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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

君は社稷の精神を知るすばらしい編集者だ(三島由紀夫)

2020-12-02 02:40:51 | コラムと名言

◎君は社稷の精神を知るすばらしい編集者だ(三島由紀夫)

 井出彰氏の『書評紙と共に歩んだ五〇年』(論創社、二〇一二)を紹介している。本日は、その二回目で、「7 三島由紀夫とのつき合い」のところを紹介する。

   7 三島由紀夫とのつき合い

 ―― この際だからうかがいますが、事件前には井出さんは三島とも親しかったと聞いています。
 井出 これはみんなからかなり顰蹙【ひんしゅく】を買っていたけれど、三島由紀夫に意識的に接近していた。それは私が文学好きで、三島のファンだったこと、新左翼の中でも三島を評価する一部の人たちもいたこともあって、村上〔一郎〕さんの紹介で、葦津珍彦【あしづうずひこ】という神社新報社の会長と対談をしてもらった。そうしたら三島さんは葦津氏と会ったことがなかったので、とても喜び、君は若いのに社稷【しゃしょく】の精神を知るすばらしい編集者だとほめてくれた。私は葦津珍彦という人は知らなかったし、村上さんから少し前に聞いただけだったんだけれど。それがきっかけで、春日井建〈かすがい・けん〉の歌集の書評や小さな文章を何度か寄せてくれるようになった。
 ―― それらは葦津珍彦の日本教文社本に入っている対談、及び春日井の『行け帰ることなく』の書評だと思いますが、井出さんが仕掛けていたとは知りませんでした。
 井出 そんなことがあって親しくなった。三島さんが山の上ホテルにいる時など電話がかかってきて、うちにこないかといってくる。それで二人で聖橋〈ヒジリバシ〉まで歩いていき、そこからタクシーで三島さんの自宅に行った。何で聖橋まで歩いていくのが好きだったのかわからないけどきっと、あのコンクリート剝【む】き出しの実在の橋より、名前が好き、それに近くに孔子廟【こうしびょう】などがあって、あの風景が好きだったのではないかと思う。
 そうしたつき合いもあってなのか、三島さんから明らかに死を覚悟しているような手紙を事件の一週間前にもらっている。でも引っ越しなどのどさくさに紛れて、それをなくしてしまったことは今でも残念だと思っている。
 ――でもあらためて驚くのはこれらの話だけでも書評紙をめぐる執筆者たちとの関係、つまりそれは当時の著者たちと出版社や編集者との関係の在り方です。現在とはいかにちがっていたかということに尽きます。
 大手出版社の編集者は著者よりも下請け編集プロダクションの管理者、新書の著者は大半が大学の教師、売れる本は一部の著者と実用書と自己啓発書に集中しているのが現在の状況ですから。

*このブログの人気記事 2020・12・2(10位の坂口安吾は久しぶり)

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