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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

中山太郎『日本巫女史』に出てくる超難訓語

2012-07-09 04:40:36 | 日記

◎中山太郎『日本巫女史』に出てくる超難訓語

 以下に挙げるのは、中山太郎『日本巫女史』に登場する難訓語である。これが、お読みになれるかどうか、まずはおためしいただきたい。

1 白山相人
2 鑽る  
3 寿詞
4 探湯
5 加之    
6 左迄   
7 吝           
8 荼毒   
9 憑祈祷
10 匯合 
11 伊吹颪    
12 莅んで 
13 外法箱
14 御杖代
15 恩頼る
16 宗族
17 夕占
18 疎ぶ
19 活いて
20 岐神

 正解は以下の通り。カタカナは、『日本巫女史』の初版(大岡山書店、1930)におけるルビ、ひらがなは、新刊の国書刊行会版(2012)におけるルビである。カタカナのルビの箇所が、***となっているのは、初版ではルビが施されていないことを示す。

1 白山相人   ハクサンザウニン   はくさんぞうにん
2 鑽る      ***          きる
3 寿詞      ヨゴト           よごと
4 探湯      クガタチ          くがたち
5 加之      ***          しかのみならず
6 左迄      ***          さまで
7 吝       ***          やぶさか      
8 荼毒      ***          とどく
9 憑祈祷     ヨリキタウ        よりきとう
10 匯合     ***          かいごう
11 伊吹颪    ***          いぶきおろし 
12 莅んで    ***          のぞんで
13 外法箱    ゲハウバコ       げほうばこ
14 御杖代    ミツヱシロ        みつえしろ
15 恩頼る    カガフる         かがうる
16 宗族     ウカラヤカラ       うからやから
17 夕占     ユウゲ           ゆうげ
18 疎ぶ     ウトぶ           うとぶ
19 活いて    ハタラいて        はたらいて
20 岐神     フナドノカミ        ふなどのかみ

 一部を除いては、読めるはずがない「超難訓」ばかりである。著者の中山は、難訓語に対しては、極力、ルビを振ろうとしている。しかし、中山が難訓語と意識しなかったものでも、今日の私たちにとっては、難訓語になっている場合が多い。
 その意味で、今回、国書刊行会から新組みによって復刊された『日本巫女史』が、多めにルビを振っていることは、評価できる。しかし、この手の本を読みなれていない読者にとっては、もっとルビがほしかったところかもしれない。
 極論と思われるかもしれないが、私は最近、日本語の印刷物は、すべて総ルビで印刷すべきではないかと思うようになった。
 総ルビで製版するとなると、入力の手間が二倍近くになるだろう。もちろん、入力の手間だけの問題ではない。「古い文献」を翻刻するような場合は、「読み」を確定するための調べが欠かせなくなる。それを考えると、三倍や四倍の労力ではすまなくなる。しかしそれでも、やっておく意味はあるように思う。もちろん、『日本巫女史』のような昭和初期の文献も、この「古い文献」に含まれる。明治期の文献などは、今なら、何とかルビが触れるが、放置しておくと、数十年後には、永遠に「読めない」(「読み」が確定しない)文献になってしまう可能性があるからである。
 この問題については、今後のコラムでも論じてゆくことになろう。なお、六月一一日に書いたコラム「振り仮名こそが本文である」を、併せて参照いただければさいわいである。

今日の名言 2012・7・9

◎ペンに亡妹の霊が乗り移ったのか躍るように筆が奔ってゆく

 中山太郎の言葉。『日本巫女史』の「巻頭小言」より(国書刊行会版3ページ)。「奔って」は〈ハシッテ〉と読むのであろう。同書は、700ページ近い大著だが、中山はこれを1年ほどで書き上げている。執筆の終盤では、「暑熱も忘れ、難問も苦にならず、ほとんど筆も乾かず一万言」、ペンに亡妹の霊が乗り移ったかのようだったという。いかにも、『日本巫女史』の自序にふさわしい話である。ちなみに、「巻頭小言」の日付は、「昭和四年八月二十日」となっている。

コメント
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