昨年10月1日、「福島第一原発」から20~30㌔圏の広野町、楢葉町、川内村、田村市、南相馬市の一部が「緊急時避難準備区域」が解除され、普通に住民が住めるようになってから、今日で早1年が経過した。
しかし、昨日の新聞記事を読むと、いわき市の隣の「広野町」では5,300人の町民のうち、たった1割にも満たない500人しか帰還していないという。除染もある程度は進み、この2学期からは小中学校も地元で再開したけど、やはり医療機関やスーパーなどの生活基盤と、安心出来るだけの十分な除染が済まなければと住めないと考える方が多いといわれる。
yoshyyは、この「広野町」の現実を自分の目で確かめたく8月に訪れた。
その光景は悲しいながら、まさに異次元空間そのものだった・・・。
震災から1年半が経ち、テレビで現地の実情が紹介される事も減った今、あえてその様子をここに紹介したい・・・。
コンビニやパチンコ屋にはズラリと車が停まり、居酒屋や寿司屋にも結構お店の光が灯り、一見すると活気が戻ったようにも見える。
しかし・・・、その客層はほとんど全てが原発作業関係者・・・。町のあちこちにプレハブの仮設事務所が建ち、除染作業の最前線基地となっている・・・。
国道6号を走る車は、青森、宮城、新潟、つくば、京都、大阪、広島、北九州、熊本・・・・・と、全国各地のナンバーが走り回り、宅配業者の営業所は、多数の解体・建設レンタル重機の駐留場所になっていて、その入口には「防護服を着用のままの入場、厳禁」の表示・・・。
そして、日常を感じさせる路線バスが向かって来たと見れば、表示は原発関連会社の送迎専用・・・。
さらに、閉まっているスーパーの脇で、何やらエアコンのファンが回っていて、「もしや、再開準備!?」と喜んだら、これも原発関連業者の借り上げで、店内は事務所になっているのだと聞かされた・・・。
それでも、地元の方々の活きた生活の一コマも垣間見ることができ、自宅の庭でお母さんと子ども2人で賑やかにボール遊びする光景、自転車ですれ違った初老の方同士の立ち話し、そして犬のさんぽ・・・。
ともすると、この現実を他人事と思って避けたり、ヨソ者が興味本位で現地を訪れるのは不謹慎といった考えもあるだろうけど、yoshyyにとっては長年何度となく訪れてきた愛着ある福島を他人事とは思えないし、この先も長い長い困難と不透明な日々が予想される中で、周りの関心が薄れている今こそ、多くの方々に忘れて欲しくない、避けて欲しくないと思う・・・。
新築の空き家・・・。建てた方は、こんな事態をおそらく想像さえしなかっただろう。
大空に緑の草原。・・・でも何も耕せない・・・。売る事も出来ない。何よりも耕す人が住んでいない・・・。
遠くに見えるのは上に書いた満車のパチンコ屋と弁当が積み上がって活気あるコンビニ。
町の中心部でも・・・復旧現場の仕事は誇れても、国の復興計画は子供たちに誇れるだろうか・・・。
楢葉町の除染作業所が広野にあるのは、やはり放射線量との関係か?理由は定かに解らない。
いわき市から新地町にかけての浜街道は、ずっとさまざまな発電所が立ち並ぶエリア。町には「広野火力発電所」の塔がそびえ稼働している。
犬のさんぽをする地元の方を見かけ、日常を垣間見た。
海側によじれたガードレール。それほど引き波が激しかったということか・・・。
にほんブログ村
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます