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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「維新大詔」が渙発されるまでは戦いぬかねばならなかった

2020-05-01 00:01:04 | コラムと名言

◎「維新大詔」が渙発されるまでは戦いぬかねばならなかった

 中野五郎『朝日新聞記者の見た昭和史』(光人社、一九八一年一一月)から、第六章「日本軍、東京を占領す――二・二六事件――」を紹介している。本日は、その三回目。「十九」は割愛して、「二十」の全文を紹介する。

      二十
 さて、今度は二・二六事件の反乱軍、すなわち、決起将校一派のひきいた「昭和義軍」の正体と、その戦闘力について、私か入手した資料にもとづいて検討してみよう。
 それはいったい、どれくらいの兵力あるいは武力があったら、二・二六事件ぐらいの規模の反乱、ないしはクーデターが日本で実行できるであろうか――という今日の時点よりみた興味ある軍事的研究の題目であると思う。
「決起趣意書」その他の文書にも明記されたとおり、決起将校たちはみずから「昭和義軍」または「維新義軍」と呼んで、大きな白布の幟【のぼり】に墨痕もあざやかに大書して幾旒〈イクリュウ〉も用意していた。それは彼らのつねに悲願としていた「昭和維新」を決行するための正義の軍隊を意味するものだった。
 わずか数人の年老いた元老、重臣を暗殺するためのみならば、彼らはそれほど多数の軍隊も武器も必要とはしなかったであろう。その場合には、おそらく五・一五事件(昭和七年〔一九三二〕)に参加した海軍、陸軍、民間各側をあわせてせいぜい三十名ぐらいの人数でことたりたであろう。
 しかしながら、彼らのめざす「昭和維新」の実現をみるまで、あくまで「尊皇討奸」を徹底的に断行するためには、まず、警官隊と憲兵部隊の干渉を制圧せねばならないし、また最悪の場合には、政府軍とも一戦をまじえるだけの戦闘力を保持する必要があった。彼らは天皇より「維新大詔」が渙発されるまでは、断乎として戦いぬかねばならなかったのである。
 それゆえ、彼ら決起部隊の武装と兵力は、つぎの通りきわめて強力なものであった。
 一、首相官邸を襲撃して、岡田啓介首相殺害の任務を担当した栗原部隊(歩兵第一連隊)の兵力――指揮官=栗原安秀中尉、兵力約=三百名、武器=機関銃七、同実包二千数百発、軽機関銃四、小銃百数十挺、同実包一万数千発、拳銃二十、同実包二千数百発、発煙筒約三十、防毒面約百五十、このほかに梯子【はしご】などを携行す。
 二、大蔵大臣私邸を襲撃して高橋是清〈コレキヨ〉蔵相を殺害、ならびに宮城坂下門を制圧する任務を担当した中橋部隊(近衛歩兵第三連隊)の兵力――指揮官=中橋基明〈ナカハシ・モトアキ〉中尉、兵力=約百二十名、武器=軽機関銃四、小銃百、同実包千数百発、拳銃数挺、同実包百発、ほかに梯子などを携行す。
 三、内大臣私邸を襲撃して、斎藤実【まこと】内府殺害の任務を担当した坂井部隊(歩兵第三連隊)の兵力――指揮官=坂井直〈ナオシ〉中尉、兵力=約二百名、武器=機関銃四、軽機関銃八、各実包二千数百発、小銃約百三十梃、同実包約六千発、拳銃十数梃、同実包約五百発、発煙筒若干。
 四、侍従長官邸を襲撃して鈴木貫太郎侍従長殺害の任務を担当した安藤部隊(歩兵第三連隊)の兵力――指揮官=安藤輝三〈テルゾウ〉大尉、兵力=約二百名、武器=機関銃四、同実包約二千発、軽機関銃五、同実包千数百発、小銃約百三十挺、同実包約九千発、拳銃十数挺、同実包約五百発。
 五、警視庁占拠の任務を担当した野中部隊(歩兵第三連隊)の兵力――指揮官=野中四郎大尉、兵力=約五百名、武器=機関銃八、同実包約四千発、軽機関銃十数挺、同実包約一万発、小銃数百挺、同実包二万発、拳銃数十挺、同実包千数百発。
 六、陸軍大臣官邸占拠の任務を担当した丹生部隊(歩兵第一連隊)の兵力――指揮官=丹生誠忠〈ニウ・マサタダ〉中尉、兵力=約百七十名、武器=機関銃二、同実包約一千発、軽機関銃四、小銃約百五十挺、同実包約一万発、拳銃十二挺、同実包約二百発。
 七、朝日新聞社襲撃の任務を担当した栗原部隊(歩兵第一連隊)の兵力――指揮官=栗原安秀中尉、兵力=約五十名、武器=機関銃一、軽機関銃二、軍用自動車三台。
 八、湯河原伊藤屋旅館に牧野伸顕前内府を殺害する任務を担当した河野隊(軍人および民間人)の兵力――指揮官=河野寿〈コウノ・ヒサシ〉大尉(所沢飛行学校)、兵力=下士官兵(歩兵第一連隊)二名、民間同志五名、武器=軽機関銃二、ほかに小銃、拳銃同実包各若干、日本刀数本(自動車二台に分乗して二月二十六日午前零時四十分に東京を出発、午前五時ごろに湯河原に到着)
【一行アキ】
 以上が、二・二六事件を引きおこした空前の「昭和義軍」の正体であった。その強力な戦闘力は、重火器その他の大型兵器をまったく保有してはいなかったが、各部隊ともいずれも「昭和維新」の捨て石たらんと決意した、いわば筋金入りの青年将校――――たちに指揮された必死、必殺の特攻隊のようなものであったから、もしも政府軍との間に兵火を交えるような不幸な事態を生じたならば、おそらく徹底的に最後の一弾まで撃ちつくして壮烈に戦いぬいたことであろう。

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