礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

富山の薬売りが教えた道の歩きかた

2013-06-13 09:12:17 | 日記

◎富山の薬売りが教えた道の歩きかた

 最高裁判所の判事として知られた斎藤悠輔〈ユウスケ〉は、生前、朝日新聞の野村正男記者のインタビューに答え、中学生時代、富山の薬売りから、「道の歩きかた」を教わった話を披露している。
 野村正男『法曹風雲録』下巻(朝日新聞社、一九六六)から引用してみる。

「その歩くのにはいろいろな方法というものがあるのですね。ぼくが中学二年ぐらいのときに、郷里〔山形県西田川郡温海町〕から鶴岡という中学〔庄内中学校〕のあるところまで約十里の間を時々歩いておったのです。ある日、その途中で越中富山の薬売りに会ったのですよ。その薬売りが私を呼止めて〟おい若いの、わしのうしろについていっしょに歩いてごらん、そうすると明るいうちに鶴岡へ着く〟というのです。そして歩きながらこういう説明を聞いたわけです。大体道を歩くときには左でも右でもどっちでもいいから、片方を歩きなさい。それは、道のりを測るのは片方だけ測って十里なら十里と測るわけだ、だから片端だけ歩けというのです。まん中を歩くとどうしても人間というのは千鳥足になり、まっすぐ歩かない。それで、十里の道を十二、三里も歩く勘定になるというのです。だから左でも右でもいいから片方を歩けというのです。これが原則なんです。たいてい道は曲っているでしょう。曲るところをこちらの一点から向うの一点まで一直線に斜めに突っ切れというのです。そうすると十里の道を二、三里少なく歩ける、これは例外です。それから、登り道は普通より少し早い目に、下り道は反対に、大いにゆっくり歩き、ちょうど登りと下りと速力が平均したようにして歩け、このうち下りを特に気をつけなければならぬというのですね。足は、爪先で歩いてはいかん、必ず踵をしっかり地につげて歩けというのが大体の要領です。それで、そういうことを教わって、非常にゆっくり歩くのだけれども、どうも十里の道を一里か二里ぐらいは倹約出来たような気がするのです。まん中を歩かんから十里以上歩く必要はないわけです。この男すこぶるゆっくりしたもので、日本海の景色のよいところでは時々どりゃ一服して行こうか、などと腰をおろし、水のたまっているところでは、日傘をしぼめて水の中につっこみ、こうすれぼ少し重くなるが涼しくなるなどと語り、することがすべて自然で無理がなかった。鶴岡で別れる際この男は、〟この通りに歩くんだよ。お前は相当なものになる〟と謎めいたことをいって別れた。妙にそれが記憶に残っているんです。それきりその男に会うたことはなく、また、お互いに名乗りもしなかったが、僕は、その男を天来の師匠だと思っているんです。

 斎藤悠輔といえば、同時期に最高裁判所の判事であった真野毅〈マノ・ツヨシ〉と、尊属殺重罰が違憲か否かで激しく争ったことで知られているが(斎藤は合憲説)、その話は、このインタビューでは、話題になっていない。

今日の名言 2013・6・13

◎道を歩くときには左でも右でもどっちでもいいから、片方を歩きなさい

 斎藤悠輔が、中学生時代に出会った富山の薬売りの言葉。上記コラム参照。なお、斎藤は、思想的には、一貫して右側を歩いた人だった。

コメント (1)
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