どちらも同じだが、来襲は来る側の意思が強調されており、
(擬人化されており)襲来は自然現象に使われることが多いと
いうことらしい。
以前は家にいると毎日のように(しかも日に数回)A夫人の
来襲があった。
今、午前中家に居てボーッとしているとき、ふとあの煩わしさから
開放されているだけでも、きっぱりとつきあいを断って(少なくとも
わたしはそのつもりなのだが)よかった~と思っている。
今、一番頻繁に来襲されているのはC夫人。
朝の7時には身支度をして戸を開けさせられる羽目に
遭っている。
D夫人「手前にCさん家があってよかったわぁ。もしなかったら
絶対うちに来てるわね」
と、今はのどかに笑っている余裕があるが、実際そうなったら
おっとりしているD夫人もどうなることやら。
C夫人は適当にあしらったり、逆襲もできるからいいけれど、
大人しいB夫人はいつも一方的に聞かされるだけなので、
ときどきわたしに吐露しないと耐えられないようだ。
そしてわたしも、家にひきこもって居る分には安全だが、
一歩外に出ると、いつ襲来に遭うか判らない。
B・C夫人たちと話していると、必ずわたしを不愉快にさせる
意図で割り込んで来る。
ガラガラと戸が開き、離れたところから「奥さん!奥さんてば!」
わたしでないことは百も承知だが、こういうときは名前を
付けて呼ぶべきだろうに。
爆弾低気圧よりたちが悪いが、自然現象と思って割り切らないと
暮らしていかれない。
たまたまA夫人の不在時というのは、あたりの空気感がまるで
違う。
真冬の凛とした静寂感が何とも言えず、これならここも閑静な
住宅街と呼んでもいいかも知れないなんて思う。
「居る?」「さっき出かけた」「あ、帰ってきた」
常に警戒警報の対象になっていることをご本人は知ってか
知らずか・・・
ひきこもりになる人ばかりが問題視されるが、ほんの一日でも
ひきこもることができない人って、健全なのでしょか?
(擬人化されており)襲来は自然現象に使われることが多いと
いうことらしい。
以前は家にいると毎日のように(しかも日に数回)A夫人の
来襲があった。
今、午前中家に居てボーッとしているとき、ふとあの煩わしさから
開放されているだけでも、きっぱりとつきあいを断って(少なくとも
わたしはそのつもりなのだが)よかった~と思っている。
今、一番頻繁に来襲されているのはC夫人。
朝の7時には身支度をして戸を開けさせられる羽目に
遭っている。
D夫人「手前にCさん家があってよかったわぁ。もしなかったら
絶対うちに来てるわね」
と、今はのどかに笑っている余裕があるが、実際そうなったら
おっとりしているD夫人もどうなることやら。
C夫人は適当にあしらったり、逆襲もできるからいいけれど、
大人しいB夫人はいつも一方的に聞かされるだけなので、
ときどきわたしに吐露しないと耐えられないようだ。
そしてわたしも、家にひきこもって居る分には安全だが、
一歩外に出ると、いつ襲来に遭うか判らない。
B・C夫人たちと話していると、必ずわたしを不愉快にさせる
意図で割り込んで来る。
ガラガラと戸が開き、離れたところから「奥さん!奥さんてば!」
わたしでないことは百も承知だが、こういうときは名前を
付けて呼ぶべきだろうに。
爆弾低気圧よりたちが悪いが、自然現象と思って割り切らないと
暮らしていかれない。
たまたまA夫人の不在時というのは、あたりの空気感がまるで
違う。
真冬の凛とした静寂感が何とも言えず、これならここも閑静な
住宅街と呼んでもいいかも知れないなんて思う。
「居る?」「さっき出かけた」「あ、帰ってきた」
常に警戒警報の対象になっていることをご本人は知ってか
知らずか・・・
ひきこもりになる人ばかりが問題視されるが、ほんの一日でも
ひきこもることができない人って、健全なのでしょか?