礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

東学党の吊民文(1894年5月8日)

2014-09-26 03:52:38 | コラムと名言

◎東学党の吊民文(1894年5月8日)

 昨日の続きである。『内乱実記 朝鮮事件』(文真堂、一八九四)の二四~二五ページに、「東学党の吊民文」というものが紹介されている。いわば、決起趣意書といった性格のものであろう。本日は、これを紹介してみる。改行は、原文のまま、句読点を、適宜、追加している。

○書 翰  (六月二日釜山発通信)
 東学党の吊民文
五月八日を以て東学党が法聖邑の吏に致したる通文、左の如し
 聖明〔天子〕上〈カミ〉に在ませ共〈マシマセドモ〉生民塗炭の苦に沈む。其故は如何、民
 弊の本〈モト〉は吏逋〈リホ〉に由り、吏逋の根は貪官〈ドンカン〉に由り、貪官の犯
 す所は則ち執権の貪婪〈ドンラン〉に由ればなり。噫〈アア〉乱極れば則ち
 治となり、晦変すれば則ち明となる、是理の常なり。今、我
 儕〈ワレラ〉民国の為めにする精神、豈に〈アニ〉眼中、吏民の別をなすこ
 とあらんや。其本を究むれば、則ち吏も亦民なり。各公文
 簿の吏逋、及び民疾の条件あらば、凡て之を我儕に報じ
 来れ〈キタレ〉。当に〈マサニ〉相当処置の方ある可し。希くは、至急に持し〈ジシ〉
 来つて、敢て或は其時刻に違ふ〈タガウ〉こと勿らんことを。(其
 紙上にある押図を見るに守令の印信の如し)
通文、尚一通あり。
 吾儕今日の挙は、上宗社を保ち、下〈シモ〉黎民を安んじ、而して
 之れが為めに一同死を指し誓〈チカイ〉をなす者なれば、敢て恐
 動を生ずること勿れ。茲に〈ココニ〉先途に於て、釐正〈リセイ〉せんと欲す
 る者を列記すれば、第一、転運営が弊を吏民になすこと。
 第二、均田官が弊を去り、又弊を生ずること。第三、各市井
 の分銭収税のこと。第四、各浦口〈ホコウ〉の船主勒奪〈ロクダツ〉のこと。第五、
 他国潛商が竣価(前貸のこと)貿来〈ボウライ〉のこと。第六、塩分の
 市税のこと。第七、各項物件都売利を取ること。第八、白地(未墾地)
 に徴税し、松田〈ショウデン〉に起陣すること等。臥還〈ガカン〉の抜本
 条々の弊疾、尽く記すべからず。此際に当り、吾〈ワガ〉士農工賈
 四業の民が、同心協力して上は国家を輔け〈タスケ〉、下は死に瀕
 せる民生を安んずること、豈に幸事にあらずや。

 いくつか、珍しい漢語が出てくるが、これらについて解説する力量はない。そもそも、「吊民文」の意味がわからない。あるいは、「人民に同情する文」といった意味か(吊は弔に通ずるので)。なお、インターネット上にも、上記とほぼ同じ文章が見出せる。それによれば、これは、同年同月七日付の万朝報〈ヨロズチョウホウ〉の記事「朝鮮戦記 五月廿六日仁川発通信の続き」であったものと推測される。

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1 コメント

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掲載同意 (鵜崎巨石)
2014-09-26 10:50:24
「史疑幻の家康論」についても拙ブログ記事掲載に同意いたします。光栄の至りです。
 さて甲午農民戦争と言えば、わたしには昔興味を持った白凡金九が若くして立った時期であります。「逸志」平凡社版東洋文庫と韓国語版を併読しようと思ったときもありますが、果たせませんでした。
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