礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

大正期の大阪、夏の夕方におでん屋の売り声

2015-10-24 03:47:28 | コラムと名言

◎大正期の大阪、夏の夕方におでん屋の売り声

 十年ほど前、雑誌『土の鈴』を何冊か入手した。一昨日は、その第一八輯から、「女泣石と女形石」という文章を紹介した。本日は、その第一九輯(一九二三年六月)から、「大阪おでんやの売り声」という資料を紹介する。報告者は、郷土玩具画家として知られる川崎巨泉(一八七七~一九四二)である。
 ここで、「おでん」というのは、いわゆる「関東だき」(煮込みおでん)のことで、その素材は、たぶん、こんにゃくであろう。「中山」が、どこを指すかは不明。
 それにしても、大正期の大阪では、夏に「あつあつ」のおでんを食べていたことに驚いた。

大阪おでんやの売り声
 コオレコオレ新玉【しんだも】おでんさんお前さん出処【でしよう】は
どこじやいな、わたしの出処は、こーれより東
常陸の国は水戸さんの領分、中山そだち、国の
中山出る時は、わらのべゝ着て縄の帯して、鳥
も通はぬ遠江灘を小舟に乗せられ辛難苦労をい
たしまして、落ちつく先は大阪江戸堀三丁目、
はりまやのテントサンのお内で、永らくお世話
になりまして、別嬪さんのおでんさんにならふ
とて、朝から晩まで湯にいつて、湯からあがつ
て化粧してやつして櫛さいて、堂島ヱラまち竹
屋の向ひのあまいおむしのべゝを着て、柚に生
が、ごまにとんがらし青のりさんしよをチヨイ
トかけてうまい事な、おでんあつあつ。
―――――――――――――――――――――
 夏向きになると夕方から屋台店を曳いて島の内〈シマノウチ〉辺から難波新地〈ナンバシンチ〉の色町の方へ廻る田楽屋の売声、是れが存外長たらしい、此爺さん歯が抜けてゐるので声が少々漏れる気味があるが却て面白く聞える。丁度私の宅の前へ車を下す事になつてゐるので或る夏に鉛筆と首つぴきで覚え込んだのを皆様に御披露いたします。友人の話では大阪全市を廻つて居るさうです。 ―川崎巨泉―

◎昨日の問題(ぴよぴよ大学)の解答

 ロ   イ   イ  4 イ   ロ
 ハ   ハ   ハ   イ  10 イ

追記(2022・6・22) 上の記事の一部に、訂正の必要があることに気づいた。〝「おでん」というのは、いわゆる「関東だき」(煮込みおでん)のことで、〟という部分は、〝「おでん」というのは、いわゆる「田楽」のことで、〟と訂正しなければならない。この訂正については、当ブログの記事〝大正期における大阪の田楽屋と「おでん」について〟(2022・6・22)で、理由などを説明したので、ご参照をお願いしたい。

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