◎黒岩涙香、藤村操の死を悼む
改造社の現代日本文学全集の第五一巻は、『新聞文学集』(一九三六)で、そこには、明治大正の著名な新聞記者の文章が収録されている。本日は、そこから、黒岩涙香〈ルイコウ〉の「少年哲学者を弔す〈チョウス〉」という文章を引用してみたい。涙香のいう「少年哲学者」とは、一九〇三年(明治三六)五月二二日、日光の華厳の滝に飛び込んで死んだ藤村操〈ミサオ〉を指す。
なお、黒岩涙香は、『万朝報』〈ヨロズチョウホウ〉の創業者にして記者。当然、この文章も、同紙に掲載されたものであろう(文末の日付は、掲載日か)。
少年哲学者を弔す
那珂博士の甥、藤村操、年十八にして宇宙の疑問解けざることを恨み、日光山奥の華厳の滝に投じて死す事は昨日の朝報に在り、死に臨み、巌頭に立ちて、樹を白げ〈シラゲ〉書して曰く
悠々たる哉〈カナ〉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯〈ショウク〉を以て此大〈コノダイ〉をはからんとす、ホレーショの哲學竟に〈ツイニ〉何等のオーソリテーを価するものぞ、万有の真相は唯一言〈イチゴン〉にて悉す〈ツクス〉、曰く『不可解』我この恨〈ウラミ〉を懐いて煩悶〈ハンモン〉終に死を決す、既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安ある無し、始めて知る大なる〈ダイナル〉悲観は大なる楽観と一致するを
我国に哲学者無し、此の少年に於て初めて哲学者を見る、否、哲学者無きに非ず〈アラズ〉、哲学の為に抵死する〔死にいたる〕者無きなり
独〔ドイツ〕のショッペンハウエル悲観の極に楽観ありと為す、而も自死するに至らず
然らば哲学の極致は自死するに在るか、曰く何ぞ然らん、唯だ信仰の伴はざる哲学は、茲に窮極するなり
チャーレス・ボーエン曰く、哲学は黒暗々〈コクアンアン〉の室内にて黒き帽子を探るが如し、如何に探るも窮極なし、其の帽子たるや実は初めより其室内に置かれて在らざればなりと、シゲヰッチ曰く、哲学は哲学者の小理屈〈コリクツ〉を追払ふが為に必要なり、
多少哲学を修めざれば哲学者の為に惑はさると、信仰を離れたる哲学を評し得て絶妙なり
然れども哲学の多くは信仰を有せず、全く暗室に、無き黒帽を探るなり、唯だ心的一元論に至りて、初めて信仰あり、暗室を去りて明所に移るな切、人之に依りて光明に接するを得〈ウ〉
余〈ヨ〉天人論を著す、人をして明白々〈メイハクハク〉の室に黒帽〈コクボウ〉を看認め〈ミトメ〉しめんとの微意なり、恨むらくは巌頭に感を書して六十丈の懸泉〔滝〕に投じたる此の少年哲学者に一冊を寄献するを得ざりしことを
『不可解』の一言を以て宇宙の秘を悉すの時は過ぎたり、少年哲学者は悲観の楽観と合する所にホレーショ以外の光明に接したるか、大谷川〈ダイヤガワ〉の水、長へ〈トコシエ〉に碧〈ミドリ〉にして、問へども答へず、余は那珂博士と同じく痛哭して之を記す。
(明治三十六年五月二十七日)
文中、「那珂博士」とあるのは、東洋史学者の那珂通世〈ナカ・ミチヨ〉のことである。また、いわゆる「巌頭の感」の中の「大なる」の読みは、『新聞文学集』のルビに従った。
文章の最後で黒岩は、藤村操少年に、自分の著書『天人論』を読ませたかったと残念がっている。同書は、朝報社から、同年五月一六日に刊行された。実に、藤村少年の投身のの六日前である。
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I am a columnist based in Tokyo, and I have written some columns about 'Fujimura Misao' and his 'Gantou-no-kan'. While I am not good at English, I read your comment and find that you want to get some clues or some further information about Fujimura.
以下、日本語で。『新聞文学集』は、改造社(Kaizousha)の「現代日本文学全集」の一冊で、特に珍しい本ではありません。残念ながら、今、手元にありません。そこに載っている黒岩涙香(Kuroiwa Ruikou)の文章は、『萬朝報』(Yorozu-Chouhou)という新聞に掲載されたものと思われますが、日付などは、コラムを書いたとき確認せず、いまだに確認していません。新しい情報が入りましたら、ブログ上で、お知らせします。しばらくお待ちください。
Thank you very much.
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Koishikawa
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I am an visual artist based in London, and I am now finding some old newspapers about '藤村操' and his '巌頭之感'. Since I am not good at Japanese, I read your article and find that you have mentioned about '現代日本文学全集' and '新聞文学集' have published some news about '藤村操'.
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MT