3度目の3月11日を迎え、亡くなられた皆様のご冥福と、いまだ厳しい生活を続けておられる多くの方々のご苦労・心情をご察し申し上げます。
自分は今日は仕事で何も出来ないので、一昨日いわき市の久之浜海岸で行われた追悼供養にそっと立ち会い、その周辺のいまの様子を眺めてきた。
この地区を訪ねたのは1年半ぶりだったが、復興が進み変わったと感じた場所、全く何も変わって無いと感じた場所、以前より状況が悪くなっているのではと感じた場所と様々に感じられた。
全町避難の町もある双葉郡では、災害公営住宅は広野町でようやく建設が始まったり、現在は広野までの常磐線が、近いうちに楢葉町の竜田まで復旧するための工事もほぼ出来ていたり、自分が巡った感じでは、以前よりも洗濯物が干されている民家を多く見るなど、住民が戻りつつある印象だった。
一方で、海岸沿いの風景は護岸復旧工事は進むものの、いまだ更地の場所は全く変わらず、汚染された土を保管するフレコンバッグなどは、積んでから年月が経過するにつれて袋が劣化して崩れかけていたりする。
久之浜神社前で行われた追悼供養には、千葉から太鼓グループが訪ね空高らかに太鼓の響きで追悼するとともに、たくさんの花々で花供養が行われた。
この時期しか震災報道をしなくなった民放TV局では、復興イベントと称しお祭り騒ぎな企画を流している番組もあるけど、自分としてはこういう場に立ち会い、この風景・時間と共にゆっくりと振り返りこれからを思いたく、いわきを訪ねた。
いわき市久之浜海岸の追悼花供養
久之浜は、津波とともに火災でも大きな被害があった地区
地域の人々の祈りの場となっている、更地に修復された久之浜神社
民家の土台だけが残る場所に、鳩がひっそり佇む・・・
小学校の校庭の一角に建つ、仮設商店街
双葉郡で初の災害公営住宅の建設が進む広野町
楢葉町までの常磐線復旧工事も
護岸の復旧も進むが、周囲は更地
年月とともに劣化が進む汚染土を入れたフレコンバッグ
中間貯蔵施設建設の遅れが引き起こしているのが原因
この看板の存在が、とても重く感じられる。
(この区間に第一原発があり通過出来ない)
最近は、このロゴもあまり見なくなったような・・・
節目だから大々的に取り上げられましたが、来年も再来年ずっと取り上げてくれるのかなあと思いながら
AWSから1時ごろ帰ってきてチャンネル廻しながらNHKのpm10時からのドラマ迄見てしまいました。
遅々として進まない復興、被災者が望んでいる復興ではないようで行政判断で行われていることに
憤りを感じました。それでも市民町民の声をもっと聴いてからと修正しはじめているようですが。どうなるでしょう
おっしゃるように、国はこれまで早期全員帰還にこだわってきていたのを、帰還困難区域は移住を補償するとしましたが、それも「原発事故子ども被災者支援法」という法律を制定しながら、1年以上何もせず放置し、市民から訴訟を起こされてようやく少しだけ形にしたような感じですから、先が長いですね・・・。