院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

正しさを発見する

2020年04月23日 | 日記
テレビをつけるとコロナの話題ばかり。

いつ、自分や家族に感染してしまうか、収入はどうなってしまうのかと心配は尽きない。

でも、先のことなど分からないが、今のところ心配はない。

こころが豊かになれば心配はない。

毎日の修養はこころを穏やかにする。

品性を磨き、器を広げるには、正しさを知ることから始めるといい。
自分は正しいか、間違っているか、そこを学習しながら身につける。

正しさは、法律に抵触しなければ良いという問題ではないのです。

心の行い、思いの正しさが本丸になる。

仏教でいうところの正見(しょうけん)と正語(しょうご)、ここが基本になる。
正しく物事を見て正しく語る。

たとえば、
相手の悩みは何か、どんなことで悩んでいるのか、先入観を持たず透明な心で見てあげる。
これが正見。

正語は、正しい言葉ですから、相手を励ます、元気になるように勇気づける、立ち直るよう聞いてあげる。

これが基本なんです。
どんな人に対しても正見と正語で接してあげる。

正見とは別に、正思(しょうし)があって、正しく思うというものがあります。
私は、正見と正思を一緒にしてます。

正しく思うわけですか、心に波風を立てず思いやりを持って人や物事に接する。

これは、時間がかかります。
不平不満のクセが身についていると、なかなか上手く行きません。
私も10年以上やっているのにちゃんと出来ていない。

この正しさ、正見(正思)、正語がだんだん出来てきて、初めて感謝の想いになります。

日頃から、イライラして体調が悪く、不安で心配の中では感謝の想いは出てこないのです。
自分に都合がいい偽物の感謝はでます。

1日を終え、寝る前に今日を振り返って正見(正思)、正語ができているかを反省する。

もう一つは、昨日より前を振り返り、正見(正思)、正語を点検して反省する。
期間的には0歳〜20歳までの自分を振り返り反省する。

これ、同時進行です。

20歳までの正しさ、ここは誰でも正しくない想いばかり。
正しくない想いは一体いくつあるのか。

思えば、親に頼まれたことを忘れ叱られる。
「はいはい、やっておくよ」なんて言って忘れる。
これ、嘘つき。

「勉強やりなさい」と言われ「やってるよ!」なんて、言われて腹が立つ。

「そんな小さなことまで反省するのか」といえば、些細な、小さなウソ、ムカツキが大問題、そこを野放しにすると感謝はできない。

会社に遅刻して「電車が遅れまして・・・」なんてウソをつく。

気に食わない人を見て「なんだアイツ」と思う。

「あんなに働いて、ボーナスこれだけか」とか。

上司に仕事を押し付けられ、責任を押し付けられ・・・ムカツク。

不平等さに腹が立った時代。

個人的には、星の数ほどの悪い思いを出してきた。
それを十把一絡げに反省するのではなく、一つひとつ思い出しては反省する。

一つひとつ反省して行く内に、忘れたことも鮮明に蘇る。

これを毎日毎日10分やって行く。
やって行く内に、楽しくて10分では足りなくなる。

たまに、今日は疲れたから明日にしようとすると、今までやってきた反省はすべてパー。
それが続くと、不平不満が出てきて、しまいには病院のお世話になる。
慢心は身を滅ぼす。

ピアノの稽古のように、毎日正しさを発見・反省する。

正しい人になれば、希望がほとんど叶えられるし、不平不満を言わない正しい人にも巡り合える。
心配事など殆どなくなる。

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