礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

おまへが実際には死んでゐない様な気もするのだ

2019-01-02 03:51:55 | コラムと名言

◎おまへが実際には死んでゐない様な気もするのだ

 昨年の終わりごろ、富塚清著『わが科学敗れたり』(大日本飛行協会、一九四五年一一月)という冊子を入手した。表紙および奥付に、「反省叢書・第一輯」とある。表紙・裏表紙含め、三二ページ。当時の定価は「六十銭」、古書価は、たしか二〇〇円だった。
 富塚清(一八九三~一九八八)は、異色の科学者として知られている。この冊子も、その異色の科学者にふさわしい、興味深い内容のものだった。
 同書は、全六節からなるが、本日は、その第一節「終戦の大詔を拝して」を紹介してみよう。

  終 戦 の大 詔 を 拝 し て

 戦線の我が児へ――
 おい、K、あの大詔をお前はどこで聞いたね、これまで前線でまる二年以上聖戦完遂のため、張り切つてまつしぐらに働いて来た上のあれだものなあ、嘸や〈サゾヤ〉お前も、びつくりし、またげつそりもしたらう。お前のその姿が目に見える様だ。尤も、お前は、その大詔を拝することが出来ない身に、もうなつてゐるのか。……といふのは、あのソ連宣戦発表のあつたあの日だよ、お前宛の手紙が符箋づきで戻つて来た。はてと思つて見たら、それの宛名のわきに鉛筆の走り書きで戦死と書いてあるのだ。
「さてはとうとう……」と、お母さんと顔見合せた。かねて、覚悟の上だ、涙なんか流しはしなかつたがね、……ともかくその日は我々にとつて二重に重大な日だつた。でもまだ公報は来ないしね、それに、八月末には平常通りおまへの給料はうちの方に渡されもした。近所の兵隊に尋ねると、おまへの様な特別任務の者は、表面上戦死といふことで国籍をぬくことがあるともいふ。それやこれやを考へ合はしてね、――まあ希望的観測といふやつかも知れないが――おまへが実際には死んでゐない様な気もするのだ。お母さんなどは専らさう信じてゐる。さてさうであるとすれば、おまへは支那服を着て、どんな奥地にまぎれ込んでゐるやら。……とすれば御大詔をすぐ拝することは出来なかつたわけ。でも、まあ、今頃は耳にしたらう。何しろ歴史的大変転だ。プラスから急にマイナスのどん底だからね。周囲の様子もぐらつと変つたにちがひない。……変るといへば、大陸的な支那の民衆でも、ワーツといふ声位上げはしなかつたかね。爆竹でもバンバンやつたか。大東亜の解放といふ名目ではじめた戦争のあゝした結末に、それでは日本として全く心外の至りさね。然し事実は事実だ。我々はそれを在りのまゝ受けとらねばならない。

 これによると、富塚清の子息「K」は、当時、中国で、「特別任務」についていたようだ。その子息の名前、その存否については、まだ調べていない。【この話、続く】

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