ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

責任を果たしながら、移動の自由を楽しみたい

2020-06-20 21:26:13 | 生き方
昨日、都道府県をまたぐ移動自粛が解除された。
経済活動の再開を喜び、さっそく観光地などに足を向けた人たちの姿を見せる報道が目立った。
なにしろ全国を対象にした緊急事態宣言が出されてから2か月半近くにもなる。
再び自由に移動できるようになったのは、喜ばしい。
しかし、まだまだcovid-19の感染不安は続く。

近ごろは、「ウイズコロナの時代」とか「新しい生活様式」とか言われている。
何か特別なことをしなくてはいけないように聞こえるが、私は、そうは思わない。
常識的な次の2つのことを意識し厳守すればよいのだ。

①感染するウイルスをもらわないようにすること。
②知らないうちにウイルスをまき散らさないようにすること。

そのための行動がとれるかどうかが、個人個人にかかっているということ。
その具体的なことが、万全な注意を払って「3密を避ける」ということ。
シンプルにそう考えている。

非難されるのは、注意を払う意識がなく、自分勝手に行動する場合だ。
そんなのは個人の自由、と主張する人は間違っている。
「自由」の裏には「責任」がある。
責任をないがしろにして、自由だけを主張するのは間違っている。
移動自粛制限緩和を単純に喜ぶだけでなく、自分の責任をしっかり果たしながら行動し、移動できることを楽しみたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出会ったのは、イチヤクソウとヤマガラシ?

2020-06-19 20:21:31 | 草木花
あやめ園のある五十公野公園。
その周辺は、「五十公野山」と言って、散策すると、たいへん自然豊かな植物たちに会える。
出かけたのは、あやめを見に行くだけでなく、周辺の山野草の花々に会うのも一つの目的だった。
4月だともっといろいろな花に会えるのだが、この時期は、あまりめぼしいものには会えないなあ…。
でも、何かないかなあ…。
そう思って歩いていたら、この山で初めて出会った山野草が2つあった。
その1つが、これ。



イチヤクソウだ。
木陰などによく生えているのだが、なるほど今回見つけた場所も、そんなに日当りのよい場所ではなかった。
以前、福島県の浄土平周辺に出かけたときに、よく見かけたっけ。



久しぶりだった。
山らしい山に出かけなくても、こんなに近くで見つけられるということを初めて知った。


もう一つは、あやめ園のあやめのひざ元に、こちゃこちゃと菜の花のような小さい黄色い花が咲いていたもの。



菜の花とは違うし、何かな?
と思いながら、帰ってきた。



調べてみると、どうやら「ヤマガラシ」か「セイヨウカラシナ」あたりなのではないかと思った。
葉を見ると、ヤマガラシとは違うのかな?と思ったりもしたが、正確なところは不明。

でも、こうしてなかなか見ない山野草を見つけられた。
そのことには、喜びを感じるなあ。
よくぞ咲いていてくれました!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今が見ごろ 五十公野公園あやめ園

2020-06-18 20:46:01 | お出かけ
新発田市の五十公野(いじみの)公園のあやめ園には、300品種60万本のあやめがあるという。
例年6月には「あやめまつり」が行われるのだが、今年は、COVID-19 のために中止となった。
しかし、あやめ園は例年通り、あやめの世話・手入れが行われていた。
そのあやめが、今週見ごろを迎えたと、地元の民放テレビのニュースで放送された。
もともと多くの人が訪れるあやめまつり。
まつりイベントが行われなくても、あやめの花は咲いている。


それを知った人たちが、次々と訪れてきていた。

そして、デジカメやスマホで(一部ガラケーで)、花の写真を撮っていた。
なんのことはない。
今日は、私たちも、その “ONE OF THEM”であったのだ。(^_-)-☆


園内には、今日も手入れ作業を行っている人たちがいた。

そのおかげもあり、いろいろな種類のあやめが、いろいろな色で、いろいろな模様で咲いているのを見ることができた。










私が今回いちばん気に入ったのは、白い花びらに紫色が乗った「出羽の里」という品種。

非常にさわやかなイメージで素敵だ。

あやめまつりイベントはなかったが、感染症騒ぎの中でも変わらずに美しいあやめの花の数々を見ることができた。
きっと、今週末はもっと多くの人が訪れることだろう。
来年は、イベントも含め、もっと多くの人に美しいあやめの花々を見てほしいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アベノマスクの有効な使途を考えて…

