齋藤孝という人は、ずいぶんたくさんの書を著している。
新書のコーナーには、ずらりと並んでいるので、よくまあこんなに…と思ってしまう。
このたび、読んでみたら、と人に薦められたのが、この本。
タイトルが、「人生最後に後悔しないため」というのが気になったので、読んでみることにした。
1章の前に「はじめに―読書をすれば、中高年も新たな『ステージ』へ」と書かれてあって、なんとなく興味はそそられた。
内容の構成は、次のような5章から成る。
1章 「老い楽の日々」こそ希望あり
2章 あなたも「老賢者」になれる
3章 世界の「シニア小説」を味わおう
4章 なぜか落ち着く「江戸」へのいざない
5章 いい大人になるための「哲学」入門
そして、それぞれの章の終わりに、2つくらいずつコラムが載っていた。
ざっとまあ、読みやすくはあった。
ただ、「1章 『老い楽の日々』こそ希望あり」は、読んでいても同意できるところがあった。
以前私も読んで、ここでも書いたことがあった、森村誠一の「老いる意味」の話から入っていった。
そこから先の谷崎潤一郎の「鍵」や松井久子の「疼くひと」は、高齢者を扱っている作品だから興味は持てた。
だけど、それ以降の章では、途中からなんだか自分の気持ちが本書から離れていくのを感じた。
なぜかというと、あまりにたくさんの本が紹介され過ぎて、総花的すぎる。
老後の生活を知的にするために、名作をあれも読んでみよう、これも読んでみよう…みたいな感じ。
シニアになって、そんなに読めるか、と言いたくなる。
そのうえ、矢継ぎ早にあれもこれもと紹介されると、どうせ私はそんなに読んでいませんよ、というひねた思いが先立ってしまい、これから読んでみようかな、という気にはならないのだった。
そんな私だったが、後半納得できる文章には、次のようなものがあった。
だいたい高齢になると、体力が弱って病気がちになります。そのとき、若いころなら「寝ていれば治る」ぐらいに思っていたのに、「もう治らないかもしれない」とか「このまま死に向かうのか」と不安になることもあるでしょう。あるいは周囲の同世代が先に旅立つことも珍しくなくなります。つまり、必然的に死について意識する機会が増えてくると思います。
ならば逆に、そういう不安を忘れる時期があってもいい。何か楽しみを見つけて没頭できるものがあれば、精神衛生的にはプラスに働くはずです。これこそ長生きの秘訣かもしれません。
…読書とは関係ないこの文章が、私には一番しっくりきたというのが、なんとも皮肉な感じであった。
時間を忘れるほど没頭できるものを大事にしよう。
読書も、楽しみが見つかりそうなものを読んでみるのが一番さ。
結論。
本書のタイトルに絡んで言えば、「人生最後に後悔しないための読書」は、自分が読みたいと思った本を読んでみること。
それが、高齢者向きのものであっても、青少年を対象にしたものであっても、興味をそそられたら手に取って読んでみることだ。
齢を重ねているからこそ、若いころとはまた違った、新しい発見ができるはずだから。
それこそが、私にとっての「人生最後に後悔しないための読書論」だな。