礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

五・一五事件と茨城法曹団

2018-03-11 01:21:13 | コラムと名言

◎五・一五事件と茨城法曹団

 昨日に続いて、富岡福寿郎著『五・一五と血盟団』(弘文社、一九三三)の内容を紹介する。
 本日は、「茨城法曹団弁護士 石川浅」による「序」を紹介してみたい。この「序」は、昨日、紹介した風見章による「序」のあとに置かれている。

   序
 想ひ起す、昭和七年〔一九三二〕五月十五日、暮色漸く帝都に迫らんとする時、突如として起つた一大旋風。是れ即ち五・一五事件にして、しかもこれが序曲をなしたるもの血盟団である。
 言ふまでもなく今や内外寔に〈マコトニ〉多事、我等の日本は正に非常なる危機に面してをる。九千万同胞が真に目醒めて協力一致、祖国の護りにつかざれば国家の前途まことに憂ふべきものがあらう。
 思ふに本事件関係の人々は、既に夙く〈ハヤク〉今日あるを知つて世に先んじてこれを憂ひ、憂ひて已む能はず〈ヤムアタワズ〉、遂に非合法的手段に訴ふるにいたつたものではあるまいか。
 高須〔四郎〕裁判長が海軍側の判決に明記されたる如く彼等の罪責は寔に重大なりといへとも止むに止まれなかつた憂国の至情にいたつてはこれを諒とすべきものがある。一片の私心なく一片の私慾なく、済国救民の念願に燃えてひたすらに何物かを焦き〈ヤキ〉つくさうとせる耿々〈コウコウ〉の気は汲んで以て国民の深く考慮すべきものと信ずる。
 我等郷党の偉人藤田東湖先生、当年〔そのころ〕鹿島神宮を拝し
   明神正気豈遂淪。余霊時時出人傑。皇風或自常陸振。前有中郎後有梅里。
と称ふ、五・一五、血盟団事件関係者多く茨城より出で〈イデ〉茨城に事を謀る。妖雲漲り〈ミナギリ〉天日〈テンジツ〉暗き時、皇風また常陸より起るの謂ひか。
 而して富岡〔福寿郎〕君、今常陸より筆を起して二大事件の実相を明かにす、しかも君はよくその人を知りその業蹟に委しく〈クワシク〉、この一事を以てするもこの著述が、この事件にとつて大なる権威であることは言を待たない。予たまたま本件弁護人として法廷に列し、感慨更に切なるものあり、所懐の一端を記して序となす。
  昭和八年十一月   茨城法曹団弁護士 石川 浅
           
 最後にある「茨城法曹団」というのは、たぶん、五・一五事件に民間から関与した愛郷塾関係者の弁護にあたった弁護団のことであろう。粉川幸夫著『昭和の蹉跌』(西田書店、一九九五)の巻末資料によれば、この愛郷塾関係者の弁護にあたった弁護士は三十一名を数えたとされ、その筆頭に石川浅の名前がある。「浅」の読みは未詳。

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