2020-06-17 20:29:54 | 生き方


「アベノマスク」が届いてから約2週間。
大事にとっておいてはあるものの、現在わが家にはほかのマスクや布マスクもある。
大きさも、やっぱり小さい。
どう考えても、わが家ではアベノマスクの必要性は低い。
記念として、とっておく…というのでは、あまりにも役に立たなさすぎる。

有効な活用法を、いろいろ考えてみた。
届いた日の新聞の一面は、そのことについてのことだった。



自分が使わないなら、ほかの人に使ってもらうしかないだろう。

新潟県の下越地方の各自治体のホームページには、寄付について載せてある。
新発田市。
胎内市。
聖籠町。

それ以外に、民間でも、子どもたちのためにということで寄付を呼び掛けているところもある。

自分が使わないのなら、やっぱり役に立つように使ってほしい、という思いがある。
作ってくれた人、チェックしてくれた人、送るための作業をしてくれた人、輸送に携わってくれた人、届けてくれた人、…様々な人々の手間や苦労もかかっている、貴重なマスクだからね。

結論!
どこに寄付するかは未定だが、アベノマスクは寄付してほかの人に使ってもらうことにしよう。

…というように決まったわが家のアベノマスクの使い道であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツルアリドオシ花盛り

2020-06-16 21:11:22 | 草木花
久々によく行く森林公園に行ってみた。
その斜面にたくさんの小さな白い花を見つけた。
場所によっては、「満開」だった。



梅雨のこの時期によく見られる。
花を咲かせている野草の名前は、ツルアリドオシ。
斜面にはうように生えていることが多い。



白い十字のように花は咲く。
花びらをよく見てみると、ギザギザになっている部分もある。
まるでニリンソウのように、いやニリンソウよりもしっかりと花は2つずつ付いている。
面白いことに、花は二つなのに、赤い実になると、実は1つしかないのだ。



不思議!
実をよく見てみると、花が2つあった跡が、ちゃんと2つ見つかる。



白い花、赤い実。
2つの花、1つの実。

花も実も、とてもかわいい、愛らしい野草。
あちこちの斜面で、今、その花が満開だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Jリーグ再開後の日程が発表された!

2020-06-15 20:34:52 | アルビレックス新潟
われらがJ2リーグのアルビレックス新潟は、4か月間も、J2首位を維持している。
当たり前だ。
開幕戦1試合だけやって、COVID-19 の騒ぎでその後中断となってしまった。
本来ならば6月21日には21試合終了しているはずだった。

おかげで、アルビレックス新潟は、徳島ヴォルティスと並んで、この4か月間ずっと首位なのである。
初戦を3-0で勝利したので、勝ち点及び得失点差でも最上位というわけだ。

今日、再開後のJリーグの日程が発表された。
再開後の初戦は、アウエーでヴァンフォーレ甲府と、この27日に対戦することになった。



いよいよ再開が楽しみなのだが、しばらくは、無観客試合だったり入場者制限があったりして、実際の試合をナマで見には行けないのが残念だ。
なにしろ、無観客試合の後は、スタジアムの入場者を5,000人に制限せよというお達しだ。
新潟の場合、シーズンパスを持っている人間が8,500人もいる。
だから、更なる制限がかかっているのである。
シーズンパスを持っている人間が全員入れるわけではないのだ。
まったく、なんということだろう。
このまま収束の方向に向かって、多くの観客を入れて試合ができるようになることを祈っている。

全国緊急事態宣言が解除されてから、Jリーグも再開に向けて練習が再開されるようになった。

そして、練習試合も行われるようになった。

直近の戦績は…?
J3の秋田に、さすがに負けず3-0で勝った。
かと思うと、J3のカターレ富山に1-3で負けた。
なのに、先日J1の鹿島アントラーズには1-0で勝った。
(ただ、その後の30分×2の試合では0-2で負けている)

さて、12月下旬まであと41試合も予定されているJ2リーグ。
まだまだ紆余曲折はあるだろうけれど、あと12日後からの試合が楽しみだ。

VAMOS!NIIGATA!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本ラグビー福岡堅樹選手の選択

2020-06-14 20:29:15 | ひと
後悔をしない人生を送りたい。

夜7時のNHKニュース7では、そのように見出しをつけ、福岡堅樹選手の東京五輪7人制ラグビー日本代表の引退を放送した。
彼は、昨年のW杯ラグビーで日本代表として大活躍し、日本のベスト8入りに大きく貢献した。
あの俊足は、7人制ラグビーではきっともっと生きるだろうと思われていた。
私も、活躍を期待していた。

