◎旺文社の赤尾好夫、射撃で銀メダル(1954)
昨日の続きである。小川菊松の『出版興亡五十年』(誠文堂新光社、一九五三)の第一部「出版界興亡の跡」の第二五章「釣堀の魚を釣るに等しい学参書の出版~これまた儲かる虎の巻の刊行」の後半を紹介する。
この中で、研究社の小酒井五一郎氏とは、私は少年時代から御懇意に願つているが、氏の終始一貫堅実にして真摯なる努力と、その人物、性格には深く敬服し、啓発されるところが少くない。それのみならず愚息誠一郎がまた氏の令息増蔵君と親しい友人関係で、何かにつけ指導を受けている。親子二代にわたつて親しく御交際を願うのも、浅からぬ因縁で、その幸福を感謝している次第である。また旺文社の赤尾好夫君とは狩猟が取持つ不思議な縁で、業界仲間として古くから御懇意を願つている。今から十四、五年前、赤尾君が矢吹猟区〔福島県〕に出猟の時、赤尾君の取引洋紙店主竹尾藤之助氏が、同君の荷負いの恰好でお供していたのを思出す。竹尾洋紙店は、用紙代理店としては二流ではあつたが、好みもしない狩猟に、店主がお伴するとはよくよくのことだ。当時赤尾氏は既に相当な仕事をしていたが、日なお浅くて経験も少い。これはきつと竹尾氏から高い紙を買わせられているに違いないと思つたので、私の性格として黙つてもいられず、余計な節介だつたが、値段を勉強する一流代理店の岡本洋紙店を紹介した。この岡本氏は今でも同社と取引を継続しているので、お節介の無用でなかつたのを心秘かに喜こんでいる。
次に、自習書、通称虎の巻の発行元をのぞいて見よう。年々斯界の様子も変り、現に優勢なものとしては、日本辞書出版社、東京辞書出版社、学習辞書出版者、中学館、健文社、博文堂、誠和書院(名古屋)、新興出版社(大阪)等々があり、そのまた親類の大全科発行元には初等教育研究会、中等教育研究会、学習社、国民図書刊行会等々がある。この中で中学館、績文堂石上文七郎氏は戦後虎の巻で大に儲け、それを土台に数学の検定教科書を発行して、これもまた当り、伊東に別荘をもつという程の豪華さである。また国民図書刊行会の大橋貞雄氏が自家用車を持つているのは親の威光で不思議でないとして、戦前まで東雲堂の社員だつた初等教育研究会の丹羽福蔵氏が高級車を乗廻しているのは、アプレ派のために万丈の気を吐くものといえる。
この自習書(虎の巻)はいうまでもなく、教科書の解説で、売れている他店発行の教科書を狙つて、上手に解説を加えるという至極気楽な企画編集である。しかもその発行元には一銭の印税も支払わぬばかりか、最近まで殆ど無断で発行していたのだから、これ程うまい出版はなかつた。ところが著作権がやかましくいわれるようになるに従い、先き頃問題が起り、版権侵害で発行元から告訴されるに到り、自習書協会なるものが生れ、発行元へ幾分印税を収めるようになつてから、紛争か少くなつた。
現在の自習書協会員は二十余社だが、まだ他に未加入のものがあり、それ等がまた相当発行するので、返品も多くなり、従つてどこでも儲からなくなつたというのが、斯界の真相であるらしい。
ウィキペディアによれば、旺文社の赤尾好夫は、狩猟が趣味で、長く社団法人全日本狩猟倶楽部の会長を務めた。射撃の腕前は一流で、一九五四年の世界選手権で銀メダルを獲得したという。一方、小川菊松のほうも狩猟が趣味で、「かつてその猟獲が人後に落ちたことはなく」と自慢している(同書五五四ページ)。なお、小川菊松の死因は猟銃自殺である。