ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

朝ドラ「エール」…

2020-05-22 22:05:00 | ひと
NHK朝ドラ、今は「エール」。
作曲家・古関裕而をモデルに描いたドラマだ。

「エール」というと、本来の意味は、「大声を出す」「どなる」という意味だが、定着している日本語では、「相手に対する応援」、そんなイメージだ。
エールの交換、そんな言葉は、小学校なら本来今ごろの時期にふさわしい言葉だ。
今ごろなら、運動会の時期だ。
子どもたちが、夢中になって声を出し合い、応援合戦では相手にエールを送り合うのが普通の光景のはずなのだが、今年、それがないのは寂しい気がする。

それはさておき、朝ドラ「エール」を毎日見ている。
今週は、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」の作曲をめぐるエピソードだった。
ドラマだから、多分に脚色されたところがあるのだが、主役の古関ならぬ古山裕一が紆余曲折を経て曲をつけるという話だ。
曲をつけることができたのは、早稲田大の応援団長の思いを聞いて、古山が聴く人のために曲を作るということの大切さを理解したからだった。
そして応援歌は出来上がったというわけだ。

古関裕而は、早稲田大の応援歌「紺碧の空」のほかに、応援歌や人を勇気づける歌をたくさん作っている。
戦争の時代には、「露営の歌」(勝ってくるぞと勇ましく…)や「若鷲の歌」(若い血潮の予科練の…)など、兵隊のために元気が出るような歌をいろいろ作っている。
ただ、元気がであればいいというわけではなく、故郷の家族を思うような哀愁が隠れているのも、曲が多くの人に受け入れられた理由だろうと思う。
また、戦後は、夏の甲子園のテーマソング「栄冠は君に輝く」や東京五輪の入場行進曲「オリンピックマーチ」など、スポーツ選手が意気上がるような行進曲を作っている。

NHKの連続テレビ小説『エール』公式サイトでは、この朝ドラを、
「昭和という激動の時代に、人々の心に寄り添う曲の数々を生み出した作曲家・古山裕一とその妻・関内 音の物語です。」
と紹介している。
だが、もう少し詳しく言うと、私は、「人々の心に寄り添う」だけではなく、「寄り添い勇気づけた」作曲家だったと思うのだ。

本来、この番組は、今年の五輪開催に合わせて、前回の東京五輪の行進曲を作った古関裕而を取り上げ、オリンピックやパラリンピックを盛り上げていこう、というねらいがあったと思う。
だが、今は、新型コロナウイルス感染症のために沈み込む世の中の人々を励ますための「エール」を送る番組になっていると感じる。

同番組に重要な役割を担う役として志村けんも出演していた。
6月下旬までしか撮影していないというのが残念だが、今後感染症が縮小し、その続きも早く制作されることを祈りたい。
そして、世の中のたくさんの人たちに「エール」を送ってほしい、と期待する。



…ところで、「エール」「作曲家」というと、昭和40年代に「大きいことはいいことだ」と歌いながら同名のチョコレートの曲を作ってCMに出ていたY氏の方を連想してしまう…。
これって、私ばかりじゃないよね…。
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