しかし、COVID-19 の影響で東京五輪は1年延期となった。
医師を目指すと宣言していた彼も、現在27歳。
スポーツ選手としては、バリバリの脂ののっている時期かもしれない。
しかし、医者になるというのは、子どものころからの彼の大きな夢だった。
医師になるには、難関である医学部のある大学に進み、医師免許を獲得する必要がある。
大学に進学するには、最初から大学進学を志していた人たちに比べて、10年の遅れがある。
そして、さらに大学生活も長い。
そう考えると、ここへ来てさらに1年の遅れは、人生の中で大きな遅れ・障害となるとも考えられる。
受験勉強をする時間も十分に確保する必要がある。

しかし、後悔のない人生を送りたい。
彼の気持ちが揺らぐことがなかったようだ。
引退時期を含めて1度決めたことを貫きたく、「どの選択が1番後悔しないか」を考えて代表引退の決断に至った。自分の決心が揺らぐことはなかった。

出場できる東京五輪も、人生で一度しかない。
医者になる道に進むには、東京五輪が終わってからでもいいではないか。
そう言う人も多くいるだろう。
しかし、人生は一度きりであり、年齢が上がるにつれて医師への夢というのは実現しがたくなるということは、私にも十分に分かる。
何が自分の人生の中で大切になるのかを考えての決断は、彼にしかできない。
自分自身で熟慮した結果だろう。
その選択・決断を立派だし、態度もさわやかだと思う。

彼のこれからの人生における健闘と活躍を期待し、変わらずに声援を送りたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「神主さんがなぜプロサッカーチームの経営をするのか」(池田弘著;東洋経済新報社)

2020-06-13 22:03:12 | 読む

2006年と、だいぶ前に出た本になってしまうが、アルビレックス新潟の会長、池田弘氏の「神主さんがなぜプロサッカーチームの経営をするのか」を再読した。
新潟市内の愛宕神社の宮司(神主)でもある池田氏が、新潟総合学園(NSG)をはじめとするNSGグループの会長として、様々な事業に当たっている。
私たちにしてみれば、アルビレックス新潟の会長というのが一番身近なところなのだが。

本書では、氏の基本的な考え方が述べられており、同じ新潟県人として、うんうんとうなずきながら読むところが多い。
「地域の人々を幸せにすることがライフワーク」
「いちばん大切にすべきは、地域社会。仕事は地域社会のためにするものだという意識をもってする。」
宮司としての思いを経営に生かし、新潟県の発展と県民の幸福のためという視点をもって活動してきているのがわかる。

今回読んでみて、さらに深く味わえたのは、「若者に対する見方・考え方」と、「多神教である日本のよさ」であった。

最近の若者と話をするとしきりに自分のことを話すことが多い。
それは、認めてもらいたいという欲求が強いということ。
いわゆるエリートでも、「落ちこぼれ」のレッテルをはられたような子でも、認めてもらうことにたいへん飢えている。
そういう子たちにきちんと向かい合い、本当にすばらしいと思った長所や可能性を認め、ほめてあげることが大事だ。
そうするとその後やる気を出すケースも多い。
認めることで、想像を超えるほどの意欲や潜在能力を引き出すことができる。

この感覚は、教育の現場で子どもたちでも若い教師でも同じだと思った。
なんでもかんでもほめればよい、認めればよいというわけではない。
書いてあるように、「本当にすばらしいと思った長所や可能性を認める」力が要求されるのだ。
その子、その人らしいよさを見つけてあげて(認め)、そこをほめるのである。
そうすると、そこに自信を持った彼らは、すばらしい意欲を発揮し、十分な力を出して生きていくようになるのである。
このことは、身をもってたっぷり味わったことであった。

もう一つは、日本がもともと様々なものに神様が宿ると考えている多神教であるという素晴らしさである。

一神教はたった一つの神様しか認めない。
だから、自分たちの宗教だけを信じて、他の宗教に対する攻撃を加えたりする。
ところが、日本は、「八百万の神」を信じる。
神様は、山の神、海の神と、各地あらゆるところにもいると考えている。
よく「○○の神様」と言ったりする。
国際化の時代というが、国際化とはあらゆるものとの共存を意味する。
互いの価値を認め、他者との協調性を保ち、むやみに争わないという、神道的な多神教の考えのほうが、国際化の進んだ社会を発展させるにはふさわしい。
自然を大切にし、人間同士が信頼しあって助け合う世界が望ましいという、日本人の根底に流れる心を大事にすることはとても大切だ。

