今日は3月10日
もう10年くらい前に亡くなった知り合いだったおばあちゃんから聞いた体験談
東京大空襲の夜、母親に手を繋がれ走って近くの尋常小学校へ逃げると、校庭に2つ井戸があったので、そこにしがみついて隠れようとした
ところが最初に向かった井戸は満員で入れず、慌ててもう1つの井戸へ逃げ込んだ
その後、最初に向かった井戸には爆弾が落ちて皆死んでしまった
だから、あの時もし満員じゃなかったら今ごろ私は生きてなかったのよ
戦争なんてそんなものよ
ここにも命の大切さを語り継ぎたい話がある・・・
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1日も早く立ち直って頂きたい。何も支援出来ないでいる私は祈るのみです。
私も東京深川に住んでいましたから大空襲の時居ましたら当然私は生きていません。母方の実家が福島(南相馬)だったのでそこへ疎開して家族助かったのです。疎開する前は空襲時の為の避難訓練をさせられました。その時私は幼かったので防空壕に避難しているのとばかり思っていましたが後から母に聴いたのは深川は0メートル地帯だから掘ると水が溜まるので掘ることはできなかったそうです。防空壕と思っていたのは家の押入れだったそうです。
上野公園の中に、東京大空襲の慰霊の「時忘れじの塔」というのがあり、「あき」のお散歩で時々通ると花々が添えられていたりします。