礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

サンカ小説家・三角寛と名刑事・大塚大策

2014-03-10 07:22:15 | 日記

◎サンカ小説家・三角寛と名刑事・大塚大策

 先日、某古書店の百円均一の棚に、三角寛の『名刑事物語 捜査から捕縛まで』(蒼生社)を発見した。初版は、一九四二年(昭和一七)だが、これはその再版であった(一九四三)。サンカ小説ではないので、現代書館の「三角寛サンカ選集」には、はいっていない。
 これが、実におもしろい。文章や構成にも、神経がゆきとどいている。おそらく、三角寛の作品では、最高傑作として位置づけられるのではないか。
 三角寛が「名刑事」のひとりに挙げているのが、大塚大策である。サンカあるい三角寛に関心がある方なら、この名前を 聞いてピンと来るであろう。三角寛は、この刑事に教えられて、初めて、サンカ(山窩)という存在を知ったのである。
同書の第四話「暴動隊の捕縛」の末尾に、大塚大策の略伝が載っている。本日は、これを紹介してみよう。

 大塚大策刑事略伝
大塚大索氏は明治十七年九月十日、風景絶佳の熊本県天草島下津村に生る。父は佐久造、母はすが、その三男である。父祖代々庄屋、父は戸長。
天草中学、県立農学校に学ぶ。
明治三十年熊本歩兵十三連隊入隊。現役中日露戦勃発。
同三十八年七月十七日増設第十六師団歩兵六十四連隊(京都)に転属。
同年同月廿日伍長、出征。黒木大将の第四軍予備隊に編入され、鉄嶺方面に進出。後旅順に転戦。
同三十八年十月十六日講和成立後金州守備隊附となる。
同三十九年四月一日勲七等瑞宝章を賜る。
同四十年三月二十一日凱旋帰国、時に軍曹。
同四十四年二月二十八日曹長に進み除隊。
同年三月上京。六月一日警視庁巡査消防連習所にはいり、八月十日卒業、上野署勤務。
同四十五年一月密行係。
大正二年三月二十六日警視庁警務部捜査係に抜擢栄転。
同二年窃盗贓物〈ゾウブツ〉係として勤務。
同四年三月強力犯〈ゴウリキハン〉係。
同九年十月巡査部長。
昭和三年一月勤務勉励学術優秀の能吏として勲七等青色桐葉章を加綬さる。
氏の取扱ひたる事件は
一、小石川表町東電出張所七人殺し
一、谷中の人妻殺し
一、本所松倉町の人妻殺害強盗窃盗事件
一、山憲事件
一、沖山延一強盗殺人事件
一、新宿裏の三人殺し
一、福田〔雅太郎〕大将狙撃、殺人強盗及び銃砲火薬取締違反事件
一、清水貢の強盗事件
一、井上光利の玉ノ井の私娼殺し
一、コカイン事件
一、銀行強盗真鍋藤吉事件
等々であるが、このほか、閔元植〈ビン・ゲンショク〉刺殺事件、江連力一郎〈エヅレ・リキイチロウ〉事件、賄庖丁〈マカナイボウチョウ〉事件等大正時代の著名事件だけでも二十六件を数へ、昭和年間のものを入れて枚挙に遑〈イトマ〉がない。【以下は次回】

 最後のほうに、閔元植刺殺事件とあるが、これは、来日中の朝鮮時報社社長・朝鮮総督府中枢院副参議が、東京ステーションホテルで、朝鮮独立運動家に刺殺された事件で、一九二一年(大正一〇)に起きた事件である。

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