礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

山本有三の『真実一路』と吉田甲子太郎の「一マイル競走」

2019-01-18 03:49:31 | コラムと名言

◎山本有三の『真実一路』と吉田甲子太郎の「一マイル競走」

 昨日の続きである。昨日のコラムで私は、吉田甲子太郎の「一マイル競走」(初出、一九四六年六月)には、レスリー・エム・カークの「一マイル競走」という原作があるという通説(吉田本人が、そう言っている)を否定した。
 それは、今年に入って、新潮文庫で、山本有三の『真実一路』を読んだからである。この新潮文庫版は、一九五〇年(昭和二五)五月初版、一九六八年(昭和四三)改版で、吉田甲子太郎が「解説」を書いている。解説によれば、『真実一路』は、山本有三の五番目の長編小説で、一九三五年(昭和一〇)一月から一九三六年(昭和一一)九月まで、雑誌『主婦之友』に連載されたものが初出だという。
 私は、この『真実一路』という小説を、中学生のころに、一度、読んだことがある。そのラストが、運動会の競走だったことは覚えていたが、細かいストーリーなどは、すっかり忘れていた。
 今回、再読して驚いた。そのラストに近いところに、次のような場面があったからである。

 春の運動会が近づいた。彼〔守川義夫〕は運動会が楽しみだった。秋のときには盲腸炎で出られなかったから、今度は一等を取ってやろう、と思っていた。いつでも、あなどりの目をもって見られているだけに、こういうときに、ほかの連中を見かえしてやろう、という気もちが燃えていた。
 彼は当日の競技のうちで、最もはなばなしい五年六年のランニングの対抗競技の選手に選ばれた。彼はうれしかった。はじめて明かるい光を仰いだような気がした。学課では負けたけれども、見ていろ、トラックではあいつらをみんな追い抜いてやるぞ、と意気ごんでいた。
 運動会はいよいよあすに迫った。彼はあしたが待ち遠しかった。腕や足の筋肉がぶるぶるふるえた。
 練習が終わったところで、対抗ランニングに出る三人の選手は、受け持ちの先生からひそかに教室に呼ばれた。
 五年と六年の競走であるから、いつの年でも六年が勝っている。五年が勝つということはめったにない。しかし、ここに一つの秘策がある。その秘策を実行すれば、年うえの六年を負かせないとも限らない、と先生が言った。
「先生、それどうするんですか」と闘志に燃えた三人は、いきおいこんで尋ねた。
 先生はおもむろに言った。三人のうちのひとりが、たとえば守川が、なんでもかまわないから、まっさきに全速力で駆けだすのだ。そうすれば、敵はそれに引きずられて、向こうも全速力を出すにちがいない。全速力を出せば、みんな途中でへたばってしまうから、そこのところをこちらの組みの者が、――それははじめから全速力なんか出さないで走っているものが、追い抜いてしまうのだ。これならかならず勝てるに相違ない、と言うのだ。
 義夫は不服だった。最初はあたりまえに駆けて、最後に抜くほうにまわるのなら、いいけれども、自分がおびき出しの役にまわるのは、いやだった。もっとも、先生は、是非義夫に犠牲になれ、とはっきり言ったわけではない。「だれでもいいから、ひとり犠牲になって……」と言ったのだが、「たとえば守川が」と言われただけにつらかった。それに、「おれは落第しているんだからな」というひけ目があった。「ぼくはいやだ。そんなの、ほかの人にやらしてください」とは、先生の前で言えなかった。
 義夫はつまらなかった。はじめから勝てない競走に出ることなんて、少しもはり合いがなかった。彼は運動会に出まいとさえ思った。
 楽しみにしていた運動会が、あすだというのに、弟がうかぬ顔をしているので、どこか、からだでも悪いのかと思って、しず子は心配した。義夫はきょうの先生の話をした。黒い雲が、ちらっと彼女の上にも影を落とした。
 しかし、彼女は慰めるように言った。
「団体のときには、だれかが犠牲になるのはしかたがないのよ。義ちゃんが犠牲になって、五年級が勝てば名誉じゃないの。出なかったりすると、かえっていけないわ」

 吉田甲子太郎の「一マイル競走」における設定とソックリではないか。
 これを見て私は、吉田甲子太郎の「一マイル競走」は、山本有三の『真実一路』をヒントにして、創作されたものであって、その原作が、アメリカの児童文学作品(少年小説)であるとか、その作者が「レスリー・M・カーク」であるとかいうのは、全くの嘘(フィクション)に違いないと直観した。【この話、続く】

*このブログの人気記事 2019・1・18(8・9・10位に珍しいものが)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする