生業:生活を立てるための仕事。家業。職業。
とある。
暗くて寒い夜道を、何の躊躇もなくたいした物でも
ないのに必死の形相で届けようと歩いているA夫人の
姿に出くわすたびに、この言葉が浮かぶ。
兄弟、親戚、知人、近所から集めた物を、配り歩く。
新しく引っ越して来たお宅にも、あいさつを受けてなく
ても自ら出向く。
少量のものを1日何度も持って行ったりする。
昼間勤めていて不在な人には、日が暮れてからでも持って
行く。
古くなったり、不要になったものは断られないのを
見越して、古くからつきあいのある家をターゲットに
して、押し付けて置いていく。
一日こまめに出歩き、仕入れ・調達・宅配に明け暮れる。
思いがけないリターンがあるので、止められないのだろう。
それとおしゃべり相手になってもらうために、何某か持参する
ものをいつも見繕う必要がある。
こういう集配業務は彼女の永年の日課になっている。
昔、彼女が大好物だと言うので、知らずにいくらの醤油漬けを
作って渡していたら、自分が作ったことにして地方の恩人に
送っていたと判って、びっくり仰天したことがある。
何かを得ようとする目的のためには嘘も平気でつく。
その他に、みそ・しょうゆの類を寸借に歩くのも厭わない。
近隣はさながらコンビニ化してしまう。
食品のみならず、お布施に用いる袋、使い捨てビニル手袋、
ゴミ袋、乾電池など日用雑貨も調達しに来る。
最近はその狡猾さが知れ渡ってきて、だいぶ入手しにくく
なってきたようではあるが。
しかしとにかく徹底してお金を使いたくない彼女の生き方は
変わることはない。
宅配便が止まった家や来客の有った家に顔を出すのは
お手のもの。
わたしは昔、旅行に出るときと帰宅時に必ず捕まっていた。
当時A宅は家族が多く、それなりに気を配らなければ
ならなかった。
今は何のやり取りも無くわたしはすっきりしているが、B・C
夫人は相変わらず悩まされている。
C夫人は今年からは結局捨てることになるものを、初めから
受け取らない決意を固めたそうだが。
スカスカな古いりんご1ヶ、仏壇から下げた和菓子半分でも
ポケットにしのばせて持ち寄るのが習性になっているA夫人
との不毛な戦いはなかなか終結しそうにない。
自分の行動が疎まれ疎遠にされても、新規開拓の余地が
まだあるので平気のようだ。
迷惑行為を控えれば離れていく人もないだろうが、家にじっと
していることは彼女の本能に反するので、彼女はこの自爆
行為が止められない。
エジプトでは、スカラベ(フンころがし)は自然界の創造・再生を
象徴するので神として扱われるが、何かに憑かれたように歩き回る
A夫人の日々の行動も、自然界の運行のひとつにも思えてくるから
不思議だ。