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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

双六には「振り出しに戻る」ということがある

2019-01-03 02:00:24 | コラムと名言

◎双六には「振り出しに戻る」ということがある

 富塚清の『わが科学敗れたり』(大日本飛行協会、一九四五年一一月)という冊子を紹介している。本日は、その二回目。本日は、その第二節「僕は悲観論者であつたか」を紹介する。

  僕は悲観論者であつたか

 全く敗れも敗れたり。敗れるのもこゝまで来ればまあ思ひ残すことはないね。誰しも――どんな悲觀的な見方の人も――まあこゝまで来ようとは思ひがけなかつたらうからね。
「然し、おとうさんだけは別だらうつて…」はゝゝゝ、さういへばさうだね。僕は去年の夏頃からは、かなり思ひ切つた観測をぶちまけてゐたからね。「この戦争は、諸君、武力戦の負けだけではありませんぞ、全面的敗戦ですぞ」なんてね。またかうも云つたさ、「諸君、すごろくといふものを知つてるね。あれには上りといふものがある。その上りの一つ手前に諸君はゐるつもりかも知れない。然しそこで悪い目が出ると、「振り出しに戻る」となることがあるだらう。日本の今の場合が正しく〈マサシク〉さうですぞ。諸君、その振り出しも明治初年どころぢやありませんぜ。ことによると神代かも知れませんぜ」などとも云つたのさ。みんなぎくんとしたらしいね。憤慨して密告した奴もあるらしい。それに及ばず、世間に評判が高くなつてね、例の特高さわぎ、憲兵さわぎさ。それからその地方で僕は、ブラツクリストさ。でも、僕の話を聞いて憤慨した連中、今こそ、ぎやふんだらうと思ふ。「そーれ見たことか」さ。それに及ばず、この五月頃でも既に、僕のことを見直す人がその地方にかなりあつたらしい。おかあさんがね、その地方へ行つたら、「先生は象牙の塔の唐変木かと思ひの外、時勢を見る明〈メイ〉があるんだね」なんて、評判がばかによかつたつてね、気をよくして帰つて来たものね。先見の明なんとも云つたつてさ、笑はせるよ、全く。先見も何もあるものか、僕等はただ、科学的冷厳であつただけさ。単にね、事態を色眼鏡なしに見て、いゝものはいゝ、悪いものは悪いと云つただけだものね。
「然しそれが仲々に出来ない芸だ」つて?なる程それはさうだ。科学者だつて随分、便乗をやり御用言論をやつたからね。僕などの様に終始一貫、「こんなことで勝てるか、こんな低い科学性では、目前の武力戦に負けるのみか、長い民族生活戦に於て落伍の憂き目〈ウキメ〉を見るぞ」つて率直に云ひつゞけた奴は、まあ稀だからね。
 だから、「日本敗れたり」なんかぢやなく、近頃は、「我勝てり」なんて云つて、得々としてゐるんぢやないかつて?おいおい、人聞きの悪いことはいふなよ。「そーれ見たことか」位は云ふがね、「我勝てり」なんて、人前で云つてみろ、ぶんなぐられる。尤もおまへにだから打ちあけるが、まあ内心にはそんな気のすることもあるにはあるよ。
「おとうさんは敗戦主義だから、それ位のこときつとあると、自分等もにらんでゐた」つて?蛇の道は蛇だね、だが、人聞きの悪い!敗戦主義者とは何だ。そもそもお前等は科学を知らぬのみならず、言葉のつかひ方一つさへ知らないんだね。それでおまへ憲兵少尉か。そんな頭で思想問題まで取扱はうといふのだから臍茶物〈ヘソチャモノ〉だよ。だからこそ、我々が科学面で文句なしに敗れた以上に、お前の方の畑でも敗戦の憂き目を見た筈だ。全くどうだ、おまへ達の努力の甲斐もなく八方ふさがりだものね。
「それはさうと、「日本敗れたり」の作者として、お父さんは打つてつけだ」つて?、それこそはまあ、本当かなあ。もう調書はすつかり出来上つてるんだから、今すぐでも出版屋に渡せる。憚りながら、アンドレ・モーロア君よりも、こちらの方が上わ手だね。アンドレ・モーロアの例の、「フフンス敗れたり」の書き出しを憶えてゐるかね。モーロアに向つてチヤーチルが忠告したくだりだ。チヤーチルは大戦の数年前にモーロアに云つた。「モーロア君、人情だ恋だなんてことを書くのにこの際時間つぶしをしてるのは止め給へ。そして、フランスの空軍は劣勢で、このまゝでは、間もなく、ドイツに食はれてしまふといふことを日に一篇づつ書いて、あらゆる新聞や雑誌にのせることにし給へ。論旨はたゞその一つでいゝんだ。その方が恋だ友情だなどといふのを書いてることよりも遙かにフランス国家に貢献することぬなる」つてね。だがモーロアはその忠言を聞き入れなかつた。まさかと思つたんだらうね。それに、そんなことを書くことは文学者として面白くもなからうしね。そしてあの始末になつてあとではまあ後悔したわけさね。ところで僕はだよ、誰からも、忠告などされはしなかつた。だが、書いたね、しやべりもしたね。前線でだつて、きつといくつか見たらう。
「おいおい、みろみろ、お前のお父さんの説がこゝにも載つてるぜ」なんて友達から云はれたことだつてきつと二度や三度はあつたらう。みるといつでも論旨は一つと来てゐる。「なあんだ、また、同じことを……」なんて友達にいはれて、お前は気愧しいこともあつたらう。だが悪く思ふな、国家のためだと思つてやつたんだからね。お前は俺のことを敗戦主義なんていふかも知れないが、そもそもだよ、「このまゝでは敗れるぞ」と警告することが、なんで敗戦主義かさ。本当にこんなみぢめなことにしたくないからこそさう云つたのだ。親切な忠告ぢやないか。

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