院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

当たり前すぎて

2018年11月30日 | 日記
先日、3年ぶりに陰陽研修に参加し、自分のいたらなさを再発見しました。

自分の間違いを見つめると「あー、意識が全部ダメだなー」なんて、いつからこんなに正しさから外れてしまったのか、唖然とするばかり。

自分の間違いを修正していくと、気持ちもだんだん穏やかで清々しくなって来るのが不思議です。

いつの間にか、エゴのかたまりで物事を判断していたようです。
その警告が病気です。
それに、以前のように人の生き念の防御ができなくなって動悸がすごいし、本能(マイナス)波長が合って来たのかとマズい流れ。

「この世的な一般常識に染まりすぎていた」とつくづく思いますね。

不平不満を思わないようにしてても、潜在意識ではガンガン思っていたのでしょう。
自分の満たされない思いが、マイナスをどんどん引き寄せていた。
かなり憑依されてたかな。

研修中も手足が痺れっぱなし、よくここまで魔を入れてしまったと反省。

最近では、耳鳴りと言いますか、頭鳴り、頭の上からジーンと頭全体に音が聞こえるようになって、その音が聞こえると「あなた、道外れてますよー」という合図になってます。

ほんの小手先で呪文を唱えてもゼンゼン効かなくなった。
以前は、簡単に体調が良くなったのに、最近は効かなくなってしまった。
知らぬ間に気持ちが悪に流れてしまってた。

この世的な一般常識、社会的な知識、判断、価値観といいますか、これ真理からすればその前に大切なことがあるのです。
客観的に正しいかどうか。
正しさ基準は、ネガティブな思いをチラッとでも思ったか否か。
イヤだ、ふざけんな、うぜーみたいな意識をチラッとでも思ったら正しくない。

悪に流れてしまうと、謙虚に自分の非を認められない。
自分の価値判断の色メガネで、相手や物事を見てたということですね。

研修が進んで行くと、過去の間違いが山のように出てきて、全く忘れていたことが思い出され涙がこみ上げて来る。

幼少の頃、親に駄々をこねて何とか自分の思い通りにしようとしても却下される。
泣きながら、手に入らないモノの未練。
時空を超えて、今まさに、努力の甲斐もなく、それでも与えられ続け、それに気がつかず手に入らない苦悩。

そんな映像がいっぱい出てくるのです。

生後3時間の両親の微笑み。
愛を与えられてる瞬間です。
そんな映像がリアルに蘇ってくる。

与えられることが当たり前、なので記憶は薄れる。
もっと貰いたい、貰えなかったことに執着する。
自分は相手に何を与えたのか、その見返りは・・・。

ここがズレると「努力しても手に入るものは少ないんだなー」と再確認。

過去、与えられ過ぎて、それが当たり前で感謝を忘れてると、今ブーメランとして悩みや苛立ちが多くなる。

年に一度、研修しないと正しさの持続は難しいな〜
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