今日のテレビニュースは、朝から星野仙一氏の訃報一色だった。
昨年は、プロ野球の殿堂入りを果たし、それを祝うパーティーでも元気な姿を見せていただけに、急逝したような思いを抱く人が多かったことだろう。
氏のことだから、他の人の前では自身の弱っているところを見せなかったのかもしれない。
まだ70歳、早すぎる気がしてならない。
1947年生まれだったから、私と10年しか違わなかったのか、と改めて思った。
なぜなら、私が子どもの頃のプロ野球と言えば、王・長嶋が活躍していた時代であり、その二人とも対戦し気迫のこもった投球をしていたのが星野仙一投手だったからである。
特に印象に残っているのは、1973年シーズンのことである。
この年は、阪神タイガースが、残り2試合でマジック1となっていた。
そこに立ちふさがったのが、中日ドラゴンズの星野投手であった。
自分のチームには優勝のチャンスはないのに、阪神を抑え、4-2で中日が勝利したのだ。
傷心の阪神は、勝った方が優勝となる最終戦で、ホーム甲子園なのに0-9と大敗し、巨人がV9を達成したのだった。
そのおかげで、昨年亡くなった小林勝喜さんは、「(社長をしていた)シャープ産業が、阪神優勝のグッズを大量に製作発注していたというのに、星野仙一のせいで大損をした。」と語っていた。
星野投手は、翌年エースとして活躍し、巨人のV10を阻み、見事にセントラルリーグの優勝を果たしたのであった。
その頃私は高3だったが、日本シリーズは、高校を抜け出して近くの同級生の家でテレビ観戦し、星野投手や村田投手の躍動する姿を見たりしたのを覚えている。
その後の活躍は言うまでもないが、熱血が過ぎた乱暴者、というイメージがあって、なかなか好きになれなかった。
それを壊したのは、1985年からのNHKサンデースポーツのキャスターを務めていたときのことだった。
意外と繊細で思いやりがあり、人を楽しませたり励ましたり勇気づけたりすることが多く、それまでのイメージが覆り、好感を抱くようになった。
なかでも、阪神の監督時代、2003年に巨人の原監督が辞任する羽目になったとき、甲子園球場で試合後に激励の言葉を力強く送っていたことが忘れられない。
大局を見て敵将をも励ますことができる、すばらしい人間性を感じた。
そのような人間性があるからこそ、監督として3球団で優勝することができたのだろう。
東北大震災から2年後、東北楽天イーグルスが優勝を果たすことができたときの、被災者を思う優勝インタビューも、忘れられない。
プロのスポーツ選手として、またプロスポーツの指導者として、私たちにすばらしいものをたくさん見せてくれた星野氏に感謝し、氏の冥福を祈りたい。
昨年は、プロ野球の殿堂入りを果たし、それを祝うパーティーでも元気な姿を見せていただけに、急逝したような思いを抱く人が多かったことだろう。
氏のことだから、他の人の前では自身の弱っているところを見せなかったのかもしれない。
まだ70歳、早すぎる気がしてならない。
1947年生まれだったから、私と10年しか違わなかったのか、と改めて思った。
なぜなら、私が子どもの頃のプロ野球と言えば、王・長嶋が活躍していた時代であり、その二人とも対戦し気迫のこもった投球をしていたのが星野仙一投手だったからである。
特に印象に残っているのは、1973年シーズンのことである。
この年は、阪神タイガースが、残り2試合でマジック1となっていた。
そこに立ちふさがったのが、中日ドラゴンズの星野投手であった。
自分のチームには優勝のチャンスはないのに、阪神を抑え、4-2で中日が勝利したのだ。
傷心の阪神は、勝った方が優勝となる最終戦で、ホーム甲子園なのに0-9と大敗し、巨人がV9を達成したのだった。
そのおかげで、昨年亡くなった小林勝喜さんは、「(社長をしていた)シャープ産業が、阪神優勝のグッズを大量に製作発注していたというのに、星野仙一のせいで大損をした。」と語っていた。
星野投手は、翌年エースとして活躍し、巨人のV10を阻み、見事にセントラルリーグの優勝を果たしたのであった。
その頃私は高3だったが、日本シリーズは、高校を抜け出して近くの同級生の家でテレビ観戦し、星野投手や村田投手の躍動する姿を見たりしたのを覚えている。
その後の活躍は言うまでもないが、熱血が過ぎた乱暴者、というイメージがあって、なかなか好きになれなかった。
それを壊したのは、1985年からのNHKサンデースポーツのキャスターを務めていたときのことだった。
意外と繊細で思いやりがあり、人を楽しませたり励ましたり勇気づけたりすることが多く、それまでのイメージが覆り、好感を抱くようになった。
なかでも、阪神の監督時代、2003年に巨人の原監督が辞任する羽目になったとき、甲子園球場で試合後に激励の言葉を力強く送っていたことが忘れられない。
大局を見て敵将をも励ますことができる、すばらしい人間性を感じた。
そのような人間性があるからこそ、監督として3球団で優勝することができたのだろう。
東北大震災から2年後、東北楽天イーグルスが優勝を果たすことができたときの、被災者を思う優勝インタビューも、忘れられない。
プロのスポーツ選手として、またプロスポーツの指導者として、私たちにすばらしいものをたくさん見せてくれた星野氏に感謝し、氏の冥福を祈りたい。