◎「ハックルベリイ・フィンの冒険」と吉田甲子太郎
このブログでは、今月に入ってから、『星野君の二塁打』など、吉田甲子太郎の作品について触れる機会があった。これを読んだ青木茂雄氏から、一昨日、次のような投稿があったので、本日は、これを紹介したい。
この文章は、「よしだきねたろう」という固有名詞に触発されて書かれたものであって、青木氏の自伝の一部という位置づけになる(ただし、番外編)。青木氏には、できれば、このあと、『星野君の二塁打』の内容に踏み込み、それが「道徳教材」として適しているのか否かについて、あるいは、「道徳」という教科そのもの適否について、論じていただければと期待する。
以下、最後まで、青木氏の文章である。
「ハックルベリイ・フィン」のころ
記憶をさかのぼる【番外編】 青木茂雄
昨年11月に連載を始めた私のささやかな自伝の試み「記憶をさかのぼる」は現在休止中であるが、時間の余裕ができたら再開する予定である。幸いなことに、古い時代のことは良く憶えているもので、しばらくはこの記憶が失われることはないであろう。切迫しているのは、この世の中の推移の方だ。とくに高校学習指導要領の改定が「告示」され、「公共」という極めて怪しげな科目が発足し、旧社会科の地歴・公民の内容が激変すること必至の状況にある。黙視するわけにはいかない…。
さて、礫川さんが先日ブログで吉田甲子太郎のことについて書いていた。その「よしだきねたろう」という名前には私はずいぶん昔からなじみがあった。
私が小学校6年生のころ、NHKラジオ第1放送で「ハックルベリイ・フィンの冒険」という連続放送があった。たしか、私が小学校を卒業して地元の中学校に入るころだから、1960(昭和35)年の2月か3月に始まって、半年ぐらいは続いたのではないかと思う。午後6時ごろから始まる15分くらいの短い連続番組だった。私は学校から帰って、しばらく遊んでから、6時近くになると家に戻ってきて毎日聞いた。日が長くなってきて、その放送時間は外は明るかったという印象が残っている。
その番組の冒頭には、アナウンサーが「ハックルベリイ・フィンの冒険、マーク・トゥウェイン原作、よしだきねたろう訳、脚色…、音楽…」と発声した(脚色と音楽は誰だったか憶えていない)。
アナウンスの前にテーマ音楽が入り、これが当時の私にとっては大変に珍しかったジャズのリズムで演奏された。歌詞とメロディーは今でもよく憶えている。
ハック、ハック、ハック、ハック、
ハックルベーリイ・フィン、
ハックはみんなの友達だ、
冒険、探検、何でも来い、
悪いやつらをやっつけろ、
心の中は青空のようだ。
ラジオ番組「ハックルベリイ・フィンの冒険」はマーク・トゥウェインの「トム・ソーヤーの冒険」と名作「ハックルベリイ・フィン」を合体してラジオドラマに脚色したもので、地方判事という良家の子息トム・ソーヤーと浮浪児ハックルベリイ・フィンとの交流・冒険・探検の話であった。時おり訪れるハックの父親のエピソード、ミシシッピ川の中洲の無人島探検や「悪漢」“インディアン・ジョー”との対決など子供心にも胸躍るものがあった。ハックルベリイの声を担当したのが、里美京子だったと思う。その少し前にこれもNHKラジオの連続放送「ヤン坊・ニン坊・トン坊」のヤン坊の声も里美京子だったと記憶している。里美京子の声は、少し年上の大人びたお姉さんの声の代表として私には記憶された。
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私の家にテレビジョンが据え付けられたのは、かなり遅く1964(昭和39)年の東京オリンピックが始まる少し前であった。一般に、1960年頃までには各家庭にテレビ受信機が普及したと言われているから、私の家の場合は標準から5年くらい遅れていた。私は、この遅れの理由を、家が貧乏であるからだと固く信じて疑わなかった…。
中学校に入っても級友とのテレビ談義には一切加わらなかった。大体テレビの番組にはそもそも興味が無かったし、知るよしもなかった。その代わり、わが家のだんらんの中心にあったのはかなり後々までラジオであった。そのラジオの上には、いつからとなく迷い込んでわが家に住み着いた白猫が、冬になるとねそべっていた。
ラジオは、大体がNHKの番組であったが、良く聞いていた。とくに落語がおもしろかった。その頃、夕刻には「一丁目、一番地」という連続ドラマをよく聞いた。名古屋章が父親役の一家のホームドラマで、よく聞いているとその家にはテレビがまだ無いという設定になっており、私はテレビが無いのは自分の家だけではない、と安堵したのを憶えている。ところで、名古屋章は一般的なサラリーマンの、ちょっとかっこ良い父親の代表の声として記憶された。私は例えば宝田明のような見栄えのする人物を想像していた。後に映画のスクリーンでお目にかかった印象はだいぶ違っていたが…。
◇ ◇ ◇
私は「ハックルベリイ・フィンの冒険」の原作を読んでみたくなり、中学1年の時に、誕生日のお祝いに母に買ってもらった。創元社の少年少女世界文学全集の中の1冊で、訳者が吉田甲子太郎、挿絵入りの豪華本だ。私は、こたつにあたりながら一気に読んだ。その後も何度か読んだ。しかしラジオから聞いたのと、だいぶ印象が違う。どこかシリアスなのだ。そのシリアスさがどこから来るのかということは子供の私にはまだ分からなかった。
私は、小学校の高学年ころから、アメリカ映画は何本か観る機会があり、異国としてのアメリカの像をそれなりに浮かべることができた。しかし、それはあくまでも外側からだけであった。私は、吉田甲子太郎訳の「ハックルベリイ」を通して、アメリカというものと内側から向き合うようになっていった。中学1年で英語の学習が本格化してきた頃であった。