礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

秩父鉄道の諸井恒平と岡田式静坐法

2013-12-19 04:49:23 | 日記

◎秩父鉄道の諸井恒平と岡田式静坐法

 昨日のコラムで、実業之日本社編の『岡田式静座法』(実業之日本社、一九一二)に言及した。この本は、一九一二年(明治四五)四月に初版が出たが、以来版を重ね、一九一五年(大正四)三月には、早くも五六版が出ている。私の所蔵しているものは、同年五月にでた五七版(改定増補)である。
 そこに、秩父鉄道の創業者として知られる諸井恒平〈モロイ・ツネヘイ〉による「静坐によりて不眠症全癒し心身一変す」という文章が載っているので、本日は、その一部(第二節以下)を紹介しよう。なお、当時の諸井が名乗っていた肩書は、日本煉瓦会社専務取締役・東京毛織物会社常務取締役である。

 岡本病院長より静坐を勧めらる
 四年前の春、或会合の席で、養生の話が出た。日本橋病院長岡本武次〈タケジ〉氏は多年懇意であるから、其時余は岡本国手〔医師〕に向つて、自分は斯く斯くの慢性胃腸病で、薬を飲んでも効能はない様〈ヨウ〉であるが、薬を飲まない癒る〈ナオル〉方法はないでせうかと訊く〈キク〉と、岡本国手は、それより岡田〔虎三郎〕といふ人に就いて呼吸静坐法といふものを試みて見たらよからうとの話であつた。
 初日より既に効験を認む
 当時は上野の三宜亭〈サンギテイ〉で毎朝〈マイチョウ〉六時から静坐の会があつた。余は鏑木〔誠〕少将の紹介状を持参して同処に出懸けた。先づ岡田先生の体格姿勢を見て、其見事なる発達に感心せざるを得なかつた。全く理想的発達である。面会して余の志望を陳べると、岡田先生は別に多くの説明もなく、坐つて御覧になれば自然に分るといつて、余に姿勢を教へられた。余は既に数年間謡曲で坐る習慣がついて居たから、比較的容易であつたものと見える。教へられ通りに坐つて眼を閉ぢて居ると、やがてビリビリと地震を感ずる様に身体に震動が来た。そして自然に身体が前後に揺ぎ〈ユルギ〉出した。少し妙に感じたから止め〈トメ〉ようと思ふと、今度は左右へ揺ぎ出した。其中に〈ソノウチニ〉頸の附け根が揺いて〈ウゴイテ〉頭が廻り出した。後で聞いて見ると、余の如く初日から揺くものは少いと言ふことである。
 心身の状態日々に変化す
 兎に角〈トニカク〉珍しいので、家に帰つて話をした。家人には薩張〈サッパリ〉分らぬ。一つやつて見ようといつて静坐すると、忽ち揺き出した。家人も驚いて仕舞つた。そこで、余は爾来毎朝三宜亭へ通つた〈カヨッタ〉。揺き方が日に日に強くなる。又揺き方も種々に変化して来る。身体の筋が張つて来る。痛い様に感ずるが、其痛さは傷でも癒えようかといふ好い〈イイ〉心持である。首が後〈アト〉へ反る〈カエル〉事がある。或時電車の中で静坐の姿勢を執つて居ると、動揺が来て首が後方〈ウシロ〉に反つて仕舞つた。折しも下車しなければならぬぬのが、首の筋が張つて咄嗟には戻らないから、反つたまゝ下車した事があつた。【以下略】

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