昨日11月19日。自分の中では少し警戒していた。
娘の状態が、最悪のダメージを受けたのは、去年のその日だったからだ。
ひどい全身痙攣を連発した日からちょうど1年の日付になるからだ。
その直前が、娘は病が発症してから最もよい状態だった。
その頃は、体調も記憶力もついてきていたので、このままなら、退院も近いかもしれない、と思えるくらいであった。
しかし、無惨にもその日の発作の連発で、ICU送りになってしまったのだった。
涙を流しながら、駐車場まで荷物を運んだことは、昨日のことのように私の記憶に残っている。
ひどい痙攣の連発は、去年7月1日にもあった。
そして、今年も7月1日の朝に起こっていた。
だから、今年も去年同様の11月19日にも怒らなければいいが、と懸念していたのだった。
幸い杞憂に終わったことは、よかった。ほっとした。
さて、最近の娘は、日中、すごく眠たがっている。
午前1回午後1回ならまだわかるのだが、午後は2回である。
昼食後昼寝、おやつの時間を挟んで、また昼寝。
起きるのは、夕食30分前。
どうにも眠り姫(?)となっている。
悪く言えば、「食っちゃ寝」の生活なもので、あまる動いていないものだから、体重は病に倒れる前より15kgくらい増えて、太ってしまっている。
薬の投与量は、体重と無関係ではない。
体重は多くなるほど多くなる。
太ると、薬効が薄くなるのではないかと不安なのである。
また、太って、弱った足腰では体をうまく支えられないようで、よくふらついている。
それでも、2か月前の発作・入院の跡の退院後に比べたら、しっかりしてきたように思えるのだが。
記憶・認識の方は、相変わらず積み上がらず、逆に今に近い過去数年のものは少しずつ減ってきているような気もする
それでも会話は結構普通にできているので、暗くならないで明るく過ごしている。
ただ、一日中そばに付いている妻にしてみれば、毎日毎日同じことで注意されている娘の状態が改善されていないので、落ち込むことは多いようだ。
それももっともだと思う。
でも、家で過ごしていられるのだから、よしとしよう。
夕焼けが美しかった今日、6時半ごろ、西の空に新潟空港目指して飛んでいく飛行機の灯りを見た。
この時間の飛行機は、かつて娘が入院中、よくバイパスの道路上で見たものだった。
それを見つつ娘の病院目指して走り、病院で娘の世話をして1時間余りを過ごし、家に帰ってくると9時近くになっていたのだった。
それから夕食を食べると、もう10時になっていることがしばしばであった。
今は、一緒に夕食を食べることができる。
まあ、私が仕事で遅くなったりしなければ、であるが。
きれいな夕焼け空を見上げながら、今年の1年を思った。
もう11月も下旬になる。
この1年は、本当に早かった。
去年は30歳を目前に症状が悪化した娘であったが、今年はこのまま新しい誕生日を迎えてほしいと願っている。
娘の状態が、最悪のダメージを受けたのは、去年のその日だったからだ。
ひどい全身痙攣を連発した日からちょうど1年の日付になるからだ。
その直前が、娘は病が発症してから最もよい状態だった。
その頃は、体調も記憶力もついてきていたので、このままなら、退院も近いかもしれない、と思えるくらいであった。
しかし、無惨にもその日の発作の連発で、ICU送りになってしまったのだった。
涙を流しながら、駐車場まで荷物を運んだことは、昨日のことのように私の記憶に残っている。
ひどい痙攣の連発は、去年7月1日にもあった。
そして、今年も7月1日の朝に起こっていた。
だから、今年も去年同様の11月19日にも怒らなければいいが、と懸念していたのだった。
幸い杞憂に終わったことは、よかった。ほっとした。
さて、最近の娘は、日中、すごく眠たがっている。
午前1回午後1回ならまだわかるのだが、午後は2回である。
昼食後昼寝、おやつの時間を挟んで、また昼寝。
起きるのは、夕食30分前。
どうにも眠り姫(?)となっている。
悪く言えば、「食っちゃ寝」の生活なもので、あまる動いていないものだから、体重は病に倒れる前より15kgくらい増えて、太ってしまっている。
薬の投与量は、体重と無関係ではない。
体重は多くなるほど多くなる。
太ると、薬効が薄くなるのではないかと不安なのである。
また、太って、弱った足腰では体をうまく支えられないようで、よくふらついている。
それでも、2か月前の発作・入院の跡の退院後に比べたら、しっかりしてきたように思えるのだが。
記憶・認識の方は、相変わらず積み上がらず、逆に今に近い過去数年のものは少しずつ減ってきているような気もする
それでも会話は結構普通にできているので、暗くならないで明るく過ごしている。
ただ、一日中そばに付いている妻にしてみれば、毎日毎日同じことで注意されている娘の状態が改善されていないので、落ち込むことは多いようだ。
それももっともだと思う。
でも、家で過ごしていられるのだから、よしとしよう。
夕焼けが美しかった今日、6時半ごろ、西の空に新潟空港目指して飛んでいく飛行機の灯りを見た。
この時間の飛行機は、かつて娘が入院中、よくバイパスの道路上で見たものだった。
それを見つつ娘の病院目指して走り、病院で娘の世話をして1時間余りを過ごし、家に帰ってくると9時近くになっていたのだった。
それから夕食を食べると、もう10時になっていることがしばしばであった。
今は、一緒に夕食を食べることができる。
まあ、私が仕事で遅くなったりしなければ、であるが。
きれいな夕焼け空を見上げながら、今年の1年を思った。
もう11月も下旬になる。
この1年は、本当に早かった。
去年は30歳を目前に症状が悪化した娘であったが、今年はこのまま新しい誕生日を迎えてほしいと願っている。