ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

雑念払拭、ひたすら走る

2011-06-29 21:50:25 | RUN
毎日毎日の仕事の中で、人間関係の醸成や調整に関することが結構多い。
心も体も不調だが、そこでめげている訳にはいかなくて、降ってくる難題は消化せねばならぬ。
ある程度うまくいっている時はいいのだが、うまくいかなくなると、とたんに自尊感情はなくなり、ひたすら自分を卑下し始める。
自分の能力を疑い、ささいな失敗を引きずり始める。
そんな時、他者から自分のことをマイナス評価されると、もう落ち込むのは、I’ts so easy.

…てな訳で、梅雨のじめじめ感が、体を通って心まで侵しているような気分になってしまった。
こうなると、何をしていても気分は、the very deepest bottom に沈み込む。


夕方、無性に走りたくなった。
幸い、外は雨が上がっている。
左ひざの調子はまだおかしいが、歩幅を小さくし、無理のないペースで走ることにした。
いつものコースを、雑念を入れながら走る。
過ぎてしまったことは、もうどうしようもないことなのだが、悩む。
くよくよ悩む。
どうしてまあ、こんな自分なのか、と悩む。
悩みながら、走る。
歩かずに、走る。

走りゆくうちに、周囲の風景も少しは目に入るようになる。
8日前に走った時は満開だった、ある家のピンクの夾竹桃(キョウチクトウ)。
今日は、花びらの大半が、茶色くなって垂れ下がっている。
あんなに美しく咲いていたのに…。
「花の命はみじかくて、苦しきことのみ多かりき」
と、林芙美子の言葉が浮かんでは消える。
そう。
いいことは長く続かず、苦しいことは多いよなあ…。
「花のいのち」とは、もっと違う意味なのだろうが、なんとなくその言葉に納得する。

雑念たっぷりに走りながら、走って苦しくなってきた自分を思う。
少しずつ、悩み―精神的な苦しみ―に、肉体的な苦しみが追いついてくる。
不思議なもので、悩み自体の苦しさが薄れてくる。
こうして肉体をいじめることで苦しくなるのは、精神的な苦しみを味わうよりはるかにましだと時々思う。
少しずつ、悩んでいたことがばからしくなってくる。

やがて、走り終える。
梅雨時の湿気の多さに、汗が止まらない。
まだ、心が開放されたわけではないが、走り通したという達成感がある。
39分43秒。
調子のよいときより4分も遅い。
でも、少し楽になった自分をそこに見つけたのだった。

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