しっかりした一つの神がいるわけでもなく、経典も持たず、優柔不断なだけだ。
他の一神教の宗教に比べて劣っている。
そう思っていた日本の神様に対する考えが、変わった。
実は自然豊かな中で感謝の気持ちをもち、相手を尊重する心をもっているのが神様を信じる日本人。
なるほど、逆にあらゆる人たちとの共存ができる。
国際化の時代にふさわしい資質をもっていると言える。

この本が出た2006年のころに比べて、世界は自国優先主義の色合いが濃くなった。
欧米しかり東アジアの大国しかり。
COVID-19 の流行で、その傾向はさらに強くなりそうな懸念もある。
そんな今の時代に再読して、日本人として、新潟県人として前よりも元気をもらったような一冊であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隠れた名曲「君に捧げるラブ・ソング」(岡林信康)

2020-06-12 20:43:16 | うた
この前、ふっと、頭の中にメロディーが浮かんできた歌があった。

なぜ、この歌が浮かんできたのか、自分でもわからない。

その歌は、学生のころに聴いた、「君に捧げるラブ・ソング」。
「フォークの神様」岡林信康の歌う曲だった。
私が岡林信康を聴くようになったころには、もう彼が「フォークソングの神様」と呼ばれる表舞台から姿を消しているころだった。
岡林信康について書き始めると、簡単には終わらないだろうと思うので、そこは省略。
歌だけに限定したい。

この歌が出たのは、1980年。
「Gの祈り」というレコードのB面だった。


でも、この歌が大ヒットしたとかそういう話ではない。

この歌をしみじみいい歌だなと思ったのは、フジ系の歌番組「夜のヒットスタジオ」に、岡林信康が出演して、彼がこの「君に捧げるラブ・ソング」を歌ったことがあったからだ。
今から30数年前のことなのに、その番組を見て曲を聴いた時の驚きは、よく覚えている。

詩の内容がいかにも愛に悩み苦しむ人の姿をよく歌い上げているように思えた。
しみじみと歌い上げる姿も、とても共感を覚えた。

「悲しみにうなだれる君を前にして そうさ何も出来ないでいるのがとてもつらい」
「君の痛みの深さはわかるはずもない 何か二人遠くなる 目の前にいるというのに そうさ僕は僕 君になれはしない」
「二人は試されてるの 君は僕の何 これで壊れてゆくなら僕は君の何だった」

…分かり合えるようで、分かり合えない。
いかにも深い愛の歌だと思った。

ところが、後日、この歌は親しい人が重い病になって厳しい状況になり、何もできずに弱っていくのをそのまま見守るしかできなくなったことをもとにして作られた歌だったことを知った。

そんな背景などは知らなくても、純粋な愛の歌だとして聴いても、十分せつなくなる。

その曲を検索してみたら、YOUTUBEに、「夜のヒットスタジオ」に岡林が出演して歌った時の映像があるのを知った。
先日、30何年かぶりに、その映像を見た。
しみじみと、心にしみ込んでくる、いい歌だと思った.。
隠れた名曲であることは間違いない。
そう思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨入り

2020-06-11 20:48:45 | 自然・季節
わが家の庭の紫陽花は、まだやっとつぼみができてきたばかりなのに、今日、梅雨入りの発表があった。
平年より1日早く、昨年より4日遅いのだそうだ。
当地で日中雨になったのは、私のメモだと5月27日以来と、半月ぶり。
ずっと晴れていたのだ。
気温が上がるようになったから、毎日夕方庭の水やりが欠かせなくなった。
マツバギクは、太陽の光をうれしそうにいっぱいに浴びて、咲き誇っている。



晴れが続いたから、虫がつきやすい木…ハナモモやムラサキシキブなど…には、アブラムシが繁殖してしまったりしていた。
たまにはひと雨こないかなあ…と思っていたら、ひと雨で梅雨入りとなった。
それでも、今日は、日中は午前中にパラパラ降っただけで、雨らしい雨は降らなかった。

梅雨入りで雨が…といっても、新潟で豪雨災害というのは7月が多い。
今年は、withコロナということで、豪雨被害の際の避難場所をどうするかというのが、大きな問題となっている。
ただでさえ困っている世情なのだから、ここに天災が起こったらたまらない。

しかし、この冬は、積雪が少なかったから、梅雨はそれなりに降雨も必要だ。
だが、集中豪雨となるような事態は訪れてほしくない。
さて、今年の梅雨、どうなることやら…???
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする