風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

掛け声

2022-09-22 | 日記

 いろんな掛け声があります。おもしろいものもあります。

 強弱をつけてリズム感良く、「シーシーシー」。文字だけで、どんな時に出てくるものなのか想像できるでしょうか?

 

 物を洗う時に使います。いや、使いました、でしょう。もうこの掛け声を聞くことは無くなりました。炊事、洗濯、食器洗い、そして畑から採れたやさいの土を洗い流す時、使い終わった農具の泥を落とす時など、こんな声が出たものでした。

 この掛け声は、主に女性が使ったもの。オモニというだけに…。座布団2枚!

 もちろん、誰もが使ったわけではありません。言う人もいれば、言わない人もいたのです。言おうとして出るものでは無く、自然と出てしまうものだったのでしょう。現在に比べて、水の事情は貧弱だったし、便利な洗剤もありませんでした。もちろん、洗濯機などあるはずもありません。汚れを良く落とすために、掛け声がちからをくれたということだったのかもしれません。

 

 「シーシーシー」、時々ふざけて、この言葉を口にします。それは近くに誰かがいる時でもあるし、ひとりで泥落としをしている時、ふと思い出してでもあります。そして、クスッと笑えます。

 

 ちなみに、薬を飲み込む時の掛け声は、「コピッと」。

「肩のちから抜いで、コピッと飲んでみれ」。そんなアドバイスをされます。あらら、「コピッと」は、動詞を修飾するから副詞でしょうか。掛け声ではないような…。まぁ、そんなことはどうでも良いんです(笑)。

 「いろんな掛け声」と書いていながら、これひとつしか思い出せません。これもまた、どうでも良いことなんです。

 

 朝~!

 朝~! またレンズが曇ってた。

 

 

 

 


くすりッコ

2022-09-21 | 日記

 薬って不思議だ。小さな粒だから簡単に飲み込めるはずなのに、どうしてだかそれがうまくできないことがある。子どもの時、初めてカプセルを飲んだ時は、とても苦労した。何度やっても飲み込めなくて、そうしているうちにカプセルが軟らかくなってきた。

 子どもながら、その薬が何故カプセルに入っているか知っていた。飲まなければならないことを知っていた。だから、カプセルが軟らかくなって、なお飲み込みづらい状態になった時には、もうどうしたら良いか分からなくなって、涙が出てきたものだった。

 

 薬って、どうしてそうなんだろう。大人になった今でさえ、時々、小さな粒を飲むのが一回で行かない時がある。それなの(それなんか)、年取ったがらだべ!

 さすがに涙は出はしないが、あらら、今日はどうしたことかと、苦笑いが出る。ごはんやおかずのひと口に比べたら、入って行かないはずないんだけどなー。

 

 だどもよー、大人になっても涙こぼれるごど、あるでなー(あるよねー)。そんたどぎ、がまんさねで(しないで)、泣いだほうえー(方が良い)。してほらー(そうしてさ)、まだやっていぐべー。ふりまわされねぇようにして。きっと誰が何が(誰かや何かが)声ッコかげでける。

 言葉ッコも、くすりなるどぎあるよなー。このくすりも効ぐどー。たまには毒にもなるどもな(笑)。あっ、無言というくすりもある。むずがしなー。

 

 

 


9月のお米の便り その2

2022-09-15 | お米の便り

 年を越す作物はもうひとつあって、今月10日頃まで、どうにか小松菜の種を播きたいと思っています。秋にそれなりに食べて、適期が過ぎて葉が固くなってしまったものを畑にそのままにしておくと、何とまぁ、春になると枯れた茎葉の中からすっと茎が出て、菜の花が咲くんです。いわゆる、「とうが立つ」といった状態。でもヒトと違って、その蕾を新しい茎とともに摘んで食べると、おいしいのです。*個人の感想です。おいしさを保証するものではありません(笑)。春一番の自家用野菜。一定の期間、次々に採れるので、食べるのが追い付きません。場所のある方は、ぜひお試しあれ。プランターでも可能だと思います。たとえ食べられるほどの量が採れなかったとしても、菜の花を愛でることができますよ。

 けれども、その期限まで、あとわずかです。先月中ごろ播いた白菜は、天気と関係なく育苗ポットの中で生長を続けています。ダイコンはどうにか播きました。白菜とダイコンは、冬の間の大事な貯蔵野菜。特に白菜は、あると無しでは大違いです。冬は白菜があれば、なんとかなる(凡婦談)。苗が植え頃となった時に畑の準備ができているのか、心もとない限りです。自家用ならあきらめもつきますが、出荷予定で栽培する農家にとっては、天候不順は死活問題。そしてそれは、最終的に生産量の不足、値上がりへとつながります。というか、やる人がどんどん少なくなっていきます。けれども、天候不順は最大の原因ではないでしょう。むしろそれ以外の要因の方が…。オイオイ、辛気一転はどこ行ったー?

