礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「蒼き顔」の人々の群れ(高田保馬『社会歌雑記』より)

2013-06-16 09:29:34 | 日記

◎「蒼き顔」の人々の群れ(高田保馬『社会歌雑記』より)

 本日も、社会学者・経済学者の高田保馬の『社会歌雑記』(甲文社、一九四七)という本を紹介する。以下は、「終戦ののち」の項の最初にある文章。

(40) 知る知らぬちまたの蒼き顔のむれ身に親しもよ國敗れては(昭和二十年)
町を歩くとどこを見ても蒼い顔をしてゐる。今日の配給では当然のことであるともいへる。東京では栄養失調で死ぬものが日々何人に上るといふ臆測の話も伝はり、大阪駅の中や地下道ではそこを根城に生活してゐる無宿者が大分にゐるとききもし、又いくらかは現に見てもゐる。京都の食糧品の市場錦小路には日中幾人かの乞食に出会ふ。普通の人でも物資の抜けみちでかもたぬ限り、皆蒼い顔をしてゐる。これらの名も知らぬ一言を交したこともない人人ではあるが、長い間の戦争では同様に酸苦をなめ、敗戦によつて同様に思い負担を忍ぶといふ運命を負うてゐる者であると思ふと、其胸中のほどは善く分る。皆々此苦難の同行者である。自ら親しい気持がわき出でて〈イデテ〉来る。
 勿諭これは私どもの心の一面であつて全部ではない。他の一面には農村の淳朴さが失はれたといはれ、闇の利潤の驚くべき集積があるといはれる。交通機関をはじめらゆる人ごみでは少しのことでいがみ合ひがたえまもない。否、政治の上では闘争そのものを目標とする気分すらもある。「国敗れ同じさだめになやみ合ひて何事ぞ内戦ふといふ。」ここしばらく、混乱がしづまり、秩序が立直るまでは、特に国家が当然の義務を履行して国際場裡に於ける信用を回復するまでは、苦悩を分ち、悲痛を分たねばならぬ。

今日の名言 2013・6・16

◎町を歩くとどこを見ても蒼い顔をしてゐる。

 高田保馬の言葉。終戦直後の日本人は、栄養失調から、「蒼い顔」をしている人が多かったという。『社会歌雑記』の127ページに出てくる。上記コラム参照。

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