さあ、見えた。
明らかに上り坂。
これが、この後、見た目以上に急な勾配になる。
遠慮なく歩き、たまに走る。
その途中、5㎞地点辺りで、給水所がある。
スポーツドリンクを飲み、普通の水は頭から首筋にかける。
走っているのと蒸し暑さで、体を冷やしたくなった。
あくまで走ることにこだわって、背後から私を抜く人も1人、2人はいる。
だが、それらの人たちも、歩く私と差がつく速さでは走れない。
そして、数メートル先でやはり歩くことになる。
恥じることはない。
激坂だもの。
5㎞の給水所から、6㎞地点まで、上り坂、上り坂、とにかく上り坂。
4㎞から急坂となった5㎞地点までは、7分56秒/㎞。
5㎞から6㎞までは、7分37秒/㎞。
大股歩きが中心なのだが、歩いたり歩いたり走ったり歩いたり。
それでこのラップタイムなら、スロージョギングと変わらないじゃないか。
「立派、立派。」と、走り終わった今なら言える。
だけど、レース中はとにかくきつくて、ときどき心拍が180に近づこうとするくらい高くなる。
170台できつさを感じた時は、遠慮なく歩き、ペースを落とした。
6㎞から7㎞地点に向かう途中で、高校時代隣のクラスだったSIさんとすれ違った。
「SIさん!」と声をかけ、すれ違いざまにハイタッチした。
フルマラソン100回を目指していた彼。
彼はしっかり長い方の14.1㎞のレースに参加していた。
フル100回の目標は、そろそろ達成できただろうか。
今度ゆっくり会えたら、聞いてみたいものだ。
7㎞近くからは、また新たな上り道に合流。
この1㎞は、7分22秒/㎞。
やがて、上り坂はだいたい終わる。
もう坂はいいよ、というくらい上り坂を味わい、ダウン寸前だ。
途中で小刻みなUP&DOWNはあるが、頂上付近ではやや平らなコースをぐるっと回るように走る。
その周辺を「胎内平」というのは、言い得て妙。
係員の皆さんたちは、口々に「もう少し行くと、あとは下りばっかりだよ。がんばれ!」と励ましてくれた。
だけど、ちょっとしたアップダウンでも、もう苦しくて歩く人がいる。
私も同様に歩きになったりしていた。
この1㎞は6分30秒/㎞と、日ごろのジョギングのペースに戻ったが、急な坂を上ってきた身にしてはがんばっている速さだ。
最終給水所。
体が熱くて、紙コップの水は首筋にかけて冷やすのに使うのだった。
ここで、14.1㎞コースの人は右に折れて、今まで来た道に戻って走って行く。
私たち9.3㎞の参加者は、直進してまもなく急な下り坂を行くことになる。
あと2㎞ほどだ。
先月「胎内星まつり」が行われた会場や胎内自然天文館を横目で見ると、さあ、ここからは急坂下り坂。
思わずスマホを持つ手もブレた。(ほとんどの写真がブレているけど、これは特にひどいね、スミマセン💧)
急坂の下りだが、私は、自分の足と相談。
足は、「下りならいくらか飛ばしても、まだ大丈夫」と答えた。(…ホントか⁉)
ヘアピンカーブが4つ、5つあったが、雨が降った後のため濡れている。
スピードが出ているのに、今にも滑りそうで怖かった。
女性ランナーを抜いて行く際に、「滑りそうで怖いですね」と語りかけると、「ホント、そうです」との返答。
それでも、まずは転ばずに下りは、長い脚(?)を利して走って行くことができた。
だから、9㎞までの1㎞のラップは、5分10秒/㎞と、ずいぶん上がった。
あと500mくらいの地点では、「○○さん!」と私の名前を呼んでくれる係員がいた。
高校時代1年後輩のバレーボール部の方で、数年前まで同業の人だった。
やっぱり実名を呼ばれて応援されるのは、うれしい。
歩きをふんだんに入れたので、ラストはもっと走れるつもりだったが、目の前のランナーとは離れるばかり。
でも、ラスト100mの上りを駆け抜けて、ゴールゲートに飛び込んだ。
激坂UP&DOWNのたいない高原マラソン、アップアップでダウンしそうだったが、なんとかゴールというところでしょうか。
すぐに記録証が発行されたけれども、持っている手をつたったり顔から直接落ちたりした汗で濡れ、見ていないうちに大切な記録証がボロボロになりそうだった。
60歳以上男子の部で40人中20位、1時間0分37秒だったのだそうだ。
ただ、順位やタイムなどの記録は一切気にしない自分がそこにいた。
完走を証明する記録証をもらえたこと。
ただただそのことがうれしい。
うれしさのついでに、知っている実行委員長さんのもとを訪ね、一緒に写真を撮らせてほしいと願い出た。
快諾してくれた委員長さんと、一緒に写真におさまった。
(なお、よく知られている方だが、プライバシー確保のため、顔は隠しておきます)
彼は、高校時代野球部のエースだった。
当時3年間2度の県大会ベスト8、甲子園出場を目指し、毎日10㎞走っていたというナイスガイだった。
高3の時の体育祭で、高2の彼と1500m走を走ったことがある。
彼が2位、私が3位だった。
1位は、当時高1で、後年びわ湖毎日マラソンを2度制した阿部文明氏だった。
そんな思い出を共有する委員長さんの存在は、私にとってとても貴重なのである。
一緒に写真におさまってくれて、ありがとうございました。
この後は、ゆっくり着替え、出場割引でロイヤル胎内パークホテルの温泉につかってきた。
大会に出場した人たちで浴場はいっぱいだったけれども、疲れた体をいやすことができた。
体力を使い過ぎないようにしたつもりだが、今日は足首や太ももに軽い関節痛や筋肉痛が出た。
4月の燕さくらマラソン以来の大会参加だったが、いっぱい歩いたとはいえ、完走の喜びは何物にも代え難いということを改めて感じた。
次は、来月の新潟シティマラソン。
はたしてこの極端に少ない練習量とこんな体調で、フルマラソンのゴールにたどり着けるかな?
まあ7時間もあれば、なんとか時間内に歩ける完走できるだろう…。
がんばろう。
(おしまい)