◎清軍派から軍閥ファッショ派に乗り換えた東條英機
志賀哲郎の『日本敗戦記』(新文社、一九四五年一一月)を紹介している。本日は、その八回目。
本日は、「戦争を弄ぶもの」の節を紹介する。この節は、やや長いので、二回に分けて紹介する。
戦争を弄ぶもの
併し、これが国内の政権を左右するだけに終つたならば害の及ぶ所はまだ少なかつたのであるが、国内革新派の鉾〈ホコ〉を他に反らせようとして対外戦争を計画するに至つては、最早言語道断といふも愚かなことである。
これについて真崎大将はその間の消息を暴露してゐる。
「最後に支那事変と大東亜戦争であるが、この戦争が敗けるにきまつた戦争であることは、敗戦の結果からいふのではなく、私は支那事変の頃から幾度警告したか知れない。二・二六事件で、あはよくば政権を獲得せんとしてたが成功せず次第に軍への不平も昻つて〈タカマッテ〉来たので、そのボロ隠しに国内の関心を外に向けようと企てた大博奕が支那事変であり、更にその上塗りをしたのが大東亜戦争である。こんな不純な動機で初められた戦争に勝つはずがない。海軍は最初から反対で、山本〔五十六〕元帥も、一年間はどうにか出来るが、後は保証できない、と戦前から言つてゐた程で、既に陸海の協力は破れてゐた。整備や地の利の点でも勝ち目のないのは判つてゐた。ではどうして負けると判りながら米英を相手にするに至つたかといへば、支那事変において道理の立たぬ苦しまぎれから、じり貧になるよりは潔くやらうといふ単純な気持のもの、ドイツが必ず勝つと思つてゐたもの、米国は個人主義だから長期戦は出来ぬと思つてゐたもの等の綜合された空気に躍らされた東條〔英機〕が強引にやつてしまつたのである。東條は私が第一師団長当時、その第一連隊長だつたが、私が参謀長時代、山下〔奉文〕が軍務局長に就任した。山下を嫌つてゐた東條は、これを私の差金〈サシガネ〉と邪推して、私から離れてしまつた」
これによつて見ると、元清軍派だつた東條大将が、個人的な感情問題から軍閥フアツシヨ派に乗替へ、政権を獲得した増長慢に陥つて遂に無謀な大戦争を初めてしまつたわけである。こんな大ベラボウがあるだらうか。
この大ベラボウは軍閥フアツシヨどもに共通のものであつた。
支那事変を引起したのは出先軍部と示し合はせた彼等であつたが、その前途を憂へて近衛〔文麿〕首相は直ちに不拡大方針を声明し、軍の中にもこれを支持する者が多かつたが、自分の地位を確保するためには此の一手より他にないと考へた彼等は、蒋介石など何程のことやあるとタカをくゝつて益々事変を拡大して行き、事変解決の機会が与へられても故意にこれを避けてゐた。【以下、次回】