 

 長い間、草ぼうぼうだった畑?に、今年わずかながら大豆を植えてみました。その畑を荒れ地にしたくなくて、でも何かを栽培する手間暇が無くて、毎年春から秋まで、4,5回耕していた場所です。そんなにも耕していても、雨が続くと草の勢いが一気に強まり、結局は草ぼうぼう。でも、何十年も除草剤を使わずにきた土。ある意味、清浄な場所です(笑)。その大豆が良く育ち、植えた面積からすれば、20キロくらいはいくかなと、皮算用の最中です。けれども問題は、刈り取った後の脱穀。この道具が無いのです。無いままで種を播き、あぁ、年月は走馬灯のように過ぎ、それは、喜びの入り混じった悩みの種へと変わりつつあります(苦笑)。足踏み脱穀機を購入するとなれば、道楽にしては多すぎる出費で、モノが増えれば保管する場所も必要となります。こころはもう、ひと足先に足踏み状態。値上げの春に加え、値上げの秋が、押すな押すなの大盛況。何であれ、今日がいちばん安いのです。さぁ、さすらいの大豆の運命や、いかに。この続きは11月号で。忘れなければ。

 

 世の中は、大きなツボが割れ、出てくるのは数々の汚物。長年浸かり続けていた当事者は、己の腐敗臭に気づかない様子です。未だそれが良く見える人のいる、この世の不思議。

 

 ずいぶん前に、幸運にももらうことができた、トラクターのミニチュア。どこへ行ったかとあきらめていた実物が、数日前に見つかりました。非売品だったのです。

 

 購入してから、10年以上も過ぎたと思います。これで飲むのは、お茶、ではないです(笑)。言葉にしたい思いを、グッと飲み込んで…。

 焼酎割り? いえいえ、そんなことをしたら、身体によくありません。お酒はダジャレを考えながら飲まなければ。

 

 


9月のお米の便り その1

2022-09-15 | お米の便り

 9月1日、昨日夕方からの雨が、休みなく降り続いています。とびきり雨の多かった、今年の8月。空に向かって、「もうそろそろ良いんじゃない?」と声が出てしまったのは、一度だけのことではありませんでした。月が替わったというのに、この傾向に大きな変化は無いようです。週間予報に並ぶ傘のマーク。天にとっては、今日から9月などという区切りは、無いのでしょう。悠久な時の流れの中にあっては、一瞬とさえ呼べないような、この長雨。もう出てきた「秋雨前線」の言葉を、あきらめ前線と読み替えて、苦笑いするしかありません。おやまぁ、辛気臭いご挨拶となってしまいました。 

「オリコメを楽しみにしてくださっているみなさーん。どーもすみませーん。お元気ですかー。今急いで、心持ちを変えますからー」 ちなみに今日発表の気象台のデータによると、秋田県横手市の8月の降水量は平年の倍近く。雨がまったく降らない日は、10日間だけでした。

 あはは、楽しみにしているどころか、読んでくださっている方自体、きっとわずかでありましょう。マイノリティ(少数派)のために今祈りてー。こんなダジャレはどうですか。ほんの少しは辛気一転となったでしょうか。面倒なアンタのために祈りてーわ。

 

 今年、自家用タマネギが収穫できたのを良いことに、先だって種を多めに播いてみました。念のためお知らせしますと、タマネギは夏に種を播いて、育った苗を秋に植えます。その苗がすっかり根付いて冬を越し、肥大を始めるのは雪がとけてだいぶ経ってからです。そして6月下旬頃、収穫の時期を迎えます。1メートル以上に積もった雪の中で生きているのですから、何ともたくましい。それだけでも、元気の素がたっぷりの野菜という気がします。でもまぁ、スケジュール的にはこうしたことですが、自家用ともなれば、うまくいったりいかなかったりです。今年たくさん収穫できたのも、たまたま運が良かっただけかもしれません。。そんなこともあり、多く播くというわけです。あれっ、誰かオレのことを呼んだかな?いや、誰も呼んでないよ。大熊クン。

 

 続く雨で、それなりに発芽したタマネギの苗床は、土がぐちゃぐちゃ。カビの生えそうなせんべい布団でも、慣れたら大丈夫ですから、何とかなるかな?大丈夫なのはアンタだけ。どうにか順調に育ってほしいものです。ちなみに10月中頃、種苗店の店先には、タマネギ苗ありますの、のぼり旗が出ます。苗育てがうまくいかなかった時は、その手があるんです。アンタはそれを植えてさえ、うまくいかんかったやろ。その時はさらに奥の手が…。お店でその都度、必要な分だけ買えば良いというわけです(笑)。オチがついてひと安心、かな?

 多くの方はご存じですよね。この方を。

 手前にあるのは、100均で買った浸透印。それを少し上回る大きさです。

 


9月12日

2022-09-12 | 日記

 月は夜にだけ見えるものではありません。そんなことは当たり前、あえて口にするようなことではないとわかっていても、いざ、夜以外の時間に目にすると、何だか不思議な気持ちになることがあります。

 今朝、6時少し前です。建物がどうも味気ないのが残念。家の玄関から見えた、よその家の上に見えたのが、何とも趣きがありました。

 

 同じ時刻、おひさまの出た方を写しています。そして、そのまま、少し離れた場所の畑へ。

 

 こんな高さにいるんです。7時前には見えなくなりました。沈んだのか、雲に隠れたのか、それとも太陽の明るさの前で、姿をかすんでしまったのか…?

 

 記憶が正しければ、9月4日未明に降ったのを最後に、晴れの日が続いています。しかも気温は高めで経過。

 毎度のことですが、この雲が出る日の翌日は雨(の予報)。けれども、雨が待ちきれなかったのか、今日にぎやかでした。

 真上を飛んで行きました。少しも笑えない、上空(ジョーク)。

 

 秋になって、朝晩の同じ時刻でも、日いちにちと、光景が違うようになってきています。住まいと職場の往復の際など、特にそんなことを感じられるのではないでしょうか。

 池田綾子さんの「灯」という、素敵な曲があります。さらに素敵なのは、「夕焼け」という曲。もちろん、個人の感想です。