げるようにしています。カミさんに言わせると、どうして神さまだけ早くおろしてしまうんだろう?私が来た時からそうだったけど、といつだったか言われたことがありました。言われてみれば確かにその通りで、でも習慣なんてそんなものでしょう。順序というものに意味のあることもあれば、意味のないまま続けていることもたくさんあると思うのです。

 また横道にそれてしまいました。でも今日の話題自体がいつものようにどうでも良いことなので、まぁ、時間と気持ちが許しましたら、引き続き読んでください。

 

 あれっ、何だっけ?

 で、話を元に戻しますと、神さまのごはんを下げに行く時に、まず仏壇の方へ行って電気を消します。そして神さまに戻ってごはんを持ち帰ればよいだけなのですが、ついうっかり、仏壇のごはんを持ってきてしまうのです。そのため、当初の目的であった、神さまの方は素通り。あっ、と途中で気づくこともあれば、台所まで持ってきてから気づくこともあります。何と申しましょう。これが加齢なる世界のひとコマであることは、疑いの余地もありません。今朝は、保温ジャーに器から落とした瞬間、気づきました。気づくのが、だんだん遅くなってる…。あー、またなのでした。

 でもこんな報告をしばしばしていたら、お米売れなくなりますよねー。

 

 というわけで、我が家の神さまは、たぶん早飯早食い。一方、仏さんは、のんびり食べてるってことになります。今朝は全部食べないうちに、取り上げられてしまったのでした。