◎大津事件(1891)当時の機関車と客車
本日も、大場義之さんの『大津事件の謎に迫る』(文藝春秋企画出版部、二〇〇六)について、紹介する。
同書に、大津事件(一八九一)当時の鉄道車輌について考証した部分がある。この考証は、大津事件の謎とは関わらないが、それ自体が興味深いので、紹介してみたい。
先に述べたように、明治二四年(一八九一)といえば東海道線・新橋―神戸間が全通して二年後である(明治二二年七月一日開通)。客車は東海道線開通に合わせて英国から輸入されたメトロポリタン(Metropolitan)社製の上等中等混合車(定員上等二〇名・中等二七名)と下等車(定員八二名)が使われていた。当初の輸入台数は一〇輌と四六輌である(青木栄一「わが国の鉄道における初期の客車の変遷について」六一~六二頁)。
座席は上・中等車の場合ロング・シートであった(上等車は長椅子が二脚ずつ向かい合わせに四脚。乗客が少なければ睡眠時のベッド代わりにもなったであろう)。トイレと洗面所はあったが車輔の中央にあり、上等と中等の仕切りになっていた。照明は石油ランプだったという。客車の屋根にランプの取替え口が煙突のように突き出ていて、照明の必要な時刻になると、停車中に駅の係員が屋根を渡り歩いて灯の付いたランプを備え付けていったそうである(上・中等混合車七カ所・下等車五カ所)。
蒸気機関車はやはり東海道線全通に備えて、牽引力のある英国ダブス(Dubs)社製の二一〇〇型が輸入された。現在、同型の二一〇九号が日本工業大学工業技術博物館(埼玉県)に保存されている。この蒸気機関車はいまでも運転可能で、荒野を走っている様子が日本工業大学のホームページでみることができる(部分的に改造されている由)。現在から見ればかなり小ぶりな蒸気機関車である。しかしこの機関車が輸入されるほんの十数年前まで、東海道五十三次を歩くしか術〈スベ〉がなかった当時の人たちから見れば、頼もしい限りの機関車に見えたのではなかろうかと思う。二一〇九号機関車そのものは、私も同博物館で見学させていただいた(平成一六年一月三日)。
今日のクイズ 2013・6・5
◎日本工業大学工業技術博物館に動態保存されているダブス社製2100型、2109号の製造年について正しいものはどれでしょうか。
1 大津事件が起きた1891年に製造 2 1890年以前の製造 3 1892年以降の製造