◎内村鑑三「末謙人糞事件」(1899)
昨日の続きである。本日は、内村鑑三が、『東京独立雑誌』第二〇号(一八九九年一月二二日)に掲載した「末謙人糞事件」と題する文章を引用してみよう。「末謙」は、末松謙澄〈スエマツ・ケンチョウ〉を指す。「スエケン」と読むのであろう。榎本健一を「エノケン」と呼ぶたぐいである。引用は、『内村鑑三全集』第六巻(岩波書店、一九八〇)より。和歌を紹介したあと、話題が変わるが、その部分は割愛した。
『末謙人糞事件』
明治32年1月25日
『東京独立雑誌』20号「見聞録」
署名 笑肥生
◎『末謙人糞事件』とは近頃奇異なる文字の配列なるが之に解釈を付すれば、日本国の貴族末松謙澄なる人が憲政党と名づけら〔れ〕たる政党に入り明治の三十二年一月と申すに党勢拡張の為め陸奥国〈むつのくに〉青森に下りし時、憲政本党と名づけられし他の政党の壮士の襲撃する所となり、将さに〈マサニ〉人糞を浴せられんとせしなりと云ふ。
◎昔は楠正成〈クスノキ・マサシゲ〉長柄杓〈ナガビシャク〉を以て熱糞を敵の頭上に注いで千早の城を全うし、今は進歩党の策士樽詰の冷糞を投じて自由派の驍将〈ギョウショウ〉を却かす〈シリゾカス〉。古今の智謀同一轍〈ドウイツテツ〉、進歩党に策士多しとは余輩今日始めて之を知るを得たり。
◎人糞事件に題して
陸奥の雪に黄金の花咲きて
匂ひぞわたる末の松やま
※追記 このコラムを書いたときは気づかなかったが、内村鑑三の和歌には、「本歌」があったようだ。大伴家持の「天皇(すめろき)の御代栄(みよさか)えむと東(あづま)なる陸奥山(みちのくやま)に黄金花咲(くがねはなさ)く」という歌である(万葉集・巻18-4097)。2023・9・11追